生け花の歴史
生け花の生ける瞬間も見てほしい
生け花、華道が確立されたのは室町時代のこと。そのころは武家階級や上流階級のたしなみであったが、江戸の中期から後期にかけて、庶民にも愛されるようになり広く浸透していった。
生け花というと、”作品”がイメージとして頭に浮かぶかもしれないが、「生けるその瞬間も見てほしい」とお話を伺った一葉式いけ花の三代目家元 粕谷明弘さんは言う。
「出来上がったものを見るだけじゃなくて、生けていく過程を見ると、”あの花をあそこで使うんだ”とか、”あれ、今何を迷っているんだろう”といったようにいっしょに体験できると思うんです。そうすると、見方がまったく違ってくる」
中田も「たしかに、先日お花を生けるデモンストレーションを見たときはそういうライブの迫力みたいなものが伝わってきました」とうなずいていた。
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パフォーマンスとしての生け花
粕谷さんは二代家元、粕谷明光さんの三男として東京に生まれ、幼少の頃より華道を学んだ。17歳より流派内外の花展などに作品の発表を始めるが、1967年に渡米してニューヨークでインテリアデザインを学ぶ。さきほど「生けている瞬間を見てほしい」と粕谷さんの言葉を紹介したが、その言葉のとおり粕谷さんはデモンストレーションを即興で行うことがほとんど。その空間をパフォーマンスとして披露している。
その人なりに花と付き合えればいい
そうなると「型」というものはどこまで必要になるのだろうか。中田が質問する。「私どもの流派はこれはダメだということをなるべく言わない。「型」は学んでいく過程の上での基礎となり、とても大切なものですが、その先の自分自身の表現としては、なるべく自由に、その人なりに花と付き合えればいいと思っているんです」と粕谷さんは話してくれた。枯れたものを使ったり、ブリーチしたものを使ったことがある。花を逆さにしても大丈夫と。
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生け花体験
中田の前の青い器が置かれる。さあ、実際にいけてみようということだ。だけれども何から始めていいかわからない。
するとまず粕谷さんが剣山を手に取る。
「夏はこうやって奥に、冬はこうやって手前に置くといいと思うんです」
中田がなぜかわからない顔をしていると「生け花は花だけでなく、全体で作品。器に入れる水も作品の一部なんです。剣山を奥に置くと手前の水が見えるでしょう。涼しげな作品ができあがるんです」
なるほど。何も知らないでいるとどうしても花や形に目が行ってしまうが、生け花は器や下にある水まで含めて、全体でひとつの作品なのだ。
粕谷さんにいろいろと教わりながら枝を選び、花を生けていく。それでも感性の部分は中田にまかせる。花を持ち、じっと考える中田。これが粕谷さんのいう「生けている瞬間」なのだ。
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