「平和な時代」で酒造りをしたい
「平和酒造」の創業は1928年。その名前に「平和」の文字が入っているのには理由がある。
創業以来、丁寧な酒造りで人気を博してきた平和酒造だが、太平洋大戦が始まると、戦局から休業を余儀なくされた。しかし戦争が終わったあとも、国から酒造免許の再開を許されることはなかった。
そこで二代目であった山本保正さんが、国会で休業蔵再開の陳情演説を行ったのだ。戦争により蔵を閉めることになった無念さ、そして戦後という「平和な時代」で酒造りをしたいという希望を切々と語った。その情熱に多くの人々が感銘を受け、ようやく再開の許可が出たという。
そこで、蔵の再開にあたって名前に「平和」の文字を冠したのだ。
和歌山の味を醸し出すこだわり
ところが、再開後もとんとん拍子というわけではなかった。長い間、大手酒造メーカーの桶売り蔵として、細々と酒造りを続けるしかない状態が続き、苦労したという。それでも酒造りへの情熱は捨てず、平成に入りようやくその味が認められるようになった。その原動力となったのが、「地元」にとことんこだわる気持ち。
果樹王国の和歌山県は、じつは稲作はあまり盛んではない。農作物の半分以上が果樹で、農地に対する水田の比率は非常に低いのである。そんな和歌山県にあり、平和酒造のある溝ノ口は、古くから稲作を中心としてきた土地だ。それゆえ、県産米にこだわり、和歌山産の酵母にもこだわってきた。
平和酒造では現在、自社田での山田錦作りも行っている。蔵元では、地元への感謝の念を込めて、季節になると、手植えや稲刈りのイベントを開催している。子どもや地域の人々がたくさん集まり、田んぼはにぎやかな笑い声に包まれるという。