大火より再建された喜多院
川越大師の別名で知られる天台宗の寺院、喜多院。その起源は830年にまでさかのぼり、1200年近い歴史がある。正式には星野山 無量寿寺(むりょうじゅじ) 喜多院といい、古くは無量寿寺の中の北の院(北院)という位置づけだった。現在の「喜多院」という名前を称するようになったのは、徳川家康のころより徳川家からの信頼があつかった南光坊天海が住職として寺に入ってから。
寛永15年・1638年に川越の町を全焼するという大火事があり、建物の多くが燃えてしまったが、徳川家光の庇護のもと江戸城紅葉山の御殿を移築し再建をはかった。このため、喜多院の客殿には「徳川家光誕生の間」があることも有名だ。このほかにも、南光坊天海が建立した山門など、境内には国の重要文化財を始め、数多くの文化財が残っている。
人の素直な感情を表す「五百羅漢」
多くの文化財のなかでも人気を集める「五百羅漢(ごひゃくらかん)」。1782年から1825年にかけて建立された538体の石仏は、中央高座の大仏に釈迦如来、その周りを囲むようにお弟子にあたる羅漢像が並び、ひとつとして同じ顔、同じポーズのものがないと言われている。
「ちょっとおもいしろい羅漢さまを見ていただきましょう。」そう勧められたのは、頭を傾けて横になっている羅漢像。「あ、寝ていますね。」思わず顔がほころぶ中田。
「そうなんです。人間の素直な感情、喜怒哀楽をありのままに表現しているんですよ。他には十二支の動物を抱いたものもあって、ご自身の干支の動物を探してはみなさん御参りされています。」
「五百羅漢」に表現されるように、人の素直な姿というのはいつの時代も変わらないものなのかもしれない。
春には桜が満開になり、花見客も多く訪れて賑わいを見せる。小江戸川越を、古くから見守り多くの人によって支えられてきた寺院なのだ。