全国で愛される王道の日本酒「東洋美人」
山口県萩市にある創業1921(大正10)年の澄川酒造場。代表銘柄「東洋美人」は、程よい甘さをたたえた上品な味わい、スタイリッシュなラベルデザインや名前の美しさも相まって、全国的に人気のある日本酒だ。「東洋美人」とは、初代が亡き妻にあてた想いが込められている、と蔵に伝わっている。
社長兼杜氏の4代目・澄川宜史氏に酒づくりのモットーと聞くと、「王道の日本酒造り」と答えた。現代では多種多様な日本酒が出回り、さまざまなニーズが存在するが、「東洋美人」はあくまでも奇をてらわず、美味しさと品質両面で自らが「100%、満点の酒だ」と自信を持って出せるものであることを強く意識しているという。
澄川氏が実家である澄川酒造場に戻り、「東洋美人」が現在のような人気を得るまでの道のりは順風満帆ではなかった。東京農業大学で醸造を学び、3年生のとき「十四代」を醸す高木酒造に実習に訪れた。当時「十四代」は、同校を卒業した高木顕統氏が当時主流であった淡麗辛口の味わいではなく、フルーティで瑞々しい日本酒をリリースし「日本酒の新時代」を確立し、すでにスター的存在であった。高木酒造で共に酒づくりをする中で、「十四代」の他の追随を許さぬおいしさを知り、経営を立て直そうと必死で、精魂込めた酒造りをする高木氏の姿を目にして、澄川氏は一気に酒造という仕事に魅了された。実家である酒蔵に戻り、自らおいしい酒を造ることを決心したが、当時の澄川酒造場は醸造設備など環境が良いとは決して言えず、経営も厳しい状況におかれていた。
ファンによって復興した東洋美人
それでも高木氏の教えを忠実に守り、丁寧に酒づくりをした。営業にあまり経費をかけられなかったので、澄川氏自ら、酒を担いで夜行バスに乗って東京の酒販店に営業回りするなど、地道な活動を続けた。その甲斐あって、徐々に口コミも広がっていった。名実ともに認められる人気銘柄へと成長。
順調に見えたさなか、2013年に発生した山口・島根豪雨が、澄川酒造場の萩市一帯を襲い、酒蔵の一階部分が土石流に飲まれ流されてしまう。醸造機器の水没や大量の出荷在庫を失うなど甚大な被害を受けたため、廃業も考えるほどの危機に立たされたが、「東洋美人」ファン、関係酒販店、酒造関係者など1500人を超える人々がボランティアで駆けつけたのを見て、一念発起。翌2014年に新蔵を建設した。
多くの方々への感謝ともう一度酒造りができる喜びとを胸に「東洋美人 原点」と名付けた酒を、新蔵で製造しリリース。2015年以降は「東洋美人 ippo」と名を改め(原点からの一歩という意)、いまでも製造販売し続けている。 水害から3年経った2016(平成28)年12月、ロシアのプーチン大統領が来日した際、安倍首相の地元である山口県長門市で行なわれた会談の席で「東洋美人 純米大吟醸 壱番纏」が供され、プーチン大統領から絶賛を受けた。このニュースを見て、澄川酒造場だけでなく多くの応援者たちが沸いた。
澄川氏は今後について「伝統製法を守り、酒質・品質の両立した王道の日本酒を醸造していきたい」と答えてくれた。澄川氏が蔵に戻った当時と比較して約10倍の製造規模になり、年間2500石(一石=一升瓶100本換算)を製造・出荷する中規模の酒蔵へと成長。数々の困難に見舞われながらも、応援され、多くの人から愛され続ける「東洋美人」。事前予約で蔵見学もできるので、おいしさの真髄と不屈の精神にぜひ触れてみて欲しい。