笑いの芸能を伝える 狂言師·野村万作さん/東京都文京区

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狂言と能はともに育ってきた芸能

お話を伺ったのは和泉流の狂言師 野村万作さん。重要無形文化財保持者の父、六世野村万蔵の子に生まれ、3歳で初舞台を踏んだ。そして19歳のときに二世万作を襲名。妥協を許さず芸を追求し、芸術祭大賞や日本芸術院賞など数々の賞を受ける。1990年には紫綬褒章を、そして父に続き自身も2007年に重要無形文化財保持者の認定を受けた。
野村万作さんは能楽の世界に身をおく人物。能と狂言を合わせて能楽と呼ぶが、江戸時代までは「猿楽」と呼ばれていた。せり出した能舞台を観客が囲み、能と狂言の演目を交互に上演し、能の幽玄な舞と、狂言の “笑い”の双方を体感する。狂言は“人間を喜劇的に表現する”ともいわれることがあるように、台詞と動きによって、人間らしさを細かに体現し笑いを大事にする芸能だ。
「能と狂言、テーマは対照的ですが、ともに育ってきた。そして、狂言にもシリアスな演目もあるんですよ」と万作さんは言う。

海外公演で伝わった能楽

万作さんはアメリカで公演を行った時に感じた面白さを語ってくれた。演目は「月見座頭」。目が見えない座頭と若者が出合い、月を見ながら舞を舞い、楽しく酒を飲み、一見すると心が通じたかのように過ごす。しかし、若者が急に変貌して座頭をいじめる、という最後には奇妙な寂しさが漂う内容だ。

「盲人が、若者に舞を踊ってくれと頼む場面があります。目が見えないのに舞を喜ぶ。そこでアメリカの方々も笑いがおきる。そして後半、若者が急に変貌して、盲人をなぶっていじめる。これは解釈が難しいところですよね、しかし、一人の人間の心持ちが急に変わってしまったということがしっかり伝わっていました」
「なぜこの演目を選んだんですか?」と中田が質問する。
「そう、内容が伝わるのか心配もありました。ただ、今は英語の字幕をつけて公演します。英語に訳すということは現代語で伝える。日本人が古語で観るよりもわかりやすい時があるのです。だからより内容の深い演目を演じることができるようになったと思います」
こうした海外公演では観客の笑いも大きく、大いに喜んでくれるという。

心楽しくなる芸術へ

「日本人は映画館でもあまり笑わないイメージがありますよね。狂言は笑いの芸術でもあるわけですけど、会場で笑ってもいいものなんですか?」と気になっていたことを中田が尋ねる。
「いいんですよ。古典というとかたくなって観てしまうということがありますよね。むしろもっと笑っていいと思います」楽しいと感じたら笑う。それでいいのだと万作さんは言う。
「能と同じように、狂言の笑いの地位をより芸術的に高めたかった。僕らの世代はそういう活動をしてきたと思っています。今はそれがだいぶ報われてきたという実感もあります」
その芸の本質はお客さんをなごませることだという。
「げらげらという笑いではなく、観ていて心が楽しくなるというのが、お能とともに育ってきた狂言の本質だと思うんです。幸せ感を持たせると言ってもいいかもしれません」

狂言を体験する

中田は万作さんから狂言の基本動作のお稽古をつけていただく。このとき中田の最初の感想は「この所作がとても美しいと思う」ということ。中田は「狂言の伝統的な所作を小学校で教えてもすごくいいと思う」とも言った。それに万作さんは「そうですね。言葉もそう。日本語の勉強としても狂言を活用してほしい」と答えてくれた。

万作さんは今後、『食道楽』という演目を手がける。食べ物がおいしいと感じるのはなぜかということを、目、口、鼻、耳、手、胃、心が身体から飛び出してきて、自分のせいで美味しいのだと討論する作品だ。もちろんそこには「笑い」がある。心が温かくなりもし、教育という観点から子どもたちにも観せることができるのではないかと万作さんは言う。伝統芸能である狂言の可能性はまだ無限に広がっているのだ。

ACCESS

万作の会
東京都文京区関口2-2-7
URL http://www.mansaku.co.jp/
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