お茶は扇子であいさつをする
門をくぐり、寄り付きといわれる部屋に通される。案内してくれるのは遠州茶道宗家十三世家元である小堀宗実さんだ。本来は、もてなす立場の亭主である宗実さんはまだ登場する場所ではないのだが、今回は遠州流茶道について教えていただくために、最初から案内してもらった。
まずは寄り付きでひと息つく。ここで手荷物の整理などをするのだが、当日は宗実さんが中田に「これをぜひお使いください」と、扇子やふくさなどを渡してくれた。お礼を言ってひと揃えを受け取るが、中田は扇子が小さいことに気がついた。
「これは普通の扇子よりひと回り小さいですね。決まりがあるんですか?」
「お茶で使う扇子は、扇ぐというよりも、あいさつのときに使うためのもの。正座をして向かい合う相手に頭をさげるときに、ひざの前にそっと置く。そうしてある種の境界線を引いて気持ちを引き締めるんです。だからあまり大きい扇子ではない。扇ぐこともありますが、うちわのように顔や体を扇ぐのではなくて、手のひらを少し仰いでそこで涼しさを感じるというものなんです」
歩いて楽しむ庭の誕生
寄り付きでいっときを過ごし、外へ出る。お茶室に入る前に露地を通る。ここで本来ならば亭主が初めて登場しあいさつをするのだ。露地とはいわば中庭。その庭を眺め、歩き、中田は思わず「この落ち着いた感じがすごくいいですよね」と感想をもらす。
遠州流茶道は小堀遠州を祖に持つ流派。小堀遠州という人は、江戸期に備中松山城の再建、駿府城修築、名古屋城天守、後陽成院御所造営などを行い、建築家、造園家としても活躍した大名だ。
日本の歴史のなかで、庭というのは長い間、眺めて楽しむものだったという。そのなかで、散策して楽しむ庭が登場した。遠州はときには眺めるための庭園。ときには散策するための庭園というように、その両方を使い分けたという。
「お茶席の庭としては遠州が目指したのは、お客様のための庭園なんです」と宗実さんは話す。遠州は自分の考えを表現する場として建築や庭があるのではなく、その場所にどんな人が訪れるかということを考えた上で庭や建物を作ったのだという。
お茶をいただくための空間
露地の静けさを堪能して、いよいよお茶室に入る。にじり口といわれる小さな潜り戸を入り、戸を閉める。ピシっと大きな音がするぐらいに閉めるそうだ。「もう最後の人が入りました」ということを亭主に伝える意味になる。
部屋に入るとすぐに目についたのは、床の間にかかった書の掛け軸と、花入れにあしらってある花。今回、東京の旅では、何人もの華道家の先生のもとを訪ねた。そのときに見せてもらった花とは少し違う。そのことを中田が質問すると「お茶の花と華道の花は少し違うかもしれません」と宗実さんはお話してくれた。
「お茶での花は、花それ自体を愛でるのが目的ではありません。お茶の邪魔にならないこと。だから香りの強いものはあまりよくない。それから書を邪魔しないこと。つまり、お茶を楽しんでいただくお客さまの邪魔をしないことです。そのうえで、その方の心を楽しませてくれる花でないといけない」そうして、空間の心地よさを作り上げるのだ。
すべてがお茶を楽しむ
宗実さんにたてていただいたお茶をいただいく。作法は経験してみなければわからないことばかりだが、その中田の心配を取り除くように、ひとつひとつの所作について教えていただきながらゆっくりお茶を楽しむ。
最後に茶杓を拝見する。この茶杓は、宗実さんがミャンマーでお茶会を行うにあたり、竹細工が盛んなミャンマーの竹から作ったものだという。
「これは私が作り、“かけはし”と名づけた茶杓です。これからも色々な場所へ行って架け橋になっていただきたいと思い、使用いたしました」と、嬉しいお言葉をいただいた。
寄り付きから露地、そしてお茶室に入った時の花と書を見たときの心の落ち着き。そしてお茶をいただき、茶器に親しむ。そういったすべてが「お茶をいただく」ということなのだと、経験することができた一日だった。