役行者、弘法大師も修行を行った場所
映画化もされた、内田康夫の浅見光彦シリーズ『天河伝説殺人事件』をご存知の方も多いだろう。その舞台となったのが、「天河神社」こと、「天河大辨財天社」である。
室町時代から江戸の初期まで約150年をかけて、三代の筆者により興福寺で書きつづられた「多聞院日記(たもんいんにっき)」という文献によれば、その草創は飛鳥時代らしい。
修験道の開祖である役行者(えんのぎょうじゃ)が、大峰山を開山する前に修業し、その最高峰である弥山(みせん)の神を祀ったのが始まりとされている。また、のちには弘法大師が高野山の開山前に修業した場所ともされ、社には弘法大師の遺品も残っているという。
さきに挙げた『天河伝説殺人事件』ではストーリーのなかで、能が重要なキーワードになるのだが、事実、天河大辨財天社は能と深い関係のある神社でもある。
能や芸能に深い関わりをもつ神社
悪霊を鎮めたり、祖先の霊を祀るために古くから田楽を行っていたため、天河大辨財天社は芸能の神として尊崇を集めていた。能を大成した観阿弥の末裔である観世十郎元雅も願をかけに能を奉納し、そのとき使用した面を寄進したという。その後も平和の神、芸道の神として信仰を集め、数々の能などの奉納が行われた。
面などの寄進もあとを絶えず、現在天河大辨財天社に残っている道具は国内のみならず海外の美術館からも出展のオファーが絶えないという。
天河大辨財天社では辨財天拝殿と能舞台を含めて「妙音院」と呼んでいる。それは辨財天が「妙音天」とも呼ばれるから。妙音天とは、琵琶を弾く弁財天のこと。天河大辨財天社は妙なる音楽の響く神社なのだ。