群馬県高崎市内の自宅兼工房で、日常使いの器類を作りながらアート作品も製作しているガラス作家の河野千種さん。河野さんはガラス製作ではめずらしい、バーナーワークという手法を用いて創作活動を行っている。薄く繊細なガラスの器と、その表面に描かれるモチーフを点と線で表現する河野さんの作品は、オリジナリティーあふれる作品として注目されている。
ガラス作家として独立するまで
群馬県で生まれ育ち、現在は高崎市に工房を構えるガラス作家の河野千種さん。そもそもガラスに興味を持ったきっかけが、「本多孝好さんの短編小説に出てくるガラス作家に憧れて、ガラス作家になりたいと思った」からだという。
その後、テレビでガラス製作の特集を見る機会があり、ガラスへの興味が加速していく。
家族をはじめ、回りにガラスはおろかアートに携わる人間はおらず、どうしたらガラス作家になれるかわからなかったため、ガラス工芸が学べる美大を目指し、多摩美術大学に入学した。
基礎を学び、やりたいことが見えてきた大学時代
在学中は誰かに師事した訳ではなく、いろいろな人に教わりながらガラスを学んでいったという河野さん。ガラス工芸というと息を吹き込んで形成する宙吹きや型吹きなどの吹きガラスや、グラインダーでガラスの表面を切削して文様を表現するカットグラスのイメージがある。しかし河野さんは、酸素バーナーでガラス管を熱して作品を作るバーナーワークという手法に興味を持ち、さまざまな人に教わっては自分で試してやり方を模索していったという。
当時、通っていた大学にバーナーワークを常駐で教える講師がいなかったため、休みの度に大学以外のワークショップなどに通い、そこで学んだことを元に自分なりに試行錯誤して作品を作り続けた。
金沢卯辰山工芸工房で学んだ3年間
2013年、多摩美術大学大学院博士前期課程ガラス工芸領域を修了後、一度は就職するも「もう一度、本腰を入れてガラスを製作したい」と創作活動を再開する。そんなとき、古くから工芸の街として知られる金沢で、優れた伝統工芸の継承発展と文化振興を図るための総合機関である、金沢卯辰山工芸工房の技術研修者に応募し、見事合格した。
「工房での3年間は、創作をしながら展示の機会を与えていただいたり、作品の販売をしたりと、本当に貴重な体験をたくさんさせていただきました」と河野さん。
さまざまな経験を経て視野が広がり、今までの創作活動に工房での経験が加わったことで、作品に対して少しずつ反響が得られるようになっていく。工房での3年間が終わる頃には自分の進みたい方向性も決まり、ガラス作家としての生活がスタートした。
バーナーワークの難しさ
自分の作風を確立し、イメージを形にできるようになるまでトライ&エラーを繰り返してきた河野さんは、バーナーワークで器を作るという独自の手法を編み出し、表面に植物を中心としたモチーフをガラスで描き、独自の世界観を作り上げていく。
「デザインが決まったら土台となる器を作るために、筒状の細いガラス管を両手で持てるように自分で加工します」
バーナーワークでの器作りは、150cmのガラス管を使いやすい長さに切り、火で溶かして加工し、材料としてのガラスを自分で下ごしらえするところからスタートする。
一般的なガラスの器作りの大半を占める吹きガラスでは、ガラスを溶かす溶解炉や長い吹き竿に息を吹き込んで形成するため、制作にはかなりの広さが必要となり、大きな工房や専用の工場を構えて制作している場合が多い。
しかし、手元のバーナーを使ってガラスを加工する河野さんのスタイルは大きな工房を必要とせず、自宅内の一室ですべてが完結する特殊なスタイルでもある。
1日3個が限界の創作活動
河野さんの作品は、ガラスの繊細な薄さと独創的なデザインでガラスの美しさを表現している。この繊細な薄さの秘訣は耐熱ガラスでの製作である。耐熱ガラスは吹きガラスよりも硅砂の割合が多いため、通常の吹きガラスを溶かすのに必要な約1,300℃よりも高い、約2,000℃の高温が必要となる。それでも耐熱ガラスは加工途中で割れるリスクが少ないため、河野さんの作品の特徴である、薄く繊細な器を作るのに適しているという。
自分で下ごしらえをしたガラス管に息を吹き込み、最初に描いたラフスケッチ通りに土台となる器を製作していく。
土台の器作りから表面のデザインまで、高温のバーナーでガラス管を熱しながら常に回し続ける作業は、目や肩への負担が大きい。
「大きめのグラスですと、1日に3個しかできなかったりします。1つ作るのに2時間かからないくらいなのですが、ものすごく体力を消耗するので、3個くらいにとどめています」
クオリティーを保つためにもしっかりと休息を取り、次の日にやった方が効率よく作業できるという。
点と線が作り出すガラスの世界
イメージした器ができたら、表面にガラスの点と線でモチーフを描き、独自の世界観を表現していく。表面に施した独創的なデザインは植物を中心としたモチーフが多く、シリーズ化されているものもある。
「植物が好きですね。昆虫や動物もいいですけど、草や木、花や種など、植物をモチーフにすることが多いです」
器の表面にガラスでモチーフを描くには、土台となる器を温めてから装飾用のガラス棒の先端を溶かし、ガラス棒が点になるように器に乗せていく。すると装飾用のガラスの点が土台の器と馴染む瞬間があるので、そのまま火の中でガラスを切り、ガラスの点と土台の器が融合して整っていくのを確認する。この作業を繰り返し、ある程度ガラスでモチーフを描けたところで全体をバーナーで温めて息を吹き込み、境目をなじませてから再び絵を描いていく。
ガラスの線も同様に、バーナーで溶かしたガラス棒を温めた器に置き、そのまま塗るようにガラス棒を引っ張りながら器に乗せ、息を吹き込んで境目をなじませていく。
ラフスケッチ通りに器を作り、表面のデザインまで終わったら、火の中で口側のガラス管が自然とちぎれるまで引っ張って落とし、口を広げて整えて仕上げていく。
日常使いの器とアート作品
ガラス作家の中には、実用的な器を作る人とアート作品を作る人がいる。どちらか一方に特化する人が多い中で、河野さんは両方の作品を作り続けている。
「どちらかを追求する方もいますが、私は両方をやっていた方が自分の中でバランスが取れるんです。アート作品を作ることで器の方にも良い影響がありますし、日常使いの器を作ることでアート作品にも良い影響があるので、あまり区別することなく作品を作っています」
ギャラリーや百貨店の展示販売会などからも、器類とアート作品の両方を出展して欲しいとリクエストがくることもあるという。
「世界観をアートで見せなければいけない、という縛りがない」という河野さん。ガラスに対する柔軟な姿勢が、彼女の作品の魅力にもつながっている。
器の使い方、捉え方は自由
河野さんの作品のひとつに、飲み口をガラスの点で仕上げた器がある。最初はちょっとした出来心で、口が真っ直ぐでなかったのを整えるために、ガラスを足したり減らしたりできる“点”で、真っ直ぐに見えるようにしたいというところから始まったという。
「意外とみなさん、この点々の口当たりが良くて癖になると言ってくださいます(笑)」
重厚感のあるヨーロッパのアンティークゴブレットのような河野さんのデザインにマッチした飲み口の処理と、薄く繊細な器のギャップに驚かされる人も多い。さらに耐熱ガラスのため、熱い飲み物にも使用できるという使い勝手の良さも、日常使いの器として重宝されている。
最近、マレーシアで寿司屋を営んでいる方が、河野さんのステムグラスに醤油を入れて、握った寿司にハケで醤油を塗って出しているのをSNSで見たという。
「この小さな工房で生まれたものがマレーシアまで行って役目を果たしていると思うと、自分の作ったものが旅しているような感じがしておもしろいです」
自分の作品が海を渡り、購入した人がそれぞれの使い方で日常を彩る。それも河野さんが望む、作品の在り方のひとつである。
建築空間にアート作品を置きたい
サンドブラストや金彩、パール彩やプラチナ彩を施してアート作品を制作している河野さん。将来的にはマンションやホテルのエントランスなど、建築空間の一部にアート作品を置かせてもらう機会を増やしたいという。
「アート作品を個人のコレクターの方々に買っていただくのもすごくうれしいしいのですが、公共のスペースでたくさんの方に見ていただける機会が増えたらいいなって思います」
現在、携わっている建築空間では、小さな作品の集まりを作り、その組み合わせでサイズの大きさや疎密を考え、バランスを見ながら設置している。
こういう作品を作りたいという気持ちや、作品を手にした方がこういう気持ちだったらいいなという希望が、最近徐々に増しているという河野さん。
「最初はガラス製作だけで生活できるようになりたいというのが目標でした。そこから少しずつ生活が安定し、できることが増えるたびに目標が増えている感じです」
今、若手ガラス作家として、ギャラリーや百貨店の展示販売会などで注目を集めている河野さん。創作活動をする上で、日常使いの器類とアート作品をバランス良く作り続けていきたいという。そして自分の作った作品を受け取った人が、自由な発想でその人の日常を彩り、豊かな気持ちになるような作品を作っていきたいと豊富を語る。
「今後は公共のスペースでも自分の作品を見ていただけるよう、自分の世界観を大切にしながら新しい作品にも挑戦していきたいです」
バーナーワークという独自の技法で、薄く繊細な器にデコラティブな装飾を施した河野さんの作品は、独特の世界観を放ちながら、より個性を際立たせている。