地元を中心に愛されていた酒造が全国へ
秋田県五城目町(ごじょうめまち)は秋田市から北へ30キロほどのところにあり、秋田県の中央に位置している人口9000人ほどの小さな町。その中心部を歩くと旧家や古い市があり文化的な香りがただよい、視線を遠くに移せば、緑に包まれた森山が佇み、馬場目川(ばばめがわ)が瀬音を立てる。それは平安時代中期、この地がすでに集落として成り立っていたという、長い歴史によって醸成されたものかもしれない。
江戸期に入ると五城目は阿仁鉱山の物資補給の拠点となり、大いに栄えた。町に活気があふれ始めた1688年(元禄元年)、「福禄寿酒造(ふくろくじゅしゅぞう)」は創業。初めは「どぶろく」製造が主な生業であったという。敷地内に残る上酒蔵と下酒蔵は、1996年に全国登録有形文化財に指定されている。18世紀末に建てられた土蔵造りの上酒蔵は、部材は少ないものの木は太く力強い。秋田県の酒蔵建築の原型とも評されている稀少な建築物で、現在も瓶詰め直前のタンクの貯蔵庫として使われている。代表銘柄には「彦兵衛」、「福禄寿」などがあり地元を中心に長く親しまれてきた酒蔵である。現在の代表である渡邉康衛さんで実に16代目の当主となる。東京の大学で醸造学を勉強したのち、すぐに蔵へもどり、品質や商品価値に重きをおく酒造りを目指すべく、数々の改革を進めてきた。渡邉さんが2006年に誕生させた「一白水成(いっぱくすいせい)」は、それまで大量生産しやすい酒を中心にしてきた福禄寿酒造の酒造りとは一線を画し、生産量を下げても「よい酒をつくりたい」と純米酒づくりにこだわった路線が認められ、全国的に人気を博し、いまでは福禄寿酒造の出荷の半数以上を占めるほどになっている。
五城目の素材で造ることにこだわるお酒
「2021年で333周年。感謝の意味を込めて11月に記念限定酒の販売をスタートしました」。そう笑顔で話す渡邉さんが手に持っていたのは、酒米の「秋田酒こまち」を33.3%まで削り醸した純米大吟醸「333」だ。仕込みの最後の工程となる留仕込みされたのも令和3年3月3日で、出荷も「中取り」が限定333本、「通常搾り」が3333本と、徹底して「3」にこだわった。その味わいはフレッシュかつジューシーな第一印象ながら、派手さはない。落ち着いた優しい余韻が渡邉さんの人柄を現わしているようでどこか親しみがわく。
仕込み水、米、酵母など、酒の味を決めるいくつもの要素があり、いつも悩んでいると渡邉さんは話す。仕込み水は創業時から蔵に引いている豊富な湧き水。カルシウム、マグネシウムを多く含む中硬水でイオンバランスがいい。米は、10年以上前に発足された「五城目町酒米研究会」が栽培する酒造好適米。「美山錦」を筆頭に「美郷錦」「吟の精」そして「秋田酒こまち」の4種類を主に使っているのだそうだ。五城目の水、五城目の米を使い、五城目の人が酒を造るのが福禄寿酒造のこだわりであり、また誇りでもある。2018年には、蔵の斜め向かいにカフェと交流の場を兼ねた「下タ町醸し室HIKOBE」をオープン。「酒蔵見学に来られる方がくつろげるカフェ。メニューには、酒粕チーズケーキや仕込み水コーヒーのほか、福禄寿の利き酒セットもあります」と渡邉さん。かつての箪笥店をリノベーションし、天井が高くゆったりとしたスペースが広がる。コーヒーの器は、五城目の「三温窯」で焼かれたコーヒーカップ。五城目で開窯して約30年になる窯元で、植物の灰が原料の釉薬を使い素朴な風合いの陶器を作っている。
「福禄寿酒造は、五城目で生まれ、五城目に育てられた」。だからこそ蔵だけでなく町全体の活性化を考え、地元の良品を発信し、オール五城目の酒を造る。16代目当主・渡邉康衛さんは、地元愛にあふれた大きな目で、町の未来を見つめ続けている。