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小笠原に伝わる南洋踊り腰みのをつけて、花の髪飾りをさして優雅にそして楽しげに舞う。小笠原に伝わっている南洋踊りだ。この踊りは日本が戦前に、サイパンやグアムなどミクロネシア地域を統治していた時代に、南洋諸島に出かけていた人々が持ち帰り伝えたものだ。 |
戦争で島を離れる島民の多くは第二次世界大戦時に疎開のため小笠原を去った。そして終戦後、小笠原はアメリカの統治となった。そのため、疎開した島民は帰島することができずに、本土にとどまらざるをえなかったのだ。ただし、欧米系島民と呼ばれる欧米系の祖先を持つ人たちだけは帰島を許された。大平さんはその中のひとり。戦後、小笠原諸島がまだアメリカの統治領だったころに、疎開から戻ってきたのだ。 |
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「小笠原返還の歌」が生まれたきっかけアメリカ統治当時は、学校で教える言葉は英語。一般には日本語も通じたが、いろいろな制度など、日本とは違うものとなっていた。「不便ではなかったですか?」と中田が聞くと、「それは不便なところもたくさんありましたけど、それ以上に寂しかった」と大平さんは話す。 |
ACCESS
- 大平京子
- 東京都小笠原村