![]() |
自分の求める器を探す旅中島克童さんが陶芸を志したのは高校生の頃。東京目黒区にある民芸館で見た李朝の陶器に、ほのぼのとした懐かしさを感じて興味を持ったのだという。 日本で朝鮮式の登り窯を残す陶磁器の産地といえば、山口県の萩。「ならば萩焼を学びに行こう」と決意するが、せっかくなので行く途中で西日本全部を回ってみてみようと思い立ち、車にのりこみ、全国を旅したという。瀬戸から滋賀、京都を経て九州に。その旅を経て、当初の目的だった萩へ。 実際に師匠の元で技術を学ぶと、現在の萩焼は自分の求めていた李朝の器とはまた違うものだと感じた。そこで、次は古くからの日本の陶芸を体験してみようと、萩を出て、滋賀県の信楽焼の窯で仕事をすることにした。 |
自らの窯を持つ「信楽では昔は生活の道具を焼いていた。つまりここでも茶道のものが多かった。それも違うな。手の中でいろいろといつくしむというか、五感で楽しむものが作りたい」そう感じた中島さんは、五感で楽しむとなると生活食器だろうと思い立ち、伊賀に移ってさらに修行を積んだ。長い旅路だったが、そのすべてが身になっているという。そして1984年、30歳のときに、神奈川へ移り住み、登り窯を築いた。 |
![]() |
![]() |
登り窯と釉薬その登り窯がもたらしてくれるのが器にあわられる豊かな色合いの変化だ。登り窯にくべた松の木の灰は器にかけた釉薬と合わさり、1200℃を越える炎の中でガラス質に変化し、さまざまに色づく。 |
ACCESS
- 陶芸家 中島克童
- 神奈川県秦野市
- URL http://katsudo-n.sakura.ne.jp/