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前田利長を弔う瑞龍寺
国宝にも指定される「瑞龍寺(ずいりゅうじ)」の始まりは、1614年。
加賀藩の第二代藩主・前田利長の菩提を弔うために、三代藩主・利常が建立した寺である。
高岡の祖・前田利長
利長が眠る瑞龍寺は高岡市にあるが、そもそも高岡を作ったのは、前田利長その人。
利長は44歳という若さで隠居をするが、その際、金沢から富山に移る。しかし、居城とした富山城が炎上という憂き目にあい、そのとき関野といわれていた、現在の高岡市に新たに城を築き、人々を集めて城下町を作った。
これが高岡の始まりなのだ。
瑞龍寺の美しい境内
ちなみに、現在の高岡市の市街地は、利長が開町した当時とほとんど変わっていないという。
利長は、自身が高岡に移るとき、織田信長追善のために建てた法円寺もともに移転させた。その法円寺が瑞龍寺の前身で、1614年の利長の死に際し、利長の法名にちなんで利常が瑞龍寺と改名したわけだ。
利常は利長に対して厚い恩義を感じていたため、瑞龍寺の大整備を行い、すべての作業が完了したのは開始から約10年の歳月を経ていたと言われている。
そうしてできあがったのが、国宝にも指定されている現在の伽藍。質実剛健というか、どっしりと重みのある仏殿である。その前庭には、芝生が敷き詰めてあり、空と仏殿、芝生のコントラストが目に映える。高岡を作り上げた人物が、高岡の瑞龍寺に眠っているのだ。
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