小笠原の遺跡をめぐる「戦跡ガイド」板長·田中善八さん/東京都小笠原村

目次

小笠原に残る遺跡

小笠原諸島の鬱蒼と緑が茂る山林には、多くの遺跡が残されている。かつては日本の各地にも点在し、時代の変化と共に姿を消していったもの。それは戦時中の人々の営みを残す遺跡だ。
小笠原諸島の南方にある硫黄島は激戦が繰り広げられた地として知られているが、この父島もまた駐留部隊が活動した多くの痕跡を残している。
この日、中田は戦跡ガイドの田中善八さんに父島の山林を案内していただいた。
田中善八さんは「板長」という愛称で親しまれるベテランガイド。ご自身も戦争の時代を経験され、島内の戦跡を調査しながら当事者であった旧陸海軍戦友会の方々から話しを聞いたという語り部の第一人者だ。

夜明山を歩く

まず向かったのは、父島の北部に位置する夜明山。海軍通信隊の本部壕は父島に残る壕のなかでも最も大きな壕のひとつだという。そのうち1つの入り口には、当時4重の扉が付いていたと考えられ、内部では爆撃機の通過を連絡したり、硫黄島など南方への通信の中継を行っていたのだとお話を伺う。少し離れた場所にある、海軍の平射砲台であったトーチカには、驚くことに現在も錆び付いた海軍砲が残されていた。終戦後、使用できないように一部が破壊された状態だが、戦争の生々しさを感じさせる場所だ。
そして、コンクリート打ちの天井の高い建物、ここは海軍航空隊の通信所のための発電所だったという。中には発電機が置かれた跡が残る。こうした数多くの戦跡は歴史的な資料として、保存を求める声もあるという。

幅広く、あらゆる人に伝える小笠原の歴史

戦跡を巡るツアーには、観光のために小笠原を訪れる旅行者や、大学・高校の研修旅行生、戦跡学習を行う地元小学生のなど幅広い年代の人々が参加する。時には島の断崖絶壁を歩き、草をかきわけ、壕の中をライトで照らし、多くの戦跡めぐりながら当時の人々に思いを馳せる時間だ。

小笠原の素晴らしい自然や風土、歴史について紹介し、時には参加者の納得がいくまで語らうのが板長さん流だという。現在は、息子の田中心さんも戦跡ツアーに同行し語り部として活動を始めている。
訪れる人と共に、日々、島内の戦跡を歩き、これからも次の世代へもひとつひとつの話を伝えていくのだ。

ACCESS

戦跡ガイド 板長 田中善八
東京都小笠原村父島字清瀬
URL http://hakara-me.com/
  • URLをコピーしました!
目次