こんな清水焼もある。くらしを味わう為の清水焼『TOKINOHA』の清水大介さん

こんな清水焼もある。くらしを味わう為の清水焼『TOKINOHA』の清水大介さん

京都を代表する焼き物「清水焼(きよみずやき)」と聞いて、あでやかな絵付けが施された和風な器を思い浮かべる人は多いのではないだろうか。そんなイメージとはかけ離れた器を作り、若い世代の消費者やプロの料理人に支持されているのが、陶芸家・清水大介(きよみず だいすけ)さんだ。


工房で働く職人の姿が見える。京都・清水焼団地の「TOKINOHA Ceramic Studio」



京都市東部にあたり、滋賀県との県境を有する山科区にある清水焼団地。1960年代に造成された工業団地で、陶芸作家の店や工房、材料を扱う店などが軒を連ねる。その一角にあるのが、清水さんと陶芸家の妻・友恵さんが運営する「TOKINOHA Ceramic Studio(トキノハ・セラミック・スタジオ)」だ。


入ってすぐ目の前に広がるのは、ふたりのブランド「TOKINOHA」のショップ。工房で作業する職人の姿をガラス越しに眺めながら器選びができるこの空間には、さまざまなテイストの器が並ぶ。


毎日そばに置きたくなるシンプルな形と色づかい。それでいて、使う人の気分を上げてくれそうなスタイリッシュさ。しかし、いわゆる「京都っぽい器」ではないかもしれない。「実際、『こんなのは清水焼じゃない』と同業者から言われたこともありました」と清水さんは話す。



清水焼の特徴とは


ところが実は、清水焼には材料や技法に関するきまりはない。というのも清水焼は、茶の湯が流行した安土桃山時代~江戸時代初期に、全国から京の都へ呼び寄せられた職人が、時の権力者や文化人らの求めに応じて各地の技法で器を作ったことを起源とする焼き物である。そのため、清水焼には全国のエッセンスが詰まっていて、それらをどう用いるかは自由だという。


「ここから何かを生み出してやろうという気概を持って、全国から土を探し出して最高の品を焼き上げる。その精神性こそが清水焼なのかもしれません。僕も自分の作品を通して『こんな清水焼もある』と伝えていけたら」と清水さんは言う。


では、清水さんはどのようにして現在の作風にたどり着いたのだろうか。


数々の変遷をへて見つけた「くらしを味わうための清水焼」というコンセプト


清水さんの出身地は京都市東北部を南北に占める左京区の南、岩倉と呼ばれるエリア。曾祖父は江戸中期から続く清水焼陶工の名跡・5代目清水六兵衛で、父親の清水久さんも陶芸家という陶芸一族の家に生まれ育った。しかし自身は、高校卒業後は京都府立大学環境デザイン学科へと進学し、建築を専攻。このころは陶芸家という将来をまったく描いていなかったという


変化が訪れたのは大学在学中だった。ものづくりが好きで建築という分野を選んだが、学んでいくにつれ、制約の多さにも気づかされた。そんなとき久さんが制作に打ち込む姿を見て「親父は面白いものづくりをやっているな」と自らも陶芸の道へ進むことを決意。大学を卒業後、京都府立陶工高等技術専門校で陶芸を学び、修了後は日本工芸会に所属し国内の工芸展で数々の賞を受賞していた陶芸家・猪飼祐一氏に弟子入りした。2009年には、専門校時代の元同期だった妻・陶芸家の清水友恵さんと京都市北区の借家で「トキノハ陶房」というアトリエ兼ショップを立ち上げるが、ここで清水さんはひとつの壁にぶつかる。


「勝つ」ために作ってきた器が刺さらない。来店客の無反応がつらかった日々


当時の清水さんは、展覧会への出品を目指しながら制作活動を行っていて、ほかの出品者に負けない、印象に残る作品を作ることに必死だったという。「トキノハ陶房」の店頭にも、今よりも作家性の強い作品を並べていた。


市街地にあった「トキノハ陶房」は、たまたま前を通りかかった人が中をのぞいていくことも多かった。しかし、そうした人たちの多くが全体を漠然と眺めたあと、すっと出て行く。

清水さんにはこの「無反応」がこたえたという。そうした経験を繰り返すうち、これまでの自分の作品は何かが違うのではという思いが芽生えた。


個性をそぎ落とした、シンプルな器にたどり着く


そして清水さんは、感想を聞かせてくれた来店客や異業種の友人らの声に積極的に耳を傾けるようになる。

「作品としては面白いけど、毎日使うにはちょっと」

「この部分がもうちょっと違っていたら、使いやすくなるのに」

そうした意見を受け止めながら、清水さんは「自分と同世代の人が使いたくなるような器」を目指した。そして、さまざまな技法を用いながら施した装飾をそぎ落としていくようになったという。


清水さんはそのころから展覧会への出品をやめた。そして、「生活に寄り添う器」というブランドコンセプトも固まった。


「グループ展で目立つ作品を作って、その中で勝てたとしても、使ってもらえないなら意味はない。作品単体で勝つことより、自分の作品の『群』を見て何かを感じてもらえたらと考えました。そのやり方に気づいたとき、ふっきれたような気がしました」


数ごまかしがきかないから、何の変哲もない皿こそ難しい


このころ清水さん夫妻は活動の拠点を清水焼団地に移し、ブランド名を『トキノハ陶房』から『TOKINOHA』に変更。工房兼ショップも同じ名前で運営しはじめた。2011年のことだった。


TOKINOHAの器の持ち味は「一見何でもない、シンプルなフォルム」だと清水さんは話す。たとえば何の変哲もない皿のようなごまかしのきかない形こそ、陶芸家にとっては難しいのだという。


釉薬の研究を重ね、多彩な色味やデザインに挑戦


また清水さんは、釉薬の実験を『トキノハ陶房』時代から続け、さまざまな色合いの器を生み出してきた。


人気シリーズのひとつに、銅釉を使った『copper』がある。ブルーの器が特に人気で、食欲減退の色だとして通常青い器を好まない洋食のシェフが「この青なら使える」と選んでいくという。“引き算”のデザインに徹し、料理を引き立てる器づくりに取り組んできたTOKINOHAらしいエピソードだ。


使う人の気持ちに応えるために。料理人専用のブランド『素—siro』を立ち上げ


TOKINOHAの器は、プロの料理人から支持されていることでも知られている。


清水さんがシンプルな器作りに取り組み始めたころ、TOKINOHAの器がある料理人の目にとまり、その店の器を一式手がけたことが始まりだった。それを見た別の料理人からも注文が入り、いつしかそうした注文が相次ぐようになったのだ。使う人の気持ちに応えたいと、シェフや周りの人たちの意見を取り入れながら微調整をいとわない清水さんの姿勢が信頼につながり、評判を呼んだ。


また、清水さんも料理人との関わりで多くを学んだ。


流行へのアンテナの張り方と、それをレシピに取り入れようとする貪欲さ、来店客の様子から課題を見つける観察力や、その解決を一皿にどう落とし込むかを考える力。料理人たちのマインドの高さに刺激を受けたという。


さらに、料理人との仕事が増える中での気づきもあった。


たとえば器のサイズや形、質感、扱いやすさへの考え方など、店の器に求めるものは注文者によって千差万別で、すべての料理人が納得するスタンダードは存在しえないということだ。そこで、2017年にはTOKINOHAとは別にオーダーメイドに特化した料理人専用のブランド『素—siro』を立ち上げた。この事業を通じてさらに多くの料理人と関わったことで、清水さんの経営者としての問題意識は深まりと広がりを見せていく。


陶芸家を「持続可能な仕事」に


実は、清水さんには陶芸専門校時代から引っかかっていたことがあった。同級生には跡取りが少なく、陶芸初心者が多くを占めていたことだ。


かつて生徒の8割程度が跡取りだった時代もあったという。しかし、今では親の苦労を見て陶芸家の道を選ばない人が増えたのだ。一方、入学してくるのはそうした背景を知らない人たち。結果、陶芸家になってから行き詰まってしまう姿を数多く目にしてきたという。


「学校で陶芸の技術は学べるけど、食べていく方法を教わる機会はほとんどありません。だから僕は、陶芸がちゃんとしたビジネスになって、仕事として続けていけるようにすることに力を傾けたいです」


陶芸家専用のポータルサイトを作る


陶芸家が生計を立てづらい理由の一つに「流通」の問題があるのでは。清水さんのそんな思いは、2019年以降に起きた生活様式の変化によってリアルショップが閉鎖され、多くの陶芸家が販路を失ったことで、より強まった。


2019年10月、問題解決の一助になればと、清水さんは陶芸家のためのポータルサイト「ソーホー」を立ち上げ、ブランディングのアドバイスにも取り組んだ。陶芸家が自分の作品を、流通を介さず自分で売る力を付けていけるようになれば、それが業界の活性化にもつながると考えていたからだ。この活動による一定の成果を感じた事もあり「ソーホー」サービスは2022年11月末をもって終了している。


清水焼の魅力を全国へ、世界へ発信するために。陶器市のあり方にも変化を


TOKINOHAが清水焼団地に移転してから11年。移転したてのころは、京都生まれの清水さんといえどもアウェー感があったという。


しかし、清水焼団地の一員として奮闘を続ける中で変化もあった。


2022年10月、3年ぶりに開催された陶器市「清水焼の郷まつり」は、清水さんの発案で運営方法にいくつか変更点が設けられた。ひとつは、出展者の募集を毎年ゼロから行い新規出展の間口を広げたこと、そしてもうひとつは、他府県の事業者による出展を不可とし、まつりへの出展者を京焼・清水焼に関わる事業者に限定することだった。


こうすることで、京都で焼き物づくりに携わるより多くの人に出展のチャンスがもたらされるだけでなく、清水焼としてのアイデンティティーも確立でき、全国へ、世界へアピールできる。まつりに訪れた人が清水焼だと思って買った焼き物が、他府県産のものだったということを避けたいとのねらいもあった。そして2022年11月にはTOKINOHAのタグラインを一新し、コンセプトを「くらしを味わうための清水焼」に変更。清水さん自身のブランドコンセプトも「清水焼」というキーワードへの回帰を果たしている。


清水焼業界の活性化のため、手間とアイデアを惜しまない清水さんに、かつてTOKINOHAの器を「こんなのは清水焼じゃない」と評していた人たちも、今では信頼を寄せてくれている。


「僕らはここでいろんな挑戦をさせてもらい、育ててもらってきた。だから今があるんです」


清水さんの真摯な姿勢は、今後も清水焼業界や陶芸界をアップデートし続けていくに違いない。


ACCESS

TOKINOHA/清水大介
京都市山科区川田清水焼団地町8-1
TEL TEL075-632-8722
URL https://www.tokinoha.jp/