平城京鎮護のために創設された 「春日大社」
近鉄奈良駅を降り、東大寺を左手に見ながら歩を進めると、大きな鳥居が現れる。その鳥居をくぐり、奈良公園内を進むと、行き着くのが平城京鎮護の杜、春日大社である。
春日大社の歴史は、710年の平城遷都の際、藤原不比等が国の繁栄と人々の安全を祈って、藤原氏に由縁の深い武甕槌命(たけみかづちのみこと)を春日の御蓋山(みかさやま)に祀ったといわれている。その約60年後に、藤原永手が御蓋山の麓に四つの社殿を造営し、神を祀ったことをもって春日大社の創祀としている。
藤原氏の氏神を祀っていることから、平安時代に藤原氏が隆盛するとともに、春日大社も隆盛をきわめていく。また、藤原氏との関係から興福寺との関係も深く、神仏習合が進んでいくと、「興福寺の法要は春日大社の神々の擁護を仰ぐ」というように、春日大社と興福寺は大変密接な関係となった。
奉納される舞を見る
中田が訪れた日は、「薪御能・呪師走りの儀(たきぎおのう・しゅしはしりのぎ)」が行われるということで、奉納される金春流の「翁」を見学させて頂いた。「呪師」とは、法会の場から魔を払い結界をつくる役で、その激しい動作から「呪師走り」との名がついたとされる。能楽の中で最も古い呪師芸能と言われており、古くは僧職につくものが演じたが、時代を経て役者が演じるようになり現代の「翁」に形を変えたのだという。
日本人なら知らない者はいない、奈良公園の鹿たち。この鹿も春日大社と深い関係がある。春日大社創建の際、茨城県の鹿島神宮に祀られている武甕槌命が白い鹿に乗ってやってきたとされており、鹿は神様の使いとされ大切に保護されてきたのだ。現在では約1200頭が生息しており、国の天然記念物にも指定されてる。緑あふれる敷地に建つ朱の社殿「春日大社」。1300年も昔から続く伝承は、今も形をかえて息づいている。