父から家業を継ぐ
今回お話を伺った菅原伸一さんは、建具師(たてぐし)と指物師(さしものし)というふたつの顔を持った方だ。建具師として父である先代から家業を受け継ぎ、寺院では国の重要文化財に指定されている寛永寺旧本坊表門(黒門)の修復や、毛越寺の本堂復元では建具を担当した。
そして、指物師としては「工房いち乃葉」を立ち上げ、日本工芸会にも発表する箱物や、指物の技術を用いて茶室で使用する風炉先屏風なども制作している。
「茶道の先生のお家の建具を作らせていただいたことがあり、それから指物に興味を持つようになりました」と菅原さん。仕事や展覧会で出会った多くの人と話し、古典の様式や様々な美意識に触れることがとても勉強になっているという。
技術ではなく”素材”を活かす
天然の秋田杉で作ったという組子細工の夏障子に中田が見入っていると、菅原さんは「若い頃は細かく凝ったデザインのものばかりを作っていました」と話してくれた。そして目が行くのが木の模様。中田が「これは文様をつけたものだと思った」というその模様は、自然が生み出した年輪を活かしていたのだ。
「若い頃は、職人としてより複雑な技術を使いたいと思っていた気がします。でもいまでは素材からものを考えるというふうになりました。だから、どんどんシンプルになっています」と話す。
作品に用いられる神代杉とは
もうひとつ制作途中のお茶箱を見せてもらう。使われている木材は、モミジとイチイ。「これから表面を砥いで仕上げますが、最後の磨きあげには昔から使われている砥草(トクサ)を使います。いまも山に生えている草です」そう言って、お茶箱の表面を砥いで見せてくれた。すると木の表面がしっとりとした艶を帯びるのだった。
菅原さんは貴重な神代杉も作品に用いる。神代杉とは、樹齢数百年と考えられる巨大な杉が地中に埋まったまま数千年経過したもので、偶然掘り出されるときだけ市場に出るため大変貴重な素材だ。年輪を重ね、幾年月も生きてきた木が菅原さんの手によって美しい作品に生まれ変わる。
組子細工を作ってみる
工房では組子作りを体験させてもらった。「こういう作業苦手なんです…」と中田がいうと、菅原さんも「実は私も不器用なんですよ」と言う。
「不器用でも、とにかく丁寧に作ろうとすればなんとかなります」と笑う。そして、ひとつひとつの木片を組み合わせ、1枚の組子の板が完成した。
これまで数々の仕事をこなし、工芸展など作品を発表してきた菅原さんだが、「これからやりたいことは?」との質問には「まだまだたくさんありますよ」と答える。
「やりたいことはたくさんある。例えば、住まいを全体でコーディネートするということをまずやってみたいですね。建具を作るということで家作りに参加したことはありますが、壁も何もないところからすべてをというのはやったことがない。だから家一軒をまるまるコーディネートとするということに挑戦してみたい」そう話してくれた。箱物から、建具、そして住まい。改めて、日本の木工文化は面白いと感じさせられる。菅原さんのこれからの活動も目が離せない。