鳥越竹細工ってどんなもの?
「鳥越竹細工は1000年も続いている工芸品だと言われています」。そう教えてくれたのは、岩手県二戸郡一戸町の鳥越地区で鳥越竹細工を制作している柴田恵さん。鳥越観音を開山した僧が伝えたとされ、その起源は平安に遡ると言われている。
鳥越竹細工は地元に自生する「すず竹」といわれる細い竹を四等分に割り肉をそぎ、しっかりと編み込んでいくことで強さを出す。今も昔も変わらず、かご、ざる、行李など日用の「道具」を主に作る、生活に密着した工芸品だ。また、使い込むことで独特の色つや、風合いがでることでファンやリピーターも多い。
時代によって変化するもの
だが、作り手は若い人がなかなか増えず、高齢化しているということを柴田さんは危惧していた。「趣味として習いに来てくれる人は増えたんですが、仕事にするというとなかなか…。だからもっともっと若い世代にも広げていきたい」と柴田さんはいう。
そのためにも現代の生活に合わせたデザインが必要になる。どのあたりが変わってきたのかと中田が聞くと「これまで丸いかごっていうと本当に丸いものしかなかったんです。でも現代の台所の形にあわせて楕円形のかごも作るようになった」と柴田さんは答えてくれた。またほかの素材と組み合わせるということもしていきたいという。
「ただそのあたりのプロではないのでなかなか難しい。ほかの漆や木工の人たちとも一緒にやりたいねって話しています」
その話を受けて、中田もいろいろなアイディアを出す。
「基本的には丸いものが多いですよね。とがった角をいっぱいつけることもできますか?」
「なるほどね。でも、この技術では難しいかも」
「あとは食器籠を下の籠、上の籠で重ねられるようにするとか。下に茶碗を置いて、上にお箸をおけるように。網目の大きさを変えて、組み合わせられるようにバリエーションを作るとか」
「それはすごくいいですね。こうやって話すとこちらが考えもしないこと、やらないことっていうのがいっぱいでてきて楽しい。ぜひ作ってみますよ。ぜひお送りします」
鳥越竹細工の作り手がいなくなるのは寂しい
古くは農家の農閑期の副収入としての作業という立ち位置でもあった鳥越竹細工。農家の貴重な現金収入源であったのだ。それが江戸時代頃には特産品として注目されるようになったが、柴田さんによれば、「やっぱり農家で冬だけ作っていました。ほとんどの家庭で作っていたんではないでしょうか」という。
柴田さんは生まれも育ちも鳥越。だから鳥越竹細工は身近にあったということだ。小さな頃から母が作るのを見ていたという。ただし「教えてくれなかったんですよね。作業が忙しくて、そんな暇がないんですよ」という。その母が病気で倒れ、家の中に作り手がいなくなるのが寂しいと思い、自分でがむしゃらになって作り方を覚えたのだという。
古くから伝わる暮らしの道具、地域に根付いた工芸品がいまどのくらい私たちの身の回りにあるのだろうか。岩手の県北の小さな集落で、いまも1000年の歴史を持つ竹細工が受け継がれていた。