歌舞伎の始祖・出雲阿国(いずものおくに)ゆかりの地として知られる出雲。この地で、伝統芸能の火を守り続けている人々がいる。1975年に結成された「出雲歌舞伎むらくも座」は、一度途絶えた地域の出雲歌舞伎を復活させ、50年以上にわたって公演を続けてきた。舞台に立つのはプロではなく、この土地で暮らす人たちだ。
神話の里に残る、出雲歌舞伎の系譜

出雲神話の英雄・スサノオ伝説が息づく島根県出雲市佐田町(さだちょう)。古くから神楽や太鼓、歌舞伎など、芸能文化が人々の暮らしと深く結びついてきた。小さな山あいの町でありながら、今なお人々は祭りのたびに舞台を設け、日常の労働の合間に芸を磨いている。歌舞伎の始祖・出雲阿国(いずものおくに)は、大社町(現・出雲市)で生まれ、京都で「かぶき踊り」を演じて一世を風靡。その後は再び故郷へ戻り、生涯を閉じたと伝えられている。現在も阿国の墓は、大社町の小高い丘に静かに佇む。
出雲歌舞伎の起源は江戸時代ともいわれるが、近代に大きく花開いたのは大正時代のことだ。広島出身の歌舞伎役者・嵐美里(あらしみさと)を招き、地域住民たちが本格的な歌舞伎を学んだことがきっかけとされる。祭りになれば地元の人々が舞台に立ち、農作業を終えた夜の芝居小屋には、笑い声と拍手が響いたという。
出雲歌舞伎と阿国を直接結びつける史料は残されていない。しかし、近代に出雲歌舞伎を伝えた嵐美里が持ち込んだ台本や演技の系譜をたどれば、その源流は京都で発展した歌舞伎文化に行き着く。阿国が京で始めた歌舞伎が、時代を超えて人から人へ受け継がれ、巡り巡って故郷・出雲に息づいたと考えると、その歴史は不思議な巡り合わせを感じさせる。
空白の15年を越えて

戦後、時代は大きく変わる。娯楽の多様化、若者の都市流出、過疎化。さらに連合軍の占領政策により、刀剣などの小道具や台本が没収され、演目の上演は難航。そして1960年、出雲歌舞伎の灯は途絶えてしまう。
出雲歌舞伎が途絶えて15年、佐田町の青年団を中心に結成されたのが「出雲歌舞伎むらくも座」だ。親や近所の人々が演じていた歌舞伎を見て育った世代が、出雲歌舞伎の文化を絶やしたくないと立ち上がった。かつて大人たちが煌びやかに舞った姿は、見ていた子どもたちの記憶の中に、静かに残り続けていたのである。
若者たちが復活させた”農村歌舞伎”

若者たちは当時の資料をかき集め、古い台本を読み解き、かつて舞台に立っていた年配者から所作や台詞回しを教わる。練習場所は、廃校になった小学校の教室。仕事を終えた夜に集まり、深夜まで稽古を続けた。衣装や大道具は、手作りのものがほとんど。
古い台本の読み解き方、足の運び、視線の送り方、独特の節回し。農村歌舞伎は、文字だけでは継承できない。体で覚え、舞台で受け継ぐしかない世界だ。先人たちから直接教えを受けながら、少しずつ失われていた演目を蘇らせては舞台として甦らせていった。その過程で大切にされてきたのは、形の再現だけではない。なぜその所作をするのか、その台詞にどんな感情が宿るのか。意味を理解してはじめて、芸を次の世代へ渡せるのだ。
小さな体育館から、世界の舞台へ

若者たちの中心にいたのが、座長として長年むらくも座を支えてきた渡部良治(わたなべよしはる)さん。舞台演出から広報まで幅広く担いながら、歌舞伎を地域の文化として根付かせるために奔走してきた。この土地で生まれ育った渡部さんにとって、歌舞伎は芸能である以前に、幼少期の思い出であり、先人たちの憧れの姿そのものだったといえるかもしれない。
はじめての上演は、地元小学校の体育館。15年ぶりの復活上演とあって、会場には大勢の町内客が足を運んだという。座員が増えるとともに、会場規模も少しずつ大きくなり、やがて町内のホール約600席を埋めるまでに成長。1998年にはポルトガル・リスボン万博へ招かれ、地元ゆかりの演目「日本振袖始・簸(ひ)の川大蛇退治の段」を披露した。
以来、「むらくも座」は毎年秋に定期公演を実施。結成から51年、実に50演目を復活上演している。
時代の流れを乗りこえて

渡部さんの長男・祥太郎(しょうたろう)さんは、9歳の子役の頃から舞台を踏んできた。受け継いだ芸と、この土地への愛着を胸に、現在は小学校での歌舞伎教室や子役の指導にもあたっている。親から子へ、舞台から客席へ。むらくも座の継承は、血縁と地縁が交差しながら続いてきた。
現在の座員は20代から90代まで幅広い世代で構成され、役者だけでなく衣装、小道具、舞台設営、音響、照明と、多くの地域住民やボランティアスタッフが舞台を支えている。しかし、歌舞伎人口の減少は全国的な課題であり、過疎化が進む佐田町を拠点とするむらくも座も例外ではない。座員の確保、新たな観客の開拓、県外へのPR。「むらくも座」の歴史が半世紀を越えた今もなお、乗り越えるべき壁は続いている。
笑いと迫力で、客席との距離を縮める

むらくも座が一貫して大切にしてきたのは、初めて観る人でも楽しめる演出にこだわること。普段は劇場に足を運ばない地元の人、歌舞伎に縁がなかった人にも、出雲歌舞伎に触れてほしいという意志の表れでもある。
源頼光(みなもとのよりみつ)による土蜘蛛退治(つちぐもたいじ)を描いた舞踊劇では、クライマックスで無数の蜘蛛の糸が舞台いっぱいに放たれる。張り巡らされた巨大な蜘蛛の巣を背景に、役者が低く腰を落とし、両腕を広げる瞬間。その迫力に、客席の子どもたちは思わず身を乗り出す。
一方、落語「詰込(つめこみ)」を題材にした人情喜劇では、空き巣の泥棒と夫婦の勘違い騒動が描かれ、会場は笑いに包まれる。演目によって表情をがらりと変えながら、むらくも座の舞台は客席との距離を少しずつ縮めてきた。
地元の子どもたちを舞台へ

演出の工夫に取り組む一方、次世代育成への取り組みも欠かせない。地元の小中学生を対象にした歌舞伎教室を継続開催しているほか、定期公演に組み込まれる「子ども歌舞伎」は今や名物となっている。
昨年上演された演目「白浪五人男(しらなみごにんおとこ)」では、出演する子ども一人ひとりに台詞が用意された。衣装をまとい、白塗りの顔で舞台に立ち、スポットライトを浴びる経験は、芸を覚えるだけでなく、子どもたちがこの土地に伝わる文化を自分ごととして捉える特別な体験でもある
秋の舞台に、灯がともる

毎年秋、佐田町のスサノオホールで開催される定期公演の日。会場は提灯の灯りに包まれ、まるで昔ながらの芝居小屋のような空気に変わる。舞台の上に立つのは、特別な職業の役者ではない。普段はこの地域で暮らし、働く人たちだ。だからこそ、芝居にはどこか親近感が漂う。地域の文化を守る覚悟と誇りが、舞台の熱量として静かに客席へ届いていく。
一度消えかけた出雲歌舞伎の灯は、若者が受け継ぎ、子どもたちへ渡し、地域全体で支えながら、半世紀という時間をつくってきた。出雲阿国ゆかりの地で育まれてきた伝統は、今日も静かに燃え続けている。



