日本に稲作が伝わった約3000年前から、私たちの食文化に欠かせない存在となった「米」。しかし1937年の日中戦争勃発後、当たり前のように食べられていた米が庶民の食卓から失われかけてしまった数年間がある。そんな食糧難の中で生まれたのが「白い米のような麦=白麦米(はくばくまい)」だった。
逆境の中で始まった精麦
「白米に黒い筋の入った麦が混ざっているのを見ると、未だに『ひもじい思いになる』と言う人もいるんです」。そう笑うのは長澤重俊(ながさわしげとし)さん。大麦・もち麦・雑穀などの穀物商品を製造している「株式会社はくばく」の3代目代表取締役社長だ。主要製品である「大麦」は、血糖値の急激な上昇を抑え、腸内環境を改善する水溶性と不溶性の食物繊維が豊富に含まれることから、近年健康面やダイエットへの効能が評価されている。創業から今年で83年、現在国内の大麦生産率で約60%のシェアを獲得している同社だが、その始まりは地域農家たちの米をつく、精米会社だったのだと言う。
白いお米のような麦を作ろう
従来大麦は米の収穫が終わった秋から春にかけての二毛作栽培が中心だったそうだが、戦中は米の代用品として通年栽培されるように。各地で精麦業者も増加し、日常的に食べられる主食となっていった。1945年に第二次世界大戦が終戦すると、次第に国内の食糧生産と海外輸入が回復。食糧危機は解消へと向かい、次第に米の流通も息を吹き返していく。「白米と比較すると、やや黄色く黒い筋が入った見た目と、ポリフェノールの酸化した独特の香りがする大麦は、米の流通復興とともに少しずつ食卓から遠のいていくようになりました。そこで起死回生の製品として祖父が作り出したのが『白麦米』だったんです」
多くの精麦業者が撤退していく中、「大麦こそ健康の源」と信じて疑わなかった重太郎氏は、大麦の粒を半分に切断し水分や栄養素の輸送路として機能する表面の黒い筋を取り除く“峡南式高速度切断機”を発明した。「機能性食品としての可能性にかけた祖父の執念だったのでしょう」と長澤さん。1953年に“白い米のような麦”という売り文句で「白麦米(はくばくまい)」と命名した大麦製品の販売をスタートさせる。
それまでの常識を覆す画期的な製品として「白麦米」が全国に普及していく中、1957年に社名を「白麦米株式会社」に変更。
「父が二代目を継いでからは、さらなる売上アップのため、より手軽に使える穀物商品や乾麺の市場開拓にも尽力しました」。
1960年代の高度経済成長期以降になると、即席ラーメンや餃子用小麦粉など、スーパーやコンビニエンスストアでも手軽に買える穀物商品などを次々とリリース。その後、女性の社会進出も進み、それに伴って胚芽を残した押麦や短時間でゆであがる乾麺など「使いやすさ」と「健康」に着目した商品を展開していった。1990年代には有機小麦のみを原料とするうどん工場をオーストラリアに建設。このように時代のニーズに合わせた柔軟な商品展開で順調に業績を伸ばしていく中、創業45周年を迎えた1992年に「株式会社はくばく」へ社名を変更した。今日まで100種類を超える製品開発を展開する精麦会社へと成長を遂げていく。
「ステーキみたいな贅沢な美味しさではないけれど、『しみじみうまい』毎日食べられる美味しさを穀物製品で提供してきました」
大麦の味を噛み締めながら長澤さんは笑う。
ひと粒たりとも異物は入れない
安全でおいしい大麦を手に入れるため、約400項目にわたる品質検査を行うことからはくばくの製品作りが始まる。まずは残留農薬や水分量、混入物の有無など原料を再度細かく検査し、複数の選別機を使って純然な大麦を得る。
次に炊き上がりを均一にするため、精密な削り加工へと進む。麦粒が割れないよう0.01mm単位で削り加減を調整した後、黒い筋を取り除くため粒を半分に切断し、白米のような形状と色に仕上げていく。
精麦したままの大麦は白米に比べて水分を吸収しにくく、火の通りが良くない。そのため家庭で白米に入れて炊いても同じようにふっくらと仕上がるように、蒸気での加熱や冷却、乾燥などの下処理も行う。これらの工程を経てようやく、簡単な調理でもおいしく食べられる大麦が完成するのだ。
「『ひと粒たりとも異物は入れない』という想いで精麦を行っている」と、言葉に力を込める長澤さん。最終製品はX線や金属探知機を使って異物を取り除き、味や香り、色など品質の状態も隈なく確認する。このような徹底した品質管理が食品メーカーなどから高い評価を受け、近年では原料の供給やOEM商品の製造など、新しい企業展開を実現しているのだという。
本当に求めている人へ製品を届ける
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「売上げが伸び悩んだ時期もありましたが、2000年代に情報番組などで雑穀が紹介されたことをきっかけに、健康食メーカーとして『はくばく』の名が周知されるようになりました」
2016年になると、ダイエット食品として「もち麦」がブレイク商品に。大手企業の新規市場参入もあったが、コアなマーケットであればこそ、専門企業として市場の第一線を走り続けた経験と実績を覆す企業は現れなかった。飲料部門においても「水出しでおいしい麦茶」をはじめとする、麦茶・穀物茶がシェアを伸ばし、一層事業は拡大していく。
2023年3月には、表皮を削り取り、より白米に近い白色に近づけた「白米好きのためのもち麦」をリリースした。大麦に含まれているβ-グルカンは、食べたものをゼリー状に包み、胃から腸へゆっくり移動させる働きがあるため、消化吸収に時間がかかる。よって血糖値の急上昇を防ぐことができるため、体重の増減に影響がでにくい。その上、食物繊維の含有量も白米100gが0.5gなのに対して12.9gを有するなど、ヘルシーで罪悪感のない食べごたえが話題に。ぷちぷちと弾力のある食感もおいしいと好評を呼び、広く認知されることとなった。
とは言え、大麦やもち麦、雑穀を食べているのは国内で約10%以下。これからは残りの90%に向けて新しい食習慣を提案していかなければならないと考えている。
そのため、会食が多いビジネスマンや勉学に励む受験生、生活習慣病に悩む人など、健康的な食生活を求めている人たちにとって自社製品が選択肢のひとつとなることに重きを置いた。今後は外食産業やコンビニ製品への参入、一人暮らしでも手軽に口にできる「おかゆ」や「グラノーラ」など、加工食品の製造にも一層力を入れていきたいというのが、同社の展望だ。
磨き上げた想いを、山梨から世界へ
「首都圏に隣接しているため、流通面においても好条件。良質な水も製品のクオリティを高めているし、なにより豊かな自然に恵まれた故郷が気に入っています」。近年は県内で生産される農産物や、八ヶ岳、富士山麓地域における水質のレベルの高さが評価され、都心部からの飲食店出店なども増加傾向。「そういった流れも自然資源のポテンシャルの高さを裏付けるもの」と、改めて山梨県に生産拠点を置くことの価値を語る長澤さん。
また、東京本社を設立した2012年から、首都圏での人材確保を強化したことで、マーケティングや商品開発部門においてより一層、優秀な人材が集まるようになった。新規商品の展開にも拍車がかかっている現況に対して長澤さんは「新たな商品を開拓しながら、機能性食品としての周知を世界に広げていきたい」と話す。世界の穀物の中で大麦は、トウモロコシ、小麦、米、大豆に次ぎ、5番目に入る生産量があるのにも関わらず、そのほとんどがビールの原料か家畜の餌に使われているのが現状。比較的大麦を食べる習慣がある国内への周知はもちろんだが、食文化の違う海外市場へ大麦の魅力を周知していくことも、今後必須なミッションであると力強く語る。
「大麦は“食用に向かない原始的な穀物”であるというレッテルがあるからこそ、夢があるミッションだと私は思っています。これほど真面目に『大麦を美味しく食べてもらおう』ともがいている企業は、世界中どこにもいないですから」
逆境が、自らを奮い立たせるモチベーションにもなっていると、長澤さんは力強く笑う。DNAである「大麦」にこだわりながらも、常に新しい挑戦を続けるはくばく。その磨き上げられた技術と清廉潔白な想いが、山梨から世界へ、穀物の「飽きない美味しさ」を伝えていくのだろう。