全国における「かぼす」生産量の内、95%を占めている大分県。大分県民は肉や魚はもちろん、お味噌汁やアルコール、麺類にもかぼすをひと絞り。様々な食材の素材の味を引き立てる名脇役「かぼす」は、大分の食卓に欠かせない調味料だ。そんな大分県の特産果樹を化学肥料や農薬を使用せず、有機栽培でつくり続ける「大分有機かぼす農園」が、大分県の東端、臼杵(うすき)市にある。
もっと、かぼすを知ってもらうために
大分県におけるかぼすの歴史は長く、始まりは江戸時代。宗玄という医師が京都から苗を持ち帰ったことが始まりといわれている。現在は県内全域で栽培が行われているが、産地として有名な臼杵市内には、樹齢300年という古木が存在する。今もなお、他県にはない樹齢200年前後の古木も点在しているという。
「ほかの柑橘類に比べると、かぼすはまだまだ知られていない。それが私の起業の起点になった。」そう話すのは、大分有機かぼす農園を営む國枝剛さん。
東京でサラリーマンをしていた國枝さんは、35歳の時に実家である大分へUターン。当初はかぼす園を営む実家を手伝いながら、兼業農家として生活していたが50歳になり、勤めていた会社の部署の廃業をきっかけに実家の農園を引き継ぐことを決めた。人生の節目に、自分に今できることは何だろうと考え浮かんだのは、幼い頃から身近にあった「かぼす」だったという。
勇気を持ち踏み込んだ有機の世界
農園を始めた当初は、高齢化など様々な理由で耕作放棄地となった畑を借りながら、少しずつ園地を広げていった國枝さん。大分県は昔からかぼす栽培が盛んな地域ではあったが、それだけでは生活できない現実にも直面した。そこで目を付けたのが「有機栽培」という栽培法。以前から少しだけ有機栽培も手がけていたこともあり、それにより出来たかぼすを関東向けに出荷するのはどうだろうと考えたという。また周りに有機栽培をしている人がいなかったことも大きなきっかけになった。
「誰もやってないなら、やっちゃえ。」
前例がないだけに、周りからは無農薬でつくることは難しいのではという声もあったが、國枝さんは自分を信じて挑戦したという。
「有機JAS」認定へ。不可能を可能にする努力
「通常の栽培は除草剤や化学合成肥料も使う。人間で言えば体に点滴を打っているような感じ。今までそう育ってきた木を急に有機栽培に変えるのは、時間もかかるし相当な覚悟が必要でしたね。」簡単ではなかった有機への挑戦。木に有機質肥料を与え、土の中の土壌菌が分解したものを吸い取らせることで免疫力の高い、丈夫な木をつくることからスタートした。畑の雑草はすべて刈り切らずに土壌菌を育て、土をふかふかにすることで養分を吸収した木に葉や実がなっていく。そのサイクルを繰り替えし定期的に草を刈り、堆肥を与え、あとは自然の力を借りながら有機栽培という農法は完成していくと國枝さん。有機栽培に変えたばかりの頃は貧弱だったというかぼすの木も、15年経った今ではのびのびと育っている光景が広がっている。中には40年以上経つ木もあるという。毎年剪定をしながら新陳代謝を促し、新しい芽を出していくということを繰り返しながら、少しでも長く生きていってほしいと、國枝さん。かぼすへの大きな愛情と願いを込め、日々畑へ足を運んでいる。
トライアンドエラーを繰り返しながら、辿り着いた有機栽培の道。畑の管理など、通常の栽培よりも手間暇がかかる上に周りにも前例がないため、試行錯誤の日々を重ねた國枝さん。その努力が認められ2011年には、農林水産大臣が定める国家規格「有機JAS」に認定された。これは農薬や化学肥料などの化学物質に頼らず、自然界の力で生産された食品に与えられる資格だが、全国でもかぼす栽培における有機JAS認定はここ大分有機かぼす農園だけ。“誰もやってないことをしよう”と誓った國枝さんの努力が実を結んだ証となった。
農業で生活することの難しさ
有機栽培を始めしばらくは金銭的にも苦労が絶えなかったが、様々な工夫とアイデアでその道を開拓した。オーガニック志向の人が増えている昨今、ネット販売などにも取り組みながら販路を全国へ拡大させているが、最初から順調だったわけではなかったという。ネット販売と一言にいえど、全国的にも知名度の低いかぼすは最初はなかなか広がらなかった。また青果販売はサイズ面でも農協や市場の基準があるが、有機栽培のかぼすは農薬を使用しない分、その条件に満たないものが多いため、自分で販路を持たなければ成り立たないという。
「つくることだけではなく、売れて初めて生活が成り立つ。その仕組みを上手く作れないと生活はできない。私は運が良かったのかな。」そう國枝さんは笑顔を見せるが、雨の日も風の日も畑に向かいかぼすと向き合いながら、販路開拓に挑んだ努力があり今があるのだ。
緑も黄色も。余すことなくかぼすを愛する
「かぼすの旬は、1年に2度ある」と國枝さんはいう。
一般的に知られている緑色のかぼすは、5月に花を咲かせてから8月のお盆以降に旬を迎える。青々としたこの時期のかぼすは爽やかな香りを放つが、10月の終わりから少しづつ黄色く色付きはじめ、12月頃再び旬を迎える。通称「黄かぼす」と呼ばれるが、夏のかぼすよりも果汁に溢れ、ほどよい酸味の中に甘味もあるので冬の鍋物などにもピッタリの調味料になるのだ。「15年ほど前までは、黄かぼすは見た目的にも売り物にならないと捨てられていた。でも作り手の私たちはそのおいしさを知っていたので、自分たちで食べてたんですよ。」
大分有機かぼす農園では、その黄かぼすも含め余すことなく青果販売するほか、果汁としても販売をしている。國枝さんは就農当初から、かぼす栽培だけでは生きていけないとされている現状を変えたいと8月から12月までの青果販売だけでなく、1年中販売ができる果汁にも挑戦した。搾汁機を導入し、それまでの手作業では成し遂げられなかった量を生産する。有機かぼす果汁100%のボトルは今、全国各地へと届けられている。
若者の可能性と共に、更なる未来へ挑戦する
大分県内の農家も高齢化が進んでいる今、人員不足は深刻な問題だという。
「かぼすだけでは生活は厳しいので、椎茸やタバコ、お米を作ったりもしなくてはならない。需要はあるが供給のバランスが取れていないので、今後も人員の確保が大事になる。」
若いスタッフも在籍する中で、時代に沿った働き方をしながら若い人たちが楽しんで働き、生活ができること。そして公私ともに自分たちの好きなことができる環境をつくってあげたいと國枝さん。また、若い人たちの才能や可能性を最大限に活かせる組織でありたいと、未来を見据え動いている。「夏場の草刈りは非常に過酷だが、そこに喜びがあればいいのかなと思っている。草を刈ると結果が出て、目に見える満足感となる。その感情を大切にしながら、スタッフ全員で楽しんで働くことができたらうれしいですね。」
國枝さんの有機かぼすを求める客層のほとんどがリピーターだという。
「まずは知ってもらうこと。美味しさを知ってもらうことができれば、お客様は必ず返ってきてくれる。」
大分の豊かな自然と、國枝さんの愛情を一身に受け育った有機かぼす。そのおいしさはもちろん、安心安全に特化したかぼすの可能性は無限に広がっていくばかりだ。