宮城を代表する味覚「牡蠣養殖家 畠山信」

宮城を代表する味覚
「牡蠣養殖家 畠山信」

牡蠣は春の味覚!?

とろりととろけるようにミルキーな生牡蠣。身体がほくほくと温まる牡蠣鍋。冬になると、牡蠣を使った料理が恋しくなる。と、普通、牡蠣といえば冬の味覚というイメージがあるが、実は牡蠣が一番おいしい季節は、春だと教えてくれたのは、牡蠣養殖家の畠山信さん。
「春になると海にプランクトンが増える。その栄養をたっぷりとった牡蠣が一番美味しいんです」
宮城の牡蠣は例えば広島産の牡蠣と比べて少し小ぶり。だから、生で食べるのに適しているのだという。ぎゅっとうまみが閉じ込められて濃厚な味のするのが宮城産の牡蠣の特徴だ。

海に眠る牡蠣の姿

畠山さんに、小型の船に乗せてもらって、養殖場を見せてもらう。到着した場所は岸からほど近い内湾なのだが、水深は20メートルもあるのだそうだ。その水の下には10畳ほどの大きさの木製イカダが浮いていた。そこにホタテの殻が大量にぶら下げられたロープを沈める。このホタテの殻が牡蠣のベット。ロープ1本につき、約300個の種牡蠣がついていて、海の中でプランクトンを食べて成長するのだという。
「春に種牡蠣を海に入れて、出荷するのは翌年の秋から冬です。2年目の春に一度ロープを引き上げて、牡蠣を熱湯の風呂に入れて、牡蠣以外の生物が増えないようにします。畑の草むしりをするようなものです。それ以外は、海にぶら下げておくだけ。種牡蠣の時期も合わせると、養殖期間は約2年ですね」
熱湯の風呂というのには驚いた。約300個の種牡蠣から出荷に至るのは、100から150個くらいだそうだ。
それにしても船があまり揺れない。この穏やかな湾が牡蠣養殖には適しているのだという。「宮城で牡蠣の養殖が盛んになったのは、三陸にこうした穏やかな湾がたくさんあったからなんです」と畠山さんは説明してくれた。やはり土地に根付く産業には自然がもたらす影響があったのだ。

震災からの道のり

畠山さんが養殖を行っている気仙沼市舞根地区も震災の津波被害を受けた。70基あった養殖イカダと船をすべてもっていかれてしまったという。壊滅に近い状態にあり、養殖を営む家も半減した。ただ、養殖を続けるために欠かすことの出来ない石巻の万石浦で育つ種牡蠣は無事だった。だからこそ、復活を目指すことができたのだという。「種牡蠣がなくなっていたら、宮城の牡蠣は全滅だったでしょうね」と話す。
現在は地域の住民と協業して養殖業を再開し、収穫、出荷ができるところまで復活を遂げた。
「なんとか復旧の目処は立ちましたが、復興はまだまだだと思っています。今の目標は、時期や相場に左右されにくい燻製などの加工品を作り、それをひとつの柱に育てていくこと。地元の人間はもちろん、外の人の意見も聞きながら、いろいろなメニューの開発に取り組んでいます」
現在はNPO法人ピースネイチャーラボを立ち上げ、新たな加工品の開発するほか、地域の街づくり計画にも携わっているという。畠山さんのお話は、震災の前の暮らしに戻ること、だけではなく、さらに発展していく方向に向かっていた。

ACCESS

有限会社水山養殖場
宮城県気仙沼市唐桑町西舞根 133-1
URL http://mizuyama-oyster-farm.com/