アンティークを思わせるグレーがかった色味に、現代の暮らしに合う洗練された佇まい。ガラス作家の笹川健一さんの器は、その作風で国内外から注目を集めるが、彼がもともと手掛けていたのはアート作品だったという。現在の作風にはどのようにしてたどり着いたのだろうか。
“直感”に導かれ、美大からガラス作家の道へ
神奈川県出身の笹川さんが最初にガラス制作を始めたのは、多摩美術大学工芸学科在学中のこと。笹川さんが受験した当時は、願書提出の際に専攻をガラス・金属の中から選ぶ必要があり、直感でガラスにしたと振り返る。ガラスはきれいだし、道具を介して制作するというある種の“不自由さ”が性に合っているのではないかという予感がしたそうだ。
美大で制作していた作品は、現在の作風とは異なるものだったと笹川さんは振り返る。当時は色味のあるガラスではなく無色透明なガラスの作品を作っていて、オブジェ制作やインスタレーションを行っていた。また、制作の際に使っていたのは、透明度の高い鉱物である石英(せきえい)を砂状に砕いた珪砂(けいしゃ)や、ガラスが水に溶けないようにするために加える石灰など、ガラスの原料として一般的に使われる素材だった。
当時在籍していた研究室の先輩や指導教官には、個展を開くなど作家活動を行う人が多かったこともあって、笹川さんは自身も作家を目指して大学院へ。大学院在学中には「国際ガラス展・金沢2004」で奨励賞を受賞したほか、2005年にはアメリカのコーニング美術館が主催した「New Glass Review26」で入選、「第2回現代ガラス大賞展・富山2005」で入選を果たすなど、数々の国内外のコンテストで実績を残した。
そして修士課程修了後、笹川さんはより多くガラスに触れられる環境を求めて、石川県金沢市に拠点を移す。同市にある陶芸、漆芸、染色、金工、そしてガラスといった幅広い工芸の担い手を育成する「卯辰山(うたつやま)工芸工房」の研修生として2年間学ぶことにしたのだが、ここで笹川さんは大きな転機を迎えることになる。
卯辰山工芸工房の日々が「用の美」を教えてくれた
美大では「ガラスという材料をどう見せるか」といったことを念頭に置きながら、オブジェを中心とした制作を行っていたが、芸術性の高さを重視する美大と、日常性・実用性を重視する卯辰山とでは作品に求めるものが異なったため、アート性の高いそれまでの作風では、卯辰山で指導を行う専門員や同期の研修生には伝わらないことが多かったと笹川さんは振り返る。この「作品でコミュニケーションが取れない」という状況が、笹川さんを別の表現方法に向かわせた。
多くの人に伝わる表現とは何かを模索する中で、笹川さんが気づいたのは、金沢という街の美しさだった。伝統工芸や茶の湯文化の美意識が日常的に存在するこの街で、笹川さんは日本文化の魅力に開眼し、その後は工芸の世界や「用の美」への関心を深めた。また、金沢ではさまざまなアートイベントや展示販売の機会が多く、出品依頼を受けて実用的な器を作る機会も何度かあった。このような経験を経て、大学在学中に目指してきた尖った表現よりも、生活にあふれたさりげない美しさへと関心が移り、次第にオブジェの制作から器の制作へと力点が移っていったという。
笹川さんが卯辰山工芸工房にいた頃に制作した作品「うつわのこと」(2007年)は、器を見ることとアートを見ることの違いについて考察した作品で、「第3回現代ガラス大賞展・富山2008」の優秀賞に輝き、現在は作品の一部が、ガラス作家の育成と支援に積極的な富山市にある「富山市ガラス美術館」に収蔵されているが、古代文明の土器を思わせる形のオブジェからなるこの作品群は、まさに笹川さんの転換点を象徴する重要な作品といえるだろう。
ちなみに、作品のヒントは、金沢市内の大小さまざまな美術館や博物館に通う中で得たという。神奈川県のニュータウンで生まれ育ち、大学でも現代アートに関心を持ってきた笹川さんだが、当時はどこかしら否定的に捉えていた「歴史や伝統」といったエッセンスを、いつしか作品に取り込むまでになっていた。
京都と奈良の中ほどに位置する小さな町で“自分の窯”を手に入れる
2008年、卯辰山工芸工房での2年間を終えた笹川さんは、北陸での作家活動を経たのち、母校の多摩美術大学の助手のポストを得たことを機に、再び神奈川県に戻って2010年から4年間を過ごす。
その期間も笹川さんは、先輩の工房の窯や、職場である多摩美術大学の窯、そしてレンタル工房の窯を借りながら作品制作に励んでいたというが、次第に「自分の窯を持ちたい」という思いを強めていったという。
というのも、窯借りをしていると使えるガラスは共用のものに限られ、それらは無色透明なガラスが中心。笹川さんはそうした“きれいな”ガラスに物足りなさを感じていた。卯辰山工芸工房時代の仲間だった陶芸家たちがそうしているように、自分の作風に合った生地を自分で作りたいと考えたのだ。そんなとき、知人のツテで故郷から遠く離れた京都府井手町にある物件を紹介され、2016年に移住を果たした。京都・奈良というふたつの古都の中ほどに位置する、京都府南部の人口約7,000人の町。都会育ちの笹川さんにとって、山里の自然に囲まれた静かな環境はとても新鮮で気に入っているという。
そして、この地で念願の「自分の窯」が持てたことで、笹川さんは国内外から支持を得る、唯一無二の器を完成させることになる。
ワイングラスや酒器。繊細な気泡の入った、再生ガラスを使った器
井手町の工房で笹川さんが完成させたのは「再生ガラス」を用いて作る、グラスや酒器などの暮らしの器だ。
ちなみに再生ガラスとは、廃ガラスを回収して砕いたもの(カレット)を高温で溶かして作るガラスのこと。笹川さんは使用済みの蛍光管のカレットを材料として作品制作を行っている。ちなみに、再生ガラスに注目したのは、助手の仕事をしていた頃、ガラスのリサイクルをする機会が多かったから。再生ガラスは、作る工程で使用する鉄の棒の先がガラスの原料に付くため、水色がかった色になる。その色を作品に生かしたかったという。また、再生ガラスのアンティークっぽい質感に「今っぽさ」を感じていたことも理由だ。
笹川さんの器の色は、再生ガラスの元の色にコバルトや銅などの酸化金属を独自の配合で加えることで、絶妙なニュアンスの灰青色になっている。また、同時に「色の薄さ」にもこだわっている。笹川さん自身がお酒好きということもあって、飲み物がおいしく見える色になるよう調整を重ねた。
さらに、再生ガラスを作る工程で気泡が入りやすいといった特徴もそのまま生かし、あえてガラスの中に気泡が閉じ込められた状態にしている。「泡一つないガラスも美しいが、物足りなさも少し感じる」との自身の感性に従った。
絶妙な色味を引き立たせる生地の薄さ
もう一つ、笹川さんの器の魅力となっているのが、薄手の質感だ。以前から厚みのあるかたちよりシャープなフォルムを好んでいたこともあり、この薄さに行き着いたそうだが、薄手の生地が再生ガラスから生まれた灰青色と組み合わさると、絶妙な効果を生んでくれるという。
淡い色がついたガラスは、器の縁などに色がたまって器の中をのぞき込んだときに奥行き感を与えてくれるのだが、ガラスの生地が薄手だと、よりシャキッと研ぎ澄まされた印象になるというのだ。また、薄い生地のグラスや杯は、唇に触れたときの違和感が薄いため、飲み物の繊細な風味を引き立ててくれることは言うまでもない。
薄く仕上げるには相当の技術と温度のコントロールが必要で、特に大切なのは道具をしっかり熱くすることだという。このような工夫によって、唯一無二と賞される絶妙な質感の器が生まれたのだ。
国内外問わず人気。料理や飲み物と織りなす“景色”も魅力
金沢の卯辰山での日々を経て、井手町の工房で完成された笹川さんの灰青色の器。「冬の金沢のような弱い光の中でも、美しく光る器を」と意図して現在のスタイルに至ったそうだが、心なしかその色合いは、雨や雪の粒をたっぷりと含んだ、冬の日本海地方の空の色のようにも見える。
透過性のあるガラスは、光によってその表情を変えるのが大きな魅力だ。また、ガラスの器は、盛り付けた料理や飲み物と響き合いながら器の中の景色を作り出す。国内外どちらからも支持されている笹川さんの器は、気候風土が異なる土地土地の美味や光と響き合い、さまざまな景色を生み出しながら、使う人たちの日常に幸せをもたらしているに違いない。
器は、使うことでさらにその魅力を増すアイテムです。透過性のあるガラスは光によってその表情を変え、盛り付けた料理や飲み物と響き合いながら器の中の景色を作ります。繊細な気泡と灰青の色味を持つ私のガラス作品だからこそ見られる景色を、美しいと感じていただける瞬間があれば嬉しいです。