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歴史ある畳文化
「畳は備後表(びんごおもて)に高麗縁(こうらいべり)」といわれるように、日本最高の畳表は備後表とされる。織田信長も安土城に備後表を用い、豊臣秀吉の豊国神社にも備後表が使われたのだとか。
江戸時代には、備後表は幕府にも献納されており、「表奉行(おもてぶぎょう)」や「畳表改役(たたみおもてあらためやく)」などが任じられて保護統制が敷かれるほど大切にされていた。そして、備後福山藩の重要な財源でもあった。これほど重要な扱いだったため、当然、藩お抱えの畳師も存在した。
その江戸初期からの秘伝を受け継ぐ畳師が、ここ福山市に今もいる。福山藩祖・水野勝成公のお抱え畳師・横山流17代を継ぐ寺岡製畳工場の寺岡常吉さんだ。
手仕事を続ける
江戸時代の畳は手縫いである。
現代では機械縫いがほとんどで、手縫いの表は広島でもわずか数名の古老に受け継がれるのみになってしまった。
寺岡さんはその手縫いの畳職人の1人だ。先代の16代は、京都大徳寺や福山城湯殿、表千家不審庵等の畳を手がけ、畳づくりの技では人間国宝級と讃えられた人物。
父からの技術を受け継いだ寺岡さんも、全国の有名な寺、書院などの畳を手がけ、卓越した技術を誇っている。
日本の伝統文化には、畳はなくてはらないもの。茶道も華道も書道も柔道も、畳なしでは成り立たない。畳は、いわば日本文化の基礎なのだ。そんななかで、手縫いの畳と畳師は今や貴重な存在である。