海外のデザインを受け継いだ江戸切子
江戸切子の紋様には決まったパターンがある。「だいたい10数種類のパターンの幾何学紋様が基本としてあるんです」と話してくれたのは小林淑郎さん。お祖父さんのころから3代続く、江戸切子の職人だ。
「自分でデザインする人は独特な模様もあるが、基本的には既存の紋様を使うんです。新しい柄が“江戸切子”と呼ばれて流通することはあまりない。独自の一点ものはあるかとは思いますが」
小林さんによれば江戸切子の幾何学紋様はもともとガラス工芸の盛んだったヨーロッパから伝わってきたものだという。特にカットの技術はアイルランドやイギリスが盛んで、そこから入ってきた紋様が多いという。それを日本風にアレンジしていって、現在”江戸切子”と呼ばれる、日本独自のものとして確立したのだ。古い紋様も以前はたくさんあり、薩摩切子などに特徴的に残っているものもあるという。
古いものと新しいものと
小林さんの家は、代々続く江戸切子の職人さんの家。現在は息子の小林昂平さんが4代目を継いで活躍もしている。そういう家ならではの、昔ながらの道具などもたくさん残っている。
なかでも現在と昔を大きく違うのは、江戸切子ができる最後の工程、磨きの部分。工房にある昔の砥石を見せてもらったが、昔はすべてその砥石で手磨きで仕上げをしていていた。手磨きだと工程がいくつもあり、かなりの時間を要したという。それを一変させたのがダイヤ盤の登場。研磨する効率が良いダイヤ盤により工程はひとつに、時間にすると4倍ほどスピーディーになったという。
「道具がよくなると職人の腕は落ちます。でもそれが悪いことかといえば必ずしもそうとは言えない。導入しないとやっていけないという事実もある」
現在、手磨きとダイヤ盤のほかに酸磨きという方法がある。一時「手磨きでないと江戸切子ではない」と言われたこともあったそうだが、小林さんは「酸磨きは大正の時代からあった技術。だから手磨きじゃないと江戸切子じゃないというのは誤解なんですよ」と言う。
古き伝統の中に、新しい技術が入ってくる。いつの時代の伝統も同じ壁にぶつかり変化していく。そうした江戸切子の変化が小林さんの工房には残されていた。
職人が描く江戸切子の紋様
江戸切子の大きな特徴は、マス目を使った幾何学紋様のような図柄。作品として見れば“美しさ”だが、ひとたびその模様を描くとなると“難しさ”という壁になる。それを中田が身をもって体験。
「この赤い線が消えるまで削ってください」と小林さんに言われ、グラスを円盤にあてて削っていくがなかなかうまくいかない。
「どうしても線の太さが均一にならないんです」。中田はそう言って悔しがる。線の太さ、深さが均一でないから、マス目の角が合わなくなってしまう。これでは江戸切子の魅力は半減だ。「これは身体で覚えるしかないんですよね」と小林さんは言う。昔は10年やって一人前と言われたそうだ。たしかにこの技術が一朝一夕で身につくはずはない。だがこの技術があってこそ江戸切子の美しさが導き出されるのだ。
江戸切子が直面する課題
現在江戸切子を作り出す会社は、都内に59社ほどしかないそうだ。その多くは職人がひとり、ふたりという状況だともいう。ガラス製品は高価な印象もあり、需要が少なくなってきていること、そして、若手を育てるのに時間がかかることが大きな課題だと小林さんは言う。江戸東京に伝わる粋の伝統工芸。未来へ向けての課題もあると話してくれた。