大量生産の産地で「作家」として生きる。越前漆器の塗師・中野知昭さん

大量生産の産地で「作家」として生きる。越前漆器の塗師・中野知昭さん

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中野知昭さんは、福井県鯖江市の河和田地区で同地の伝統工芸である「越前漆器」を制作している。越前漆器はホテルやレストランなどで使われる業務用漆器の分野で圧倒的なシェアを誇っているため、旅先や外食した先で手にしたことがある人も多いのではないだろうか。そんな大量生産に優れた越前漆器を作品の域にまで昇華させ、数を絞ってでも手塗りを徹底。マスプロダクツではなく、高付加価値の漆器に仕上げ、作家として生きる道を選んだ。


福井県で現代の暮らしに合う漆器



中野さんの工房は、県道18号線・通称「うるしの里通り」からすぐ近くにある。この通りの名称の由来は、通り沿いに漆器の絵付け体験などができる「うるしの里会館」があり、周辺には古くから漆器の工房や職人の家屋が数多く建ち並んでいるから。


漆器作りのすべてに関わる



漆器作りには、大きく分けて「木地作り」、「下地塗り」、「中塗り・上塗り」などの工程があり、各工程を請け負う職人が異なる分業制が一般的。しかし中野さんは、自らデザイン画を書いて木地職人に発注し、下地塗りから仕上げの上塗りまですべて自分で行う。木地を発注してから完成品の漆器として出荷するまでには、なんと1年もかかるという。顧客からの注文に応じて、それぞれが専門的に仕事をこなす中で、一貫して自分の手で作品を作り上げる中野さんは、稀有な存在だ。


全国のギャラリーから注目を集める



中野さんの作品はシンプルながらも漆ならではの気品があり、美しい。その評判は日本中に轟き、展示会は年間で10を超えるようになった。今や中野さんは、全国のギャラリーなどから熱い注目を集める気鋭の漆器作家だ。


仕上げの美しさで魅了する


中野さんが制作する漆器の中でも特に人気が高いのが、華美な装飾を廃した椀。冠婚葬祭やハレの日だけでなく日常の食卓で使いやすいデザインや、美しいフォルムの中に温かみを感じる質感が、モダンな感性を持つ消費者から支持されている。その独特の質感を生み出しているのが「真塗り」という仕上げ。真塗りは、上塗りの最後に磨きをかけずそのまま仕上げるため、熟練した塗りの技術が求められる。中野さんは、「越前漆器は上塗りが得意」と言われるほど、職人たちの上塗りの技術が総じて高い同エリアにて、27年間、塗りの技術を磨き続けてきた。


上塗り用の漆も手仕事にこだわる


漆器の上塗りには「上塗用の漆」が使われる。上塗漆を作る作業は「手黒目(てくろめ)」と呼ばれ、昔は産地でよく行われていた。しかし、手作りの「上塗漆」は4~5年寝かせる必要があるなど時間も手間もかかる。そのため、時代と共に既製品を購入する職人がほとんどになっていたが、中野さんは “手仕事こそ、漆器の価値を高める”と考え、2004年から年に一度のペースで生漆(きうるし)を日光に当てて水分を蒸発させ、上塗り用の漆を作る、手黒目を行っている。


作家として生きるために



鯖江市で生まれ育った中野さんは高専を卒業後、土木設計の仕事に就いたのだが、越前漆器の上塗り師として産地の仕事を請け負う父が病に倒れ、それを機に父の仕事を手伝うことになった。幸いなことに父はその後、病から回復し、塗りの技術を父から学ぶことができた。

その基礎が今に生きているんだという。「当時はお陰様で仕事も忙しくて、色々なものを塗らせてもらいました。この産地の上塗り師は、丸いものを塗る丸物師と四角いものを塗る角物師とに分かれます。父の工房は丸物が得意でしたが角物を扱うこともあり、両方の幅広い技術が身に付きました」。


産地の仕事に感じた違和感


父の工房で修業を積んでいた中野さんは、樹脂の器に漆を塗ったり、化学塗料で下地をしたものに上塗りをしたりする仕事に疑問を抱くようになる。「漆器と呼ばれるものの中にはスプレーガンで塗料を吹き付けるものもありますが、私はあくまで手塗りでしか出せない美しい仕上げにこだわりたかった」。中野さんは仕事と並行して自分自身の作品を作り始める。その作品をコンテストに出品したところ、「酒の器展」大賞、「椀One大賞」優秀賞、「越前漆器展覧会」福井県知事賞など権威ある賞を次々と受賞。作家として才能が開花していることは誰の目から見ても明らかだった。


憧れの作家の存在


父のほかにも中野さんに大きな影響を与えた人物がいる。中野さんと同じく福井を拠点に漆器作家として活動していた山本英明さんだ。山本さんは、今でこそよく耳にするようになった “普段使いの漆器” という言葉が広まるきっかけをつくったと言われる人。自分で考えた木地に下地をしっかりと塗り、無地のお椀や重箱に仕上げる山本さんのスタイルに中野さんは強く惹かれたという。山本さんが「手黒目の漆」を作っているのを見て、中野さんも同じく作り始めた。山本さんはすでに亡くなってしまったが、その作品づくりのスピリッツは、現在でも中野さんの心に深く刻まれている。


営業や展示会で人脈を増やす


中野さんは山本さんの死後、同氏に倣って自分自身の仕事を楽しむために、作家として生きていく道を選んだ。その当時、「家庭画報」や「婦人画報」といった女性誌から人気ギャラリーの情報を集め、作品を大きなリュックに詰め込み、そのギャラリーをめがけて営業に回ったりもした。その成果もあってか、長野県松本市で開催されている全国でも最大規模の工芸展示会「クラフトフェアまつもと」に出展。そこに集まる器屋やギャラリーとのつながりを広げていった。


自分の工房を構えて独立



営業まわりやイベントへの出展を続ける中で、少しずつギャラリーから個展やグループ展への誘いが増え、作家として食べていける目処がたってきた。そこで2014年に現在の場所に小さな展示室を備えた工房を構えて独立。父の仕事は兄が継承した。

中野さんの個展やグループ展は年を追うごとに回数を増やし、2019年には年に10回を数えるまでになっていた。現在は、一度の個展で2〜300の漆器を用意する。


パートナーの大きな支え


中野さんは個展に合わせて常に1、2点の新作を発表する。期間中はギャラリーになるべく在廊するようにして来場者にその魅力を直接語り伝えることでファンを増やしている。最近ではギャラリーの要望に応えて、漆器では珍しいオーバル皿やスプーンなども制作。妻の柳子さんが個展やグループ展の準備、事務作業などをサポートしてくれることも創作活動の大きな助けとなっている。


ただ良いものを作り続ける


「最初に出会う漆器の良し悪しで、その人が漆器を長く使うようになるかどうかが決まるからこそ、良いものを作り続けたいんです」と話す中野さん。

個展では、過去に購入してもらった漆器を持ち込んでもらえれば、それの塗り直しも行なっている。丁寧に使い込まれた器が自分のもとに戻ってくることは中野さんにとって最上の喜びだという。「漆器は洗う度にきちんと拭くと美しいツヤが出てきます。それを見るのが一番うれしい。毎日使ってもらってきれいに育ったな、と感じる」と顔をほころばせる。

中野さんが心血を注ぐ漆器は、使った人の生活を反映し、その人ならではの個性が生まれる。やがて、使う人の暮らしになくてはならない存在となり、その食卓、ひいては生活までも豊かにしてくれることだろう。


ACCESS

塗師 中野知昭
福井県鯖江市
URL http://nakanotomoaki.com/