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末法思想の時代に創建する平等院
平等院がある京都の宇治は、平安時代、多くの貴族が別荘を構えていた。じつはもともと平等院もその別荘のひとつであったのだ。摂政として権勢を誇った藤原道長が別荘として利用していた宇治殿を、道長の死後、息子である頼通が平等院として寺院に定めたのである。
当時、末法思想というものが流行していた。末法思想とは、釈迦の入滅から2000年経つと、天災や人災が多く降りかかり、世が乱れに乱れるという思想。
平等院が創建された1052年は、その末法の元年とされていた年であった。その翌年に阿弥陀堂(現在の鳳凰堂)が平等院に建設され、西方極楽浄土の教主とされる阿弥陀如来を祀るお堂ということで、貴族に限らず多くの人が平等院を信仰したという。
多くの国宝を収蔵する平等院鳳凰堂
また、そのころの京都は、貴族による寺院建設ラッシュでもあった。法成寺や法勝寺など、ときの権力者によって多くの寺院が建てられたが、それらの寺院のほとんどが現在は残っておらず、唯一その姿を残しているのが平等院の鳳凰堂なのである。
建物そのものももちろんだが、そのほかに仏像彫刻など多くの国宝を収蔵している。老朽化した宝物館にかわり、2001年に平等院ミュージアム鳳翔館が開館し、貴重な品々を収蔵、公開している。
平安遷都当時の大内裏を復元「平安神宮」/京都府京都市 – NIHONMONO
復元された建築郡 1895年、平安遷都1100年を記念して開催された「第4回内国勧業博覧会」では、遷都当時の大
京都のシンボルのひとつ五重塔「東寺」/京都府京都市 – NIHONMONO
空海と東寺のつながり 東寺は平安京遷都ともに建てられた官立寺院だ。平安京の東と西にそれぞれ東寺と西寺が建てられ