群馬県の南西部に位置し、埼玉県と接する藤岡市にある「松屋酒造株式会社」。酒造りに適した御荷鉾山系(みかぼさんけい)から湧き出す神流川(かんながわ)や鮎川(あゆかわ)の伏流水を使った日本酒「流輝(るか)」は、杜氏である6代目蔵元 松原広幸(まつばら ひろゆき)社長の熱意が造り上げたオリジナルの日本酒として注目されている。
6代目が思い描く、新しい群馬の酒

西部は山岳地帯、東部は関東平野が広がる温暖な気候の群馬県藤岡市。ここで1951年から日本酒を製造している「松屋酒造」は、元々、江戸時代に富山県で米問屋として創業し、明治時代の後期から酒造りを始めた歴史がある。その後、大きな市場である東京に近く、自然環境にも恵まれた群馬県藤岡市に蔵を移し、群馬という土地に合った酒造りを行ってきた。先代の杜氏が高齢のために引退してからは、6代目蔵元 松原広幸社長が自ら杜氏となり製造に携わっている。製造量250石ほどの小さな酒蔵が造り出す、すべて小仕込みで昔ながらの手造りにこだわった日本酒は、時代に合わせた現代的なアプローチで新しい群馬の酒を提案している。
長男の役割を果たすため、地元に戻り6代目に

酒蔵で生まれ育った松原さんだが、子供の頃は酒造りにあまり興味が持てず、大学卒業後はファッションの道を志してストリートブランドで働き始める。2008年、アパレルの仕事を一通り覚え、自分の中でファッションに対する気持ちが一段落した28歳のとき、長男である自覚とともに実家に戻り、家業の酒蔵を継ぐ決断をする。
「一度は家業とは違うことがやりたいと家を飛び出しましたが、自分が長男であることもあり、家業を継ぐことにしました。外の世界で自分の好きなことをやりきったという充実感もあったので、実家に戻って頑張ってみようと素直に思えました」
しかし当時は焼酎ブームの真只中。酒蔵では選挙や結婚式など、祝い事のときに使われる清酒をメインに造っていたが、それだけではいずれ経営が難しくなると感じた松原さん。自分が酒蔵を継ぐからには、飲食店でも扱ってもらえるような酒を造りたいと思い、蔵でオリジナルの酒を造ろうと考えを巡らせるようになる。
時代に合った群馬の酒を造りたい

松屋酒造に入社し、蔵で一から酒造りを学び始めた松原さん。同時にオリジナルの日本酒を造るために、通称「赤煉瓦酒造工場」と呼ばれる、日本の酒造りの発展に貢献してきた東京・王子にある醸造試験所(現在の独立行政法人 酒類総合研究所)に勉強に行ったり、群馬県の技術者交流会で先輩杜氏から学んだりしながら情報を集めていった。
「当時、自分より上の世代では辛口のお酒が好まれており、周りの酒蔵でも多く造られていました。しかし技術者交流会でお世話になった先輩方や、自分と同じ若い世代の造り手が増えるにつれ、市場で好まれるお酒の傾向にも変化が出てきました。私の好きな、フルーティーで香りのあるお酒が注目されるようになってきたのです」
時代に合った酒を模索するなか、尊敬する杜氏にすすめられた飲食店に行き、本を読み、積極的にアドバイスを聞いて回った。そのなかで「マーケティングも大事だが、最後は自分の気持ちが大切」というアドバイスをもらい、人気になりつつあったフルーティーでフレッシュ感のある酒で、自分が飲みたいと思う味わいの酒を造ろうと決意する。
子供の名前候補から銘柄名を決める

オリジナルで酒を造るなら、香りがあってフルーティーな、自分が憧れている酒に近づけようと決めた松原さん。自分が飲んで衝撃を受けた「十四代」や「鳳凰美田(ほうおうびでん)」のような味わいをイメージし、試行錯誤しながら理想に近づけていった。そうして造った酒を販売店に持って行ったところ、松屋酒造から新しく出す銘柄ならばブランディングからしっかりと考えた方がいいとアドバイスされたという。
「その頃、ちょうど子供が生まれた時期で、子供につけるつもりで考えていた名前の中から、“流れ輝く”という、造りたいお酒のイメージにぴったりな名前があり、新しいお酒の銘柄名を“流輝”と名づけました」
今まで造ってきた「當選」や「平井城」という銘柄に加え、新たに「流輝」と命名し、蔵としてブランドを立ち上げた。「流輝」のラベルの文字は松原さん自身が思いを込めて、何千回も書いて作ったものだという。
水の良さを活かした酒造り

「流輝」を造る際、松原さんが最初にイメージした特徴は、香りを楽しんでもらう酒だった。しかし藤岡で造る酒は、思っていたほど香りが出ない。それでいて少し柑橘のような、酸のある酒に仕上がるという。
「このあたりは西毛地区という地域で、うちでは神流川、鮎川の地下水に井戸を掘り、仕込み水に使っています。ドイツ硬度で6くらいの、非常に柔らかい水になります。お米は山田錦を中心に新潟の五百万石など、蔵に適した酒米を使用しています」
最初はなかなか自分のイメージする酒を造ることができず苦労した。さまざまなデータから米や酵母を変え、水との相性などを繰り返し実験するうちに、少しずつ酒の味に変化が見られるようになる。自分が造りたい、香りがあってフルーティーな酒とは違ったが、藤岡という土地が生み出す、香りが控えめで少し柑橘のような酸のある酒という特徴が見えてきた。今ではその個性を最大限に生かす方向で「流輝」を造ろうと考えている。
同じルーティンで作る酒

松屋酒造はパートを含め、5人の従業員で酒造りを行なう小さな酒蔵である。人数が少ない分、製造期間を長く取り、いつ何をするか、毎年同じルーティンでやっていくことを意識し、酒造りにおけるリズムを大切にしている。
「従業員は少ないですが、より高品質な酒造りを目指し、伝統的な手造り製法にこだわって小仕込みで生産しています。特に搾りは、引き継いできた昔ながらの機械でゆっくりと圧をかけながら搾ることで、きれいでやさしい酒質を生み出しています」
酒の味わいに影響が出やすい麹造りは、昔ながらの技法を採用している。蒸した酒米を屋外でさらし、風を当てて水分を蒸発させながら、狙った温度にコントロールしていく。醪(もろみ)の発酵を低温でゆっくりと進めるために、50時間以上かけて米の中心部まで菌糸が達する状態の突き破精(つきはぜ)にして、酒質に合ったきれいな麹を造っている。
流行に左右されない昔ながらの麹造りと、組み合わせによる味わいの変化で洗練された日本酒を追求していこうと考えるようになる。
飲食店で扱ってもらえる酒を造る

「流輝」をブランディングするにあたり、「飲食店で扱われたい」という思いが強かったという松原さん。造った酒の販売についても、今までの蔵のやり方とは違ったアプローチで販売を試みる。
「“流輝”の販売は、特約店のみの限定流通にしようと考えました。しっかりと売っていただける販売店さんだけを選んで、今も取引しています」
限定流通にはブランドの価値を上げ、差別化できるというメリットがある。しかし、販売店に認めてもらえなければ市場に出すことができないというデメリットもある。
「流輝」を立ち上げたばかりの頃は認めてくれる販売店も少なく、「もっと勉強してこい」と追い返されることもあったという。なかには「3年通ってようやく置いてもらえた販売店もありました」と松原さん。
自分で工夫し造りあげた銘柄「流輝」

フレッシュ感を残したフルーティーな味わいで、口の中で流れるように輝くことをイメージして造った「流輝」は、名前が意味する味わいに仕上がりつつあるという。
「まだまだ足りないところはありますが、“流輝”を造り始めて17年が経ち、自分が目指す酒に50パーセントくらいは近づけたのではないかと思っています。だんだん良くなっていると思うのですが、ここからさらに50パーセント上げるには、今の自分の実力以上の経験やアイデア、さらなる努力が必要になってくると思っています」
松屋酒造を継いだ2年後に立ち上げた銘柄「流輝」は、松原さんの狙い通り飲食店を中心に人気となり、今では一般の方にもファンが拡大しつつある。松原さんが杜氏になってから、ずっと向き合ってきたオリジナル銘柄を一から生み出した経験は、松屋酒造が長年造り続けているほかの酒にも良い影響を及ぼし、小さな蔵の未来を明るく照らし始めた。