花はいけ手のおもいで変わる「草月流 勅使河原茜」

花はいけ手のおもいで変わる
「草月流 勅使河原茜」

お姑さんの前で披露するもの!?

「大学で教えた時、学生にいけばなってどんな印象かっていう質問をしたら、”お姑さんの前で正座してするもの”って答えた男子学生がいて、すごくショックでした」
そう笑いながら話すのは、草月流第四代家元の勅使河原茜さん。だが、草月流のいけばなはそういうイメージとはまるで違う。拝見させていただいた歴代家元の作品には、大きいオブジェのような作品もあれば、竹を使って舞台を作った作品もあるのだ。
「私たちはこれもいけばなとして捉えています。父が竹を使い始めて、こういう大規模な作品を作るようになりました。私も沼津の御用邸で竹の舞台を作りました。細く縦に割った竹を編み、クレーンで吊りながら組み立てるというスケールの大きなものでした」
もちろん形式や基本はある。しかし、もっと大切な部分はいける人の中にある。「自分がいけたいイメージを表現するためにこそ、基本はあると思っています」と勅使河原さんは話す。

自由に変化していくのがいけばな

「草月流の特徴は自由に変化すること。花はいけ手のおもいで変わるものなんです。見た人に何を感じてほしいのかということで、作品は変わっていくんです」と勅使河原さんは言う。
中田が「いけばなを見るときに何を基準に見ればいいかわからないんです」というと、見る人も感性でいいと勅使河原さんは答えてくれた。
「例えばいけ手は、パワフルな力を感じてもらいたいと大胆な作品を作る。でも見る人によっては、植物をいじりすぎていてかわいそうと思うかもしれない。どっちが正しいというものではないんです。だから評価は見る人の感性でいいんだと思います」
「ただし」と勅使河原さんは加える。「作品には必ず”いけ手”のおもいがないといけない。そうでないと見る人も評価をできない。ただ植物の美しさに頼るだけ、きれいだね、で終わってしまう。評価はそれぞれでいいですが、評価の土壌にのぼるには”自分”を入れないといけないということですね」

目の前で作品が生まれていく

最後に勅使河原さんがいけばなのデモンストレーションをしてくれた。今回は2作品。器は自身で作ったものだという。ちなみに先々代はいけばなのほかに、自ら書をかき、映画監督でもあった先代は書と陶芸をしていたという。
目の前でひとつの器と植物が変化していく。勅使河原さんは中田に背を向けて立つことはない。「後ろいけ」といって、鑑賞者がすべてを見られるように器の後ろからいけていく。ときにはすばやく、ときには考えるふうにして枝と花がいけられていく。

完成した作品を前にして中田が「これは最初からこういうふうにしようと考えているんですか?それともその場で考えていくんでしょうか」と聞いた。
「ある程度のイメージはありますが、植物はいけ手の思う通りにばかりはいきません。いけばなの面白いところは、生き物としての植物と向き合っていくところなんです。植物が目の前に来た時に、自分の思った枝ぶりと違う、色が違う、それと柔軟に向き合っていくことがいけばなの最大の魅力です」
ひとつとして同じ植物はない、生き物としての花と向き合う。そうして人と花とが共演し、ひとつの作品が生まれていくのだ。

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