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鎮守の森を歩く
比叡山といえば、延暦寺。しかし、ここには仏様だけでなく、神様もいる。
延暦寺建立より遡ること数百年。大山咋神(おおやまくいのかみ)が比叡山系の八王子山に降り立ち、それを祀ったのが日吉大社である。以後、地元の神として敬われてきたが、平安京遷都の際、日吉大社が鬼門の方角にあたることから、鬼門除け、災難除けとして広く崇敬されるようになった。
天台宗とともに広がった日吉大社
それがさらに名を高めたのは、延暦寺の建立だ。最澄は、比叡山の地主神を延暦寺の守護神とし、山王権現と呼んで祀ったのである。最澄の開いた天台宗が全国に広がるのと同時に、その守護神である日吉大社も全国に広まっていった。
こうして、全国に3800社あるといわれる日吉・日枝・山王神社の総本宮になったのである。
比叡山の歴史と共に
だが、比叡山は歴史に翻弄された土地でもある。織田信長の比叡山焼き討ちの火は、この日吉大社も焼きつくした。
だが復興はすぐだった。豊臣秀吉が再建したのだ。秀吉は幼名を日吉丸といったため、日吉大社を特別なものと思っていたらしい。
または、日吉大社は猿を神の使いとして祀っていることから、自身も猿と呼ばれた秀吉が再建に尽力したという話もある。説は様々だが、日吉大社の存在が必要とされたと感じられる逸話である。
琵琶湖に浮かぶ朱塗りの大鳥居「白鬚神社」/滋賀県高島市 – NIHONMONO
近江最古とも言われる神社 夕暮れの朱に染まる琵琶湖。その水辺に建つ朱塗りの大鳥居。朱と朱が重なって、何とも幻想
お伊勢参らば、お多賀へ参れ「多賀大社」/滋賀県多賀町 – NIHONMONO
古くから信仰を集める多賀大社 多賀大社は古事記に「伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)は淡海の多賀に坐す」とある