手彫りで宿す“完全ではない美しさ”。時とともに育つ落合芝地さんの木の盆

手彫りで宿す“完全ではない美しさ”。時とともに育つ落合芝地さんの木の盆

穏やかで優しいたたずまいと、確かな存在感。木工作家・落合芝地(しばじ)さんのつくる木の盆は、そこに置くだけで風景を一変させる力を持つ。全国のギャラリーやセレクトショップからの注文が途切れない、色や形もさまざまな作品が生まれる滋賀県・比良山麓の工房を訪ねた。


滋賀県の森の中の工房で、一つひとつ作品と向き合う

琵琶湖の西側、比良山のふもとに位置する大津市南小松。落合さんの工房は、すぐ近くを清流が流れる静かな森の中にある。敷地内には蒔絵・漆工作家として活躍する妻・やのさちこさんの工房もあるのだが、周辺にぽつぽつと建つ家の多くは別荘で人の出入りも少なく、作家夫婦が制作に集中するにはもってこいの環境のようだ。


移住者の多い大津市北部エリア。ものづくりに従事する人も


ちなみに、落合さんの工房のある滋賀県大津市北部は、比良山や琵琶湖といったスケールの大きな自然が間近にある一方で、京都にも電車で30分程度。子育て世代を中心に県外からの移住者が多いことで知られている。また、移住者の中にはものづくりに従事する人もいて、近年ちょっとした注目を集めている地域だ。

一口にものづくりと言っても、たとえば落合さん夫妻のように作家活動をする人のほか、ギャラリーや飲食業を営む人、デザイナーやライターなどのクリエイター、新規就農者など活動内容は幅広い。10年前、京都市出身の落合さんがこの場所を工房に選んだのはたまたまだったと言うが、自然が身近にあって都市部にも出やすいここでの暮らしは、作業中は孤独に陥りがちな作家生活に良い刺激を与えてくれるので、気に入っているという。


弟子入りはせず、我流で確立した木工作家としての作風

落合さんは、2000年に京都市伝統産業技術者研修漆工本科を修了。2001年からは銘木屋の京都市南区にあった「樹輪舎」が主宰していた木工塾で木工の基礎を学び、さらにその翌年には、木地師の里として知られる滋賀県永源寺町で故・小椋宇三男氏に木工ろくろを習いながら作風の幅を広げていった。

「伝統工芸家の家に生まれたわけではなかったので、知識も道具も持たない状態でこの世界に飛び込みました。また、特定の人のもとに弟子入りをする縁がなかったので、それぞれの場所とたくさんの人から学んだ技術と知識を用いながら、我流で作風をつくってきたと言っていいかもしれません」と振り返る。


塗り椀から盆へ。創作の楽しみが広がった


ちなみに、京都で漆工を学んでいた落合さんは、キャリアをスタートさせたばかりの頃は主に塗り椀をつくっていたという。しかし、いつしか自分のつくる椀に「手詰まり感」を感じるようになったと話す。

理由は、大きさや形、用途がある程度決まっている椀物はオリジナルな個性がつけにくかったからだという。絵付けや塗りを施すことでデザインしていくというよりは、木の個性や質感を生かした表現を追求しようとしていた落合さんは、塗り椀以外の選択肢も探り始める。

そんなとき大きな手がかりとなったのが、樹輪舎で学んだ「刳物(くりもの)」という技法だった。無垢の一枚板をノミやカンナで削り出していく刳物の技を使い、落合さんは色や形、大きさ、そして使う木の種類もさまざまなを生み出していく。

木の種類やそれぞれの特徴、木取りの仕方など、木の性質や扱い方を知っておくことは大切だが、木の盆にはそれ以外の決まり事が比較的少なく、自由度が高い。そこに魅力を見いだし、つくることが以前よりもっと楽しくなったという。


使う人にとっても“自由”な盆

落合さんの木の盆は、作者の落合さん自身にとってそうであるように、使う側にとってもまた自由度が高く、わくわくするアイテムであるようだ。

試しにSNSで「#落合芝地」と検索すると、和食のコース料理風、おうちごはん風、複数の豆皿に料理を少しずつのせたおもてなし風、小さなサイズの盆にケーキとコーヒーをのせたカフェ風、あるいは食事に使うのではなくお気に入りの器をのせて飾っている人や、花瓶に生けた花を飾るトレーづかいをしている人など、非常に多岐にわたるシーンで愛用されていることがわかる。


特別感を演出でき、おもてなしにも活躍する折敷(おしき)にも使えて、自分のための気軽な一人飲みのトレーとしても活躍する。使い方は手にした人次第。そんな自由さが全国にファンを広げているようだ。

デザインのヒントは“古いもの”から


落合さんの盆は、土ものの器日本酒の酒器、和食を盛り付ける竹かごなど和のものを組み合わせると洗練された雰囲気が加わり、リネンクロス洋食器ワイングラスなど洋のテイストを組み合わせると、絶妙な落ち着きが加わる。

そんな汎用性の高いデザインは「古いもの」から思いつくことが多いそうだ。たとえば昔の陶器や古道具、あるいは李朝の陶磁器や工芸品など、木工品以外のものも参考になるという。落合さんの工房から1時間足らずで行ける京都の骨董市にもよく足を運んでは、ヒントを見つけに行くそうだ。


無垢の一枚板を手技で仕上げる

落合さんの作品の持ち味は、丸ノミで手彫りの跡をしっかり残した丁寧な仕上げ。大きな板を必要なサイズに木取りしたり、荒彫りやアウトラインを形成したりといった作業には機械を用いるが、それ以外は手作業で仕上げていく。わずかなゆらぎを感じさせる、人の手でしか出せない「完璧ではない美しさ」が好きだという。

削り方のポイントは「同じテンションで彫ること」。同じリズム、同じ太さ、同じ深さで直線的に彫っていくときれいに仕上がるという。実際に彫るところを見せてもらったが、スッスッと軽やかかつスピーディー。しかし、じつは同じ一枚の板でも硬い部分や柔らかい部分があるため、そのつど力加減を調整しながら彫り進めているそうだ。その作業をひたすら繰り返す。

そう聞くと、単調で根気が求められる作業といった印象を抱いてしまうが、「手は痛くなるけど、不思議と飽きないんです」と落合さんは笑う。彫っていると、木目の模様にだんだんと立体感が出てくるのが面白いのだという。手を動かしながら木と向き合う時間がしんから好きなのが伝わってきた。

そのせいだろうか、落合さんの木の盆を眺め、手に取ったときに感じるのは、心が穏やかさで満たされていく幸福感だ。端正でありながら、どこか優しくあたたかい


木のそのままの質感を残したい


もうひとつ、落合さんの作風において重要なポイントは「木のそのままの個性を生かす」ということだ。

落合さんの木の盆には、クリサクラケヤキミズメキハダタブなどいろいろな種類の木が用いられている。その色合いも、深みのある黒、やわらかなベージュ、焦げ茶、赤みのある茶色、黄味の強い黄土色など、じつに多彩だ。オイル仕上げで木の本来の色を生かす場合もあれば、鉄媒染(てつばいせん)アンモニアスモーク拭漆(ふきうるし)といった仕上げ方で変化をつけることもある。使用する木の種類との相性を考えながら常に新しい方法を取り入れているそうだ。

しかし、どのような仕上げを施すにしても、それぞれの木の個性と表情を引き出すことにはこだわっている。そのため、最も多く用いられているのが、木の本来の色が出やすいオイル仕上げ。漆を使うときも木の質感が隠れてしまわないよう、つややかな漆塗りではなく木地に塗った漆を拭き取って仕上げる拭漆を選ぶことが多い。


割れや節も木の個性


また、木の割れ目など木材の欠陥と見なされがちな部分も、落合さんは作品に生かす。大きな一枚板を木取りして10枚の板が取れた場合、たいてい2~3枚は節や割れのあるものが混ざっているというが、それらを捨ててしまわず、使いたいという。

木の枝の付け根部分にあたる木の節は、製材をして板になったとき円形の模様になって現れる。節の入った板は木の強度が低下し、見た目も悪くなると敬遠されがちだが、落合さんは味があって面白いと言う。実際、節の模様の入った盆を気に入って選んでいく人も少なくないそうだ。

木の割れ目もしかりで、作品のアクセントとして生きるデザインに仕上げていく。汁椀や桶などに比べて、盆は水漏れを気にしなくていいからこそ取り得る手段といえそうだ。


量産できないモノの良さ

今や貴重品となった木材を余すところなく使う制作のスタイルや、精緻な手技でこつこつとつくられた生活の道具の美しさは、情報とモノにあふれた今の時代だからこそ、多くの人に訴える力がある。

全国各地で展覧会を行っている落合さんだが、その案内には作品購入時の点数制限をお願いする文言が添えられている。工程のほとんどを手彫りで仕上げるため、量産が難しいのである。

だから、購入する側も一つひとつの個性と向き合いながら、自分にとっての一枚を見きわめる。そのプロセスが愛着を生み、長く大切に使われていくことは想像に難くない。使い込むうちに色合いに深みが加わり「育つ」楽しさがあるのも天然木ならではだ。

落合さんの手が生み出す、完全ではないけれど確かな美しさの宿った木の盆は、使うたびに幸せな気持ちを生み、慌ただしい日々の中でのささやかなよりどころとなるのではないだろうか。技と時間を重ねながら洗練し続けてきた工芸品が、この時代を生きる人たちに何をもたらしてくれるのか、その一つの答えを見た気がした。

ACCESS

落合芝地 苔岩工房
滋賀県大津市南小松1838-1
URL https://www.instagram.com/shibajiochiai/