問いを重ね、灯りをつなぐ。「山鹿灯籠の店 なかしま」中島弘敬さん/熊本県山鹿市

「よへほ〜、よへほ〜」。民謡・よへほ節に合わせ、約千人の女性たちが優雅に舞う「山鹿灯籠(やまがとうろう)まつり」。踊り手の頭上にゆらめく明かりの正体は、伝統工芸品である山鹿灯籠。中島弘敬さんは山鹿灯籠師の系譜を継ぐ4代目。伝統を礎に、時代に合わせて変化していくことも厭わない。

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踊り手の頭上にゆらめく幻想的な明かりは伝統工芸品

————骨もなけれど 肉もなし よへほ よへほ————

民謡・よへほ節に合わせ、約千人の女性たちが体をしなやかに動かして優雅に舞う「山鹿灯籠まつり」。毎年8月に開催され、例年約10万人以上が来場する、山鹿市の一大イベントだ。深い霧の中で道に迷った第12代景行天皇を、山鹿の里人たちが松明を頭上に掲げて案内したことが祭りの起源と伝わる。​​夜の闇の中、踊り手の頭上にゆらめく幻想的な明かりの正体は、伝統工芸品である山鹿灯籠の一種「金灯籠」。遠目では金属製に見えるが、実は紙製。木や金具は一切使わず、和紙と少量の糊だけで立体的に組み上げられており、重さはたったの約180グラムしかない。紙製とは思えない見た目の重厚さや豪華さを実現するためには精巧な技術を要し、「灯籠師」と呼ばれる職人が制作を担う。

中島弘敬さんは100年以上続く灯籠師の家系の4代目。曽祖父と祖父の代では灯籠師と時計屋を兼業していたが、父親の代から灯籠師一本となり、豊前街道沿いで灯籠専門店「山鹿灯籠の店 なかしま」を営んでいる。中島さんは灯籠師の家系の次男として生まれ、33歳までサラリーマンだった。だが、兄弟の誰一人として実家を継ぐ者がいなければ技術が途絶えてしまうと一念発起。父親の弟子となり、灯籠師の道に入って今に至る。

異業種から転職し、師匠である父のもとで技術を習得した

異業種からの転職は簡単ではなかった。幼い頃から父親の制作の様子を間近に見ており、転職前から修行はしていたものの、伝統工芸士の技術はそうやすやすと習得できるものではない。山鹿灯籠の制作は細かい作業の連続で、指先は痛み、目は疲れ、肩は凝る。並大抵ではない集中力と根気が必要だ。しかも、師匠である父親からは容赦なくダメ出しを受ける。「だけど、今思えば息子だからといって甘やかすことなく、一人の弟子として扱ってくれた父に感謝しています」と中島さんは言う。灯籠師を名乗るには、約10年の修行を積み、他の灯籠師たちから技術を認められる必要がある。中島さんが認定を受けたのは2017年、40代になってからのことだった。

山鹿灯籠には前述の金灯籠を筆頭に、神殿や楼門、五重塔といった神社仏閣建築を題材とする「宮造り」、伝統的な日本家屋を模した「座敷造り」など、伝統的な様式がある。加えて、灯籠師自身が編み出した作品も多く、多彩で、種類が豊富だ。これらは主に、後述する「奉納灯籠」に用いられ、灯りをつけない仕様のものもある。ほか、地元の家庭では初盆の提灯代わりに飾られることも多く、家紋入りのオーダーメイドにも対応する。

山鹿灯籠の条件は「手漉き和紙と糊のみを使用すること」「灯籠の主な部材は空洞とすること」「曲線部分にのりしろを作らないこと」の3つ。だから、勧進帳の弁慶や電車、戦艦などが作られた例もあり、自由で多様だ。その中でも金灯籠が注視されるのは、山鹿灯籠まつりのシンボルというだけでなく、灯籠師の登竜門的様式だからだろう。灯籠師に必要とされる技術が集約されており、金灯籠を完成させてこそ、認定の第一歩とされている。

地域社会の営みに深く根差した伝統工芸

金灯籠の制作は、ミリ単位での作業が延々と続く。図面を写した厚手の和紙をカットし、組み立てる。言葉にするとたったこれだけだが、内部が空洞で骨組みがないため、和紙の貼り合わせのみで形を保ち、強度を担保しなければならない。だから山鹿灯籠は「骨なし灯籠」との異名を持つ。これが冒頭の民謡で「骨もなけれど 肉もなし」と唄われる所以である。

骨も肉もないから、和紙の貼り合わせがわずかにずれるだけで、崩れる。そして、ぴったりと貼り合わせるためには、和紙を寸分の狂いもなくカットしてあることが前提だ。金灯籠はおよそ200のパーツから成り、準備から完成まで3日ほどかかる。「山鹿灯籠を制作するには、集中力を欠くことなくやり遂げる根気が必要」との中島さんの言葉に、改めて頷く。

こうして作られた灯籠は踊り手の頭上に載せられるほか、奉納灯籠にも用いられる。奉納灯籠とは、祭りのために町内会などの団体ごとに灯籠師に依頼して作る灯籠のことで、祭り期間の展示を終えると地元の「大宮神社」に奉納することからこの名が付いた。形状などに規定はなく、モチーフは団体と灯籠師の相談で決まる。毎年27〜28基が作られ、奉納後は神社内にある「燈籠殿」で保管・展示。1年後の8月に新しい灯籠と入れ替えられる。「毎年のことですが、依頼主から喜んでもらえることが本当に嬉しい。頑張ってよかった、と報われる瞬間です」と中島さんは言う。

伝統を未来につなぐためには“問い”が必要

山鹿灯籠は約2000年前、第12代景行天皇が筑紫路巡幸の際に深い霧に進路を阻まれた際、山鹿の人々が松明(たいまつ)で案内したことが発端と伝わる。その後、人々は景行天皇を祀る大宮神社に松明を奉納し続け、室町時代に松明が山鹿灯籠へと変わったという。そして、江戸時代には町の有力者たちが奉納灯籠の豪華さを競い合うようになり、山鹿灯籠の文化が花開いたというわけだ。

現在、現役の灯籠師は全体で7名。うち5名が女性で、2名が男性、50〜60代が中心だ。認定を目指す見習いは3名いる。灯籠師の数はここ数十年横ばい状態だが、見習いは全員が20代で、中島さんは「山鹿灯籠の未来は決して楽観できる状況ではないが、悲観するほどでもない」と考えている。ただし、伝統を未来につなぐためには“問い”が必要、とも。

「祭だけでなく、伝統工芸品として購入し、日常的に使ってもらえるシーンを増やしたい。使用環境が限られていては、先細りしていくだけだ。そのためにはどんなものが売れるのか、消費者に山鹿灯籠を身近に感じてもらうためにはどうしたらいいのか……」。

中島さんは、常に問いを抱くことで、新しいものを世に出していこうとしている。「時代の変化やニーズに合わせて少しずつアップデートしていくことで、守れる伝統もあるはずです」。問いを抱きながら灯籠を作り続けること。その積み重ねが、山鹿の灯りを次の時代へとつないでいく。

ACCESS

山鹿灯籠の店 なかしま
熊本県山鹿市山鹿1588
TEL 0968-43-2659
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