鮮やかで大胆な配色と図柄、沖縄にいにしえから伝わる染めの技術である琉球紅型(びんがた)。紅型は、琉球王朝の王族の着用品として仕立てられ献上されていた。那覇にある知念紅型研究所の10代目当主・知念冬馬(とうま)さんは、新しい風を吹き込みながら紅型と日々向き合っている。
王族に紅型を献上していた、紅型三宗家のうちの一家

沖縄に伝わる伝統工芸で、唯一の染め物である紅型。古くは、着用品として琉球王朝の王族のためだけに作られていたものだが、現在は着物や帯、小物などに施され、広く親しまれている。もともとは、「びんがた」と、平仮名表記だったけれど、昭和に入り漢字で紅型と表されるようになったのだそう。
今から120年ほど前までの琉球王朝時代、王族への献上品として紅型を仕立てていたのは、紅型三宗家といわれた城間家、沢岻(たくし)家、そしてこちらの知念家だ。
大戦による紅型の衰退と復興
ところが、廃藩置県や薩摩侵攻などにより王制が解体され、450年ほど代々続いた仕事がなくなってしまった。生業としては継続できないけれど、紅型の技術を途絶えさせてはならないと、明治以降もどうにか制作を続けた家もあった。知念家は他の仕事で生計を立てながら、紅型の道具や資料を大事に守り続けた。時が経ち、昭和の戦後復興の沖縄で、冬馬さんの祖父・貞男さんが紅型を続けていた親戚に知念の紅型を教わり家業として復活させた。
職人たちは、舞踊の琉装やお土産品として紅型の制作をはじめ、沖縄の工芸として復興させていった。1972年頃から、本土から和装として注文が入るようになり紅型界にも活気が戻ってきた。そうして1984年には、「琉球びんがた」として経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定されている。
歴史ある琉球紅型を受け継ぐ10代目

那覇空港からほど近い場所に工房を構える知念紅型研究所。現在の当主、知念冬馬さんは、京都でグラフィックデザインの勉強をし、大阪でデザイナーとして働いた後に、アートを深めるためにイタリア・ミラノへと留学した。そこで芸術作品や当たり前に残る歴史ある建物などを日常的に目にするなかで、「自分も、消費されずに残っていくものづくりがしたい。自分の世界を表現したい」という思いがかたまったという。いつかは継ぐつもりでいた家業の紅型、自分が行き着いた想いにぴったりだった。
その決意を胸に沖縄へ戻り、知念紅型研究所で紅型と向き合う日々が始まった。22歳での帰郷は考えていたよりも早かったが、まずは自身の技術を磨くことを第一に考えれば最良の選択だった。しかし、その矢先、これまで工房を守っていた祖父が急逝し、工房に入って数ヶ月で経営まで自分が行わなくてはならなくなった。その数年、本当に必死だったと振り返る。
知念さんは、2021年には日本伝統工芸展日本工芸会の新人賞を受けるなど、いくつもの賞を受賞している。また現在は、琉球びんがた普及伝承コンソーシアムの理事、琉球びんがた事業協同組合の副理事を務めている。
沖縄独特の紅型が生まれる工程
紅型の製作には、デザインをした図案を彫った型紙を用いる。その型紙を生地にあて、上から防染糊(ぼうせんのり)を塗る。乾かし、糊ののっていない箇所に段階的に顔料(がんりょう)を染め重ねる。次は染めた部分に糊をのせ、最後にそれ以外の地色を染める。色を定着させるため、蒸して水洗いをし乾かして完成だ。大まかに説明するとこうだけれど、きちんとわけると完成までに10以上もの工程がある。
生地の素材に決まりはないが、絹や綿などが用いられることが多い。しばりがない分、多種多様な染め方ができるのだそうだ。

藍色がきれいなこの図柄は「アメフィーバナ」。沖縄の言葉で雨降り花の意味で、ノアサガオが描かれている。地の青の部分は琉球藍で染められている。琉球藍は本土の藍よりも、青みが強く深みがあるという特徴を持つ。
背景の地色は植物などから得る天然の染料、柄自体には顔料を用い、発色の強い顔料で紅型の力強さを表現する。染料は水溶性で生地の内部まで入り込むため下地に馴染んだ色となり、顔料は粒子として表面に付着するため、鮮やかな色が表現できる。それぞれの性質を活かした色彩のコントラストがこだわりだ。
知念さんは「顔料が表に出てきて、柔らかさのある染料は少し後ろに下がるんです。それでメリハリのある立体感が生まれて奥深い作品に仕上がっていきます」と語る。さまざまな顔料を使い、色自体もそれぞれの図案ごとに配合していく。
沖縄に戻り、本格的に紅型を始めた当初は、祖父のデザインとは違った、自分オリジナルのものを作りたいという意識が強く、実際いろいろ挑戦してきたけれど、様々な日々の制作を重ねていくごとに、代々伝わる図柄の染めやすさとか、色をつけた時の美しさなどに気づくことも多かったという。
昔から好まれる古典の柄は変わらず好きな人も多いので、歴史ある古典の柄は作り続け、それに加え、若い人たちも親しみやすいようなモダンな柄も意識し、時代の移り変わりとともに長く愛してもらえるような商品を制作する。

型置きという、型紙を置き、防染糊をヘラで塗っていく作業を行う。糊でマスキングし、この後に染める染料の色が染まらないようにするためだ。糊をすくい、均等にのばし、そっと型紙をはがし、柄がきちんとつながるように隣に型紙を置く。スピードが遅いと、すぐそばから乾燥して目詰まりしたり、紙を剥がすと穴だらけになってしまったりするのだそう。知念さんの所作は、流れるようになめらか。この作業は、沖縄に戻ってきた年は1日に生地1本しかできなかったのが、今では1日に15本もできるのだとか。

もち米やぬかで手作りする防染糊には青い顔料を混ぜている。そうすることによって、後の地染めの時の発色がよくなるのだそうだ。

細かい色をのせていく「色差し」は2本の筆を同時に持って行う。つけ筆で顔料をのせていき、刷り筆で粒子の粗い顔料を生地に浸透しやすくするために刷り込んでいく。その次の工程では、模様のイメージを強調させるために、さらに色を差しながら筆でぼかしを入れ、ここでも立体感を出していく。

筆も、幾種類もあり、生地によって使うものを変える。道具は手作りのものも多い。
倍の手間がかかる大作、朧型を毎年手がける

「花降る島」と名付けられたこちらの着物は、異なる図柄の型紙を2枚重ねて染める朧型という技法で作られている。2倍の手間がかかり、高い技術が求められるので、手をつける人は多くはないのだそう。労力はかかるけれど、知念さんはこの朧型が好きで度々手がけるのだそう。この生地は近くの南風原町で作られた、シルクの薄い生地である壁上布が用いられている。
SNSでの発信で紅型ファンを増やす
異業種とのコラボレーションも積極的に行っていて、地元のやきものに紅型の柄を転写させたり、泡盛のラベルデザインに紅型を施したりなどと、沖縄の特産品同士のコラボも手がけている。染め物に興味がない人にも見てもらえる機会となるし、もちろんその逆もあると考える。
現在知念さんは、SNSでの発信を積極的に行っている。制作の工程を動画で紹介したりと、紅型に興味を持ってもらえるような投稿をしている。投稿だけでなく、動画の編集もすべて知念さんが行っているそう。

その効果か、実際、工房を見学に訪れる人の数は増え続けていて、紅型を知らなかった全国の若い世代にもSNSでの発信を見てもらえている様子。
それから、製品を扱ってもらっている本土の呉服屋さんには度々出向いている。接客もしながら、地元沖縄とはまた違った、その土地ごとのお客さんの好みなどを直接聞くことができる。それを持ち帰り制作に活かすことも多い。
現在、知念紅型研究所では、熟練の職人から、紅型職人を目指してやってきた若手まで10人ほどが勤めていて、それぞれの持ち場できびきびと手を動かしている。
琉球紅型の未来を見据えて
「文化だからとか、伝統だからとか、特別なことじゃなくて、仕事として続けていく。それが歴史文化になっていくと思う」という知念さんの言葉からは、これからの琉球紅型を見据え、背負う覚悟のようなものが感じられる。
「楽しくないと続かないし、難しさがあるからあきずに新しい挑戦ができる。スタッフたちにも自分がチャレンジしていく姿を見せていきたいし、これからも自分を追い込みながら、現代における紅型というものを作っていきたい」とまっすぐな思いが発せられる。
この先も琉球紅型が発展し続けるように継承を続けながら、軽やかにストイックに挑戦を続け、琉球紅型界を明るく牽引してくれるだろう。



