吉野の桜の全てがご神木
吉野の桜といえば、日本でもっとも有名な桜といっても過言ではない。その桜のすべてをご神木する寺が、「金峯山寺(きんぷせんじ)」である。
開祖は、修験道の開祖といわれる役行者(えんのぎょうじゃ)。本尊の蔵王権現のほか、多くの尊像が安置されている本堂の蔵王堂は、重層の入母屋作りで、堂々としていながらも優美さがあり、建築物としてもたいへん優れたものだとして、評価を得ている。
今回、大峯山寺(おおみねさんじ)も訪れたが、じつは、金峯山寺と大峯山寺というように別個の寺院として呼ぶようになったのは、明治19年からのことだ。寺院そのものは別個に存在したのだが、それまでは、2つの寺院と大小の子院を総称して金峯山寺と呼んでいた。それが明治に入り、政府の発した神仏分離令、次いで出された修験道禁止令によって、一時、金峯山寺は廃寺に追い込まれた。その後、明治19年に天台宗修験派として現在の金峯山寺は再興されたが、山上の蔵王堂は大峯山寺として分離されてしまったのである。それが現在まで続いている形だが、元来は同じ修験道の霊場なのである。
周囲を感じることで心を高める修行
1948年に蔵王堂を中心とした金峯山修験本宗を立宗し、その総本山となっている金峯山寺。吉野の桜とともに、1300年もの間、人々の信仰を支えてきた寺である。
旅の一行は、大峯山寺から下山すると、金峯山寺へ報告に出向き「遂行証」をいただいた。宗務総長 田中利典さんの「どうでしたか?」との問いかけに、「チベットやブータンでも(修行を)体験したことがありましたが、今回が一番きつかったです。」と、中田。
田中さんは、修験道は、大自然の曼荼羅世界の中で単に自分を鍛えるのではなく、山に入らせていただいて、自分の中にあるもの、心の高まりにつなぐための修行なのだと、話してくださった。
「手を合わせることは、周囲を感じること。現代社会では自我が肥大してしまいがちですが、自分以外の存在をもっと感じることが大切ではないでしょうか。」
古くから日本人は自然の中に多くのものを見出してきたのだ。「金峯山寺」は修行道を通してそうした考えも受け継いでいる。