200年の歴史を持つ清元節
清元節は、もともと浄瑠璃の流派として1814年に創設された。初代清元延寿太夫が江戸にあった歌舞伎の市村座の顔見世に出演して、清元を名乗るようになったのが始まりだ。以後、歌舞伎の伴奏音楽としても発達していく。その特徴は豊後節から派生した叙情的な風情だ。
江戸浄瑠璃といえば清元というほどに、その音楽は広く浸透していった。
そのように本来は劇に付随する音楽であるのだが、歌舞伎の所作事の音楽としても愛され、また純粋に清元そのものを鑑賞するという向きもでてきた。
それほどに、洗練された音曲を奏でるのが、200年の歴史を持つ清元節だ。
唄を引き立てる
お話を伺ったのは清元節の清元榮三さん。清元三味線で2003年に重要無形文化財保持者の認定を受けた方だ。
子どものころに聞いた清元三味線の音色に憧れ、1951年15歳のときに三世清元榮次郎(後の清元榮壽郎)のもとに入門。その2年後に初舞台を踏む。芸術祭賞を始め、数々の賞を受賞している。
榮三さんに三味線の話をしてもらうと最初にこんな言葉が出た。
「清元の三味線は唄を引き立てるものだと思っています。だから三味線が主導になって演奏する長唄とは少し異なります。そして民謡、たとえば津軽じょんがら節のような演奏とも違う。清元の三味線は、太夫に何としてもいい唄を出させようと奏でるのです。自分たちはいつもそう思っています」
三味線と唄が会話する
今回は演奏を披露してくれるという。取材のご相談をした際に、榮三さんは弟の清元美寿太夫さんもいっしょにと誘ってくれた。美寿太夫さんはそのお名前からもわかるように太夫、つまり唄を担当する方だ。目の前でその演奏が聞けるというのは、ものすごく貴重な時間。
演目は『三千歳(みちとせ) 忍逢春雪解(しのびあうはるのゆきどけ)』。
流麗な音楽に耳を奪われる。「お話自体が清元のおはこ」と言い、情景も説明してくれる。演奏を聴き、その世界に引き込まれてしまった。聴き終わって中田がこう言った。
「三味線が唄を引き立てるとおっしゃっていましたが、その意味がわかった気がします。まるで会話をしてるように聞こえました」
「三味線は唄に合わせてと言ったけど、唄もムードを出すんですよ。三味線がこうきているから、唄はこう入るというふうにね。まさに会話ですね」榮三さんはそう語ってくれた。