南国沖縄で、「琉球藍」という天然藍が栽培されていることをご存じだろうか。やんばると呼ばれる、緑深い森が広がる本部町(もとぶちょう)や名護(なご)市源河に広がる密林「オーシッタイ」で琉球藍が育てられている。その琉球藍で糸を染め、伝統的な絣(かすり)の技術で沖縄の青の魅力を表現する染織工房が本部町にある。
伝統を活かして新たな魅力を打ち出す新ブランド「琉球美絣」とは
琉球藍を使って、伝統と革新を結びつける職人がいる。それが、沖縄県本部町に工房を構える染織家、真栄城興和(まえしろおきかず)さんだ。彼は「美絣(びがすり)工房」の3代目として歴史ある琉球藍の魅力を最大限に引き出しつつ、新たなデザインと技術で染織の世界に新しい風を吹き込んでいる。
工房を営みながら独自のブランド「オキナワブルース商店」も立ち上げ、藍染小物の販売や藍染体験を通じて、琉球藍の魅力をたくさんの人々に届けて裾野を広げている。
美絣工房がつくる「琉球美絣」は、彼の祖父である真栄城興盛(まえしろこうせい)さんがはじめた。琉球藍染めと伝統的な絣の技術を極め、さらに新しいエッセンスを加えた染織物のことだ。
沖縄の絣は、15世紀から16世紀にかけて琉球王国で発展した。この技法は東南アジアや中国、インドなどとの貿易を通じてもたらされた技術や文化が融合して生まれたとされている。糸を緻密に染め分けることで複雑な模様を作り出す高度な技術が必要な織物である。染めわけた糸をずらしながら織り上げることで、独特のぼんやりとした模様が生まれる。この模様がかすんでいるように見えることから、「絣」と呼ばれるようになった。
絣の模様は、沖縄の自然や風景、動植物などをモチーフにしており、色鮮やかで細かい模様が特徴。藍のほかにも地域で採れる自然の素材を用いた染色もしている。伝統的な琉球絣の技法を現代的なデザインと組み合わせることで、古き良きものに新しい生命を吹き込んでいる。彼の作品は、その美しさと品質の高さから、地元だけでなく県外や海外からも注目を集めている。
濃く深い、琉球藍の魅力
琉球藍は、キツネノマゴ科と呼ばれる亜熱帯地方に生息する「リュウキュウアイ」から作られ、日本で馴染みのある藍の産地・徳島で生息する蓼(たで)科の植物「タデアイ」とは種類や染料にする製法が異なる。本州や四国では、藍の葉を乾燥・発酵させた「すくも」と呼ばれる染料のもとを作る一方で、沖縄では、栽培した琉球藍の葉をカマと呼ばれる大きな穴に入れ、自然発酵させたところに石灰を混ぜ、底に溜まった泥のようなもの(通称・泥藍)に水と泡盛と灰汁を混ぜ、発酵させて染料を作っている。琉球藍の魅力は独特な深みのある青色だ。「染めを重ねるごとに藍が魅せてくれる深い青色を極める」ことに真栄城さんは情熱を注ぎ、その色彩の美しさを作品に活かしている。彼の作品は、幾重にも広がる琉球藍のグラデーションが特徴。多彩な濃さに糸を染め、琉球藍の持つ自然で深みのある色合いを最大限に引き出し、見る人を魅了していく。
そのために、地元の農家から仕入れた琉球藍を用いて「泥藍(どろあい)」と呼ばれる染料作りの研究を重ねた。試行錯誤する過程においても独自の技術を駆使している。藍の葉を発酵させ泥藍に加工するまでの流れを、真栄城さんは特にこだわっている。藍染めのプロセスを大切にし、唯一無二の色合いを生み出している。
オリジナルのデザインと琉球絣の伝統技術の融合
真栄城さんの作品には、琉球に伝わる絣の伝統的な技法を忠実に守りながら表現される彼自身のオリジナリティが見事に融合している。
そのデザインはシンプルでありながらも洗練されており、琉球の自然や文化をモチーフにした模様が特徴的である。高校卒業後、千葉県にある大学に進学し、得意だったサーフィンを通じて自分の生まれ育った島で見てきた風景と全く異なる、荒々しい九十九里の海に魅了されていく。
「同じ海なのに沖縄の海とは全く異なる九十九里の波模様が斬新で、インパクトがあったんです。」と語る真栄城さん。そこで見た風景や経験が、彼の絣の模様に反映されている点がユニークだ。
琉球美絣の生地を革と合わせるなど、モダンな要素を取り入れることで、伝統と革新を両立させて幅広い層の人々から愛されている。
困難に立ち向かいながら模索する自分らしい染織物
真栄城さんのもの作りは決して平坦な道のりではなかった。2013年に脊髄の病気に罹り、車椅子生活を余儀なくされ、機織りからしばらく距離を置いていた。と、いうのも真栄城さんの使う機織り機は、高機(たかばた)と呼ばれる両足を交互に踏みながら織るスタイルのため、車椅子では足が使えず機織り作業ができない。しかしながら、このような生活となってからも尚、「家業を継ぎたい、織りたい」という気持ちが消えることはなかった。家業を継ぎたいという思いと共に長いトンネルから抜け出せずにいた頃、突然転機がやってきた。縁のある木工作家が、真栄城さんの情熱に感銘を受け、染織りを続けられるようにサポートしたいと提案したのだった。
そこで生まれたのが、彼の体の状態に合わせたオリジナルの機織り機。車椅子に乗る真栄城さんが自分の力で機織りを続けられるように設計されている。
「人よりたくさん時間がかかるけど、その分自分にしかできない表現で日々織りを続けている。やっぱり着物生地が織りたい。」と喜び溢れる笑顔で語る姿が眩しい。
次世代に向けた時代に寄り添うものづくり
真栄城さんの目指すものづくりは、次の世代に寄り添うものがコンセプト。生活様式が和から洋へと変化し、和装業界が主流の染織物は全国的に斜陽の一路を辿っている。着物を織りたいという気持ちとは裏腹に、伝統を受け継ぐだけでは存続が厳しい染織業界で、真栄城さんができること。それは、新しい世代や新しい場所で新たな価値を見出すこと。
伝統を未来へと受け継ぐために、若い世代に向けて琉球藍の魅力を伝えるワークショップや講演を開催し、技術や知識を伝える活動を行っている。
2022年にはニューヨークで個展「OKINAWA BLUES」を開催。琉球藍や絣の魅力を紹介し、国際的にもその才能を認められている。彼の作品は、沖縄の伝統と現代のデザインが融合した美しさを持ち、琉球藍が魅せる「OKINAWA BLUE」で多くの人々に感動を与えた。
ニューヨークをきっかけに他の世界都市にも訪れて琉球藍と美絣の魅力を伝えていく野望を抱く真栄城さん。
障害を乗り越え、琉球藍と海の青さを繋ぎ、真栄城さんの目に映る景色を美しい絣で追求する染織家として、また、祖父から受け継ぐ美絣工房の3代目として、これからも多くの人々に感動を与え続けるだろう。