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空海と東寺のつながり
東寺は平安京遷都ともに建てられた官立寺院だ。平安京の東と西にそれぞれ東寺と西寺が建てられ、王城鎮護の寺とされたのである。遷都を行った桓武天皇ののちに、座についた嵯峨天皇は、唐で密教を学んできた弘法大師空海に東寺を託した。これによって、東寺は真言密教の根本道場となった。
空海がその後すぐに着手したのは、伽藍やお堂の造営である。京都のシンボルになっている五重塔は、いまから1200年ほど前のこのときに作られたもの。
現在の東寺の姿は、その後の天災などにより破損、再興を繰り返し、外観は当時のままとはいえないが、配置などは空海が立てた計画とほぼ同じ姿をとどめているという。
現在に残る平安京の寺院
時代が下り源氏と平氏の戦いが起き、平安時代が終わりに近づくと東寺、西寺ともに衰退の一途をたどることになった。西寺はそのまま復興されることなく消滅してしまったが、東寺は鎌倉時代に入り運慶が諸像の修復を手がけるなど、復興を遂げた。その後、幾多の戦乱に翻弄されるも、現代に残る唯一の平安京の寺院として、いまもその姿をたたえている。
乱世を生きた京都のお東さん「東本願寺」/京都府京都府京都市 – NIHONMONO
東本願寺の歴史 浄土真宗「真宗大谷派」の本山である「東本願寺」の正式名称は「真宗本廟(しんしゅうほんびょう)」
日本·京都の美が蘇る「南禅寺」/京都府京都市 – NIHONMONO
多くの人々が集まる南禅寺 1291年、亀山法皇により開かれた、日本で初めての皇室勅願の禅寺である「南禅寺」。後