万華鏡のような江戸切子のカットグラス
中田がグラスを手に取り、覗き込む。そこには万華鏡のような世界が広がっている。ぐるりとグラスをひとまわりさせると、さまざまに違った紋様が浮かび上がる。篠崎ガラス工芸所の篠崎清一さん、英明さんの親子が制作した作品だ。
これは江戸切子のグラス。江戸切子というと、線を主体とした複雑な幾何学紋様ものものがすぐに思い浮かぶかもしれない。「昔は矢来という、線の紋様を描けるだけで飯が食えたんです」と清一さんが話してくれた。
「でもそれは昔のこと。シンプルなものは海外へ発注するなどして、日本の職人は淘汰されていってしまった。それから昔は有名なデザイナーがデザインしたという付加価値がなければ、百貨店などで取り扱ってもらえなかったんですよ。だから職人は大変だったんです」
そのお話の途中で息子の英明さんが持ってきてくれたのが、最初に中田が眺めていた万華鏡のようなグラスだった。
職人の技が生み出した新しい江戸切子
「これはオヤジの代表作なんです。この花模様は今でも人気があります」
清一さんの作り出す切子は、緻密な細かいカットが特徴。その技術が作り出すのが、ガラスのなかに点と円を描いた万華鏡の江戸切子だ。しかも単にグラスに花模様を描くだけではない。手前のガラスの花模様のなかに、向こう側の花模様が映り込むのだ。それで万華鏡にように見えるというわけ。これはすべて計算されたデザイン。曇りガラスのような加工を入れてアクセントを付けることもある。この花模様のほかにも円を描いたり、華やかなデザインがあり、目を楽しませてくれる。
「昔の切子は線で始まって線で終わるから、昔の切子職人はこれは江戸切子じゃないと言うかもしれない」というが、江戸切子の職人が作りなら発見したガラスの魅力のひとつではないだろうか。技術が先にあり、それならこういうこともできると考えてデザインをする。こうして職人の頭のなかから、新しい独特の江戸切子は生まれたのだ。
集中して重さを忘れる
さらに篠崎さんはサイズの大きな作品を作る。江戸切子というと、手に収まるコップやワイングラスが思い浮かぶ。しかし篠崎さんは、数人前の食べ物が乗るのではないかと思える大皿や料理用の鍋ぐらいあるのではないかと思う水差しも作っている。中田がその水差しを持ってみると「重い」とつい言葉に出てしまうぐらいの重量があった。材質はクリスタルガラス。当然大きくなれば重い。何と10キロ以上もある器もあるそうだ。
「削りを入れるときは当然、これを持って作業をするんですよね。重い、ですよね…」
「もちろん。重い。でもね、どんどん作業にのめり込んでいくと、その重さを感じなくなるんですよ。それよりももっといいものをって集中してしまうんでしょうね」
10キロもあるガラスを抱えながら繊細な紋様を入れていく。失敗すれば一貫の終わりという作業に、集中すればするほど重さは気にならなくなるのかもしれない。拝見した数々の器は、まさに職人の心意気がつまった作品なのだ。
「ただ集中しすぎてGWだっていうのに仕事ばかりしてしまって、妻に友達と旅行にいってきますと愛想をつかされたこともありましたよ」そういって苦労をまるで感じさせないような明るさで清一さんは笑っていた。