福井県中部、越前市の東側に位置する今立地区。1500年もの歴史があるという越前和紙の一大産地であり、全国で唯一、紙の神様をまつる岡太神社・大瀧神社を有する。その“和紙の里”で150年続く和紙問屋「杉原商店」を継いだ杉原吉直さんは、生産者と現代のニーズをアイデアと行動力でつなぎ、和紙の世界に新風を吹き込んでいる。
150年続く老舗和紙問屋の挑戦
杉原さんは老舗和紙問屋の10代目であり、自らを「和紙ソムリエ」と称する。その仕事は、問屋として、生産者から和紙を仕入れて卸すだけにとどまらない。時代変化に合わせて和紙を再構築したプロダクトを始め、空間を演出するインテリアとしての大判和紙を企画販売。地域の零細な和紙生産者とのつながりが、斬新な商品開発を可能にしている。生産者はそれぞれに得意分野がある。それを、現代の生活者や国内外のクライアントのニーズに合わせて活かしてもらう。タクトをふるうのは杉原さんだ。好みに合わせてワインを選ぶソムリエのように。
家庭用プリンタ―対応の和紙に活路を
いまや世界に和紙を販売する「杉原商店」。その隆盛をもたらした杉原さんの歩みは、決して平坦なものではなかった。
創業370年に迫る和紙問屋・小津産業に勤めていた杉原さんが26歳で郷里に戻り、杉原商店に入った1988年、和紙業界は斜陽の時代を迎えていた。高度経済成長時代に右肩上がりだった襖(ふすま)紙の需要は、住宅の西洋化が進み、和室が減ったことなどで激減した。それまで襖紙を得意としていた越前和紙は、大きな打撃を受けた。まずは和紙の産地が生き残らなくては、杉原商店の存続もない。そう危機感を抱いた杉原さんは、時代の変化に合わせた和紙のプロダクト開発に取り組んだ。
そして生み出したのが、家庭用プリンターでの印刷に対応した『羽二重紙(はぶたえし)』。和紙は本来、墨で書くことで文字がにじまず定着するように作られている。しかし、書家を除いて日常的に墨で文字を書くという習慣が消えつつあるのも事実。そこで、インクでもにじまないような工夫を和紙に施して生まれたのが羽二重紙だ。厚みのバリエーションをもたせたのも、和紙として画期的だった。かつて羽二重王国とも呼ばれた福井県を代表する織物の名を冠したこの和紙は、プリンターの普及という時代の変化を見事にとらえてヒットした。
手でちぎる和紙のシート
和紙の新商品開発に手ごたえを感じた杉原さんは、デジタル化が進んでも廃れることのない紙の用途に着目する。それは対面でのビジネスに欠かせない「名刺」だった。最初から切り離されたものではなく、和紙のシートに手でちぎると名刺になる折り目をつけた。新商品の名は『ちぎって名刺』。ちぎられ毛羽だった縁まで和紙らしい表情を醸す。開発にあたって取り入れたのが、「漉かし(すかし)」という伝統の技法で、折り目にあたる部分を漉かしで仕上げ、手で切り離しやすくしている。『ちぎって名刺』はテレビなどでも紹介され、大反響に。いまでは名刺だけでなく、動物や花などをモチーフにした和紙のシートも製作。『ちぎって』シリーズとしてさまざまなバリエーションが揃う。
和紙に漆を。伝統工芸の新たな出会い
次に杉原さんが企てたのは、伝統工芸のコラボレーション。越前和紙がある福井県越前市周辺には、ほかにも多様な伝統工芸がいきづいている。その一つである越前漆器に欠かせない漆を、和紙のプロダクトに使えないか――。そうして生まれたのが、『漆和紙(うるわし)』だ。和紙に漆を塗り、試行錯誤の末に完成した漆和紙は、和紙と漆が織りなす使い込んだ皮のような表情が魅力。紙の軽さはそのままに、漆を塗ることで防水性も高まった。漆和紙は、商品化から間もなく福井県内のデザイン性に優れた商品を称える「DESIGN WAVE FUKUI」の大賞を受賞した。
和紙の販路と可能性をひろげる
『羽二重紙』『ちぎって名刺』『漆和紙』。どの商品も、地域で生き続けてきた伝統を見事に現代のニーズに合わせてよみがえらせた商品だ。しかし発売当初は困難も多かった。斬新であるほど、世の中に受け入れられるまでには時間を要する。杉原さんが生み出した商品も例外ではなく、特に生産者との話し合いを粘り強く続けた。また、従来の取引先に相談すると、おもしろい商品だと興味は示してくれるが、どう売っていいかが分からないと言われた。それは杉原さん自身も同様だった。
こうなったら、自分で動くしか――。杉原さんは自ら、それまでにビジネス上の付き合いがなかった東急ハンズなどの大手小売店に営業をかけ販路を開拓。和紙をA4サイズにカットするなど、小売店が売りやすいような工夫を重ね、徐々に受け入れられていった。
展示会での運命的な出会い
ある程度販路を開拓でき、和紙と消費者とをつなぐプロダクトを生み出したという自負はある。それは杉原商店に未来をもたらした。しかし、産地である“和紙の里”全体を見たときに、もっと自分が何かできるのではないか――。長く葛藤は消えなかった。
そんな時、運命的な出会いが訪れる。
福井県で開催された「クラフト展」に、杉原商店も出展していた。それは毎年のルーティーンの出店だったが、展示会で出会った著名なデザインコンサルタントからこんな言葉をかけられた。「あなたは、建築で和紙が求められているのを知っていますか?」
建築で和紙? 意味が分からなかった。言葉に詰まっていると、コンサルタントは、「展示会に出なさい」と言う。何か運命的なものを感じた杉原さんは、不安もあったが、東京ビッグサイトで開かれていたインテリアの国際展示会「IPEC」へ出展することにした。
それが飛躍するきっかけになった。和紙業界としても初めての出展で奨励賞を受賞。さらに、当時建設中だった東京・六本木ヒルズの建材に使いたいと、杉原商店にとんでもない規模の量の和紙の注文が入ったのだ。杉原さんは語る。
「展示会に出て、デザイナーやプランナーの方たちとのつながりもでき、海外に行くようになりました。そこで驚いたのが、彼らの和紙に対する美しいという評価でした。建材としての和紙は、単価も使用量も桁違い。そこで越前和紙が持つポテンシャルの高さを再認識したのです」
すべては和紙の価値向上のために
杉原さんが道をひらいた建材としての越前和紙は、さらに評価を高めていく。フランス・リヨン市庁舎、東京2020オリンピック競技場の壁や柱に使われたのをはじめ、新千歳空港のラウンジ、東京・三田病院のエントランス、そして福井を代表する酒蔵・黒龍酒蔵の新施設『ESHIKOTO(えしこと)』にも、杉原商店が扱う越前和紙が、レストランの壁紙として採用された。
和紙を通した人との出会い
越前和紙の問屋として革新的な取り組みを続けてきた杉原商店。既存の用途の縮小に伴い流通が廃れていく中、大手小売店での販売や、建材という新たな需要を創出してきた。
そのチャレンジのきっかけや原動力となったのは、行く先々で出会う人との縁だったという。越前和紙を通して、もっと人と人とが豊かに関わる「場」をつくりたい。その場の作用によって、さらに生まれるイノベーションがあるのではないか。
築100年の蔵を和紙ギャラリーに改装
杉原さんの想いが結実したのが、杉原商店の敷地内に開設した和紙ギャラリー『和紙屋』だ。自社に隣接する築100年以上の蔵を改装した『和紙屋』には、照明器具や器といったインテリアやアートとしての和紙作品が展示され、和紙の原料となる楮(こうぞ)、みつまた、雁皮(がんぴ)、それらを使った和紙サンプルが並ぶ。天井からかけられた巨大な和紙のタペストリーも圧巻だ。『羽二重紙』『ちぎって名刺』『漆和紙』といった和紙アイテムは購入もできる。
杉原さんは手で淹れるコーヒーで客を迎え、実際に和紙を触って話を聞きたいというクライアントの要望に応える。和紙の歴史的背景や変遷を交えながら、最適な提案を探るその姿は、まさに和紙のソムリエだ。
ひとけのない100年の蔵が、和紙によって、人が集う場に再生した。和紙には人と人とをつなぐチカラがある、だから必ず残っていくと杉原さんは言う。
「いろいろな人の話を聞いて、試行錯誤しながら何でもやってみるつもりです。その中で、また何か新しいものを見つけていきたい」
これからも杉原商店は、越前和紙で人をつなぎ、和紙の新たな伝統を紡いでいく。