牡蠣の子供が育つ海
三陸の海の恵み、牡蠣。その生産の中核を担うのが、石巻市の万石浦(まんごくうら)だという。この日訪れたのは、末永海産株式会社。今回の旅で牡蠣の養殖家である気仙沼の畠山信さんを訪ねたが、畠山さんが養殖しているのは私たちの食卓に並ぶ、出荷用の牡蠣。末永海産ももちろん出荷用の牡蠣も養殖し、加工品なども作っているが、それとともに重要な役割を果たしているのが 「種牡蠣 (稚貝)」 の採苗と養殖だ。
種牡蠣とはつまり、養殖牡蠣の子供。意外なことに、牡蠣の種が採れる海は世界的にも少ないのだという。万石浦はそのなかのひとつなのだ。万石浦で育った種牡蠣は、日本全国のみならずアメリカやフランスにも輸出され養殖されているのだという。
種牡蠣ってどんなもの?
そもそも種牡蠣といわれてもあまりイメージがわかない。そこで末永海産代表の末永勘二さんに説明をしていただいた。
まずロープにホタテの殻を50枚ほど通してくくりつける。そのロープを牡蠣の放卵時期 (7月頃) に海中に垂らす。すると海中に漂う牡蠣の卵がホタテの殻に付着し、そのホタテを寝床にして牡蠣が育つのだ。3ヶ月ほどたったのち、間引きをしてよりいい種牡蠣を残して再び海へ戻して成長させて、ようやく種牡蠣ができあがる。
その種牡蠣を養殖家へ出荷し、それぞれの養殖イカダから水中につるして出荷用の牡蠣を育てる。養殖イカダについては、気仙沼の畠山さんの項をみていただきたい。その畠山さん曰く、末永水産は種牡蠣作りの名人なのだという。
海の中に浮遊した種がホタテの殻に付着させ種牡蠣を採苗する、まさに自然と向き合う仕事だ。
「我々も、漁師もそうですが、カレンダーではなく月の満ち欠け、陰暦で動きます。海の潮が大事ですからね」 と末永さんは話す。
恵まれすぎていた三陸海岸
末永さんが面白い話をしてくれた。この地域の牡蠣はそもそも亀が背負って運んできたという伝説が残っているというのだ。昔の人がそのように伝説として語り継ぐほどに、三陸海岸は海からの恩恵を受けてきたという。
「海産としては、三陸はとても恵まれている。何でもできる。牡蠣がダメならワカメ養殖ができる。ワカメがダメならホヤができる。例えば県内でも波の荒いところだとそうはいかない。例えば遠浅の海だと養殖ができない。三陸は入り組んだリアス式海岸で、海が深くて養殖には恵まれている」 と末永さんは話す。そして 「ただ」 と続けた。
「恵まれすぎていたんだと思います。そのように何でもできる。海からの恩恵で生活ができた。だからこそ、その先にはなかなか行かなかった。徐々に水産業が衰退していくことにもなかなかついていけなかった。だから現在、加工品などの分野へも大きく力を傾けているんです」
2011年、東日本大震災の甚大な被害のなかで、奇跡的に万石浦の種牡蛎は無事だったという。
これからの一つの目標は、牡蠣養殖に加えて安定した産業を作ること。末永さんは、もう新たな挑戦へ歩み出していた。