いちご王国・栃木の未来を担う。「栃木県農業総合研究センターいちご研究所」/栃木県栃木市

1968年から55年連続いちごの収穫量全国1位に君臨し続ける栃木県。今では自らを「いちご王国・栃木」と名乗り、全国的にも名高いいちごの名産地となった。なぜ栃木県でこれほどまでにいちごの生産が発展し続けたのか。「栃木県農業総合研究センターいちご研究所」におもむき、その理由にせまった。

目次

「とちおとめ」や「スカイベリー」を生んだ、いちご専門研究機関

県庁所在地である県央の宇都宮市から車で南へ45分ほど。豊かな田園風景の中に見える赤い屋根が「いちご研究所」の目印。この施設がいちご専門の研究所になったのは2008年のこと。それまでは宇都宮市にある農業試験場の分場としていちごを含む複数の農作物の研究を行っていたが、組織見直しのタイミングに、県が運営する全国で唯一のいちご専門研究機関に生まれ変わった。

研究所は大きく2つの機能を持ち、ひとつはいちごに関する流通や消費者の動向などマーケティングの調査分析、そしてもうひとつは、新しい品種や栽培方法・技術の研究、開発だ。

研究所の前身の組織まで含めると、その歴史は50年以上。1985年に開発された「女峰(にょほう)」からはじまり現在にいたるまで、県として10の品種を開発してきた。全国的に名高い「とちおとめ」や贈答用にも適した「スカイベリー」。観光いちご園でしか味わえない「とちひめ」や夏秋期に収穫できる「なつおとめ」、白い果実の「ミルキーベリー」など、栃木のいちごの顔ぶれは多彩。そして2018年に生まれた「とちあいか」は今、「いちご王国・栃木」の未来を担う存在にまで大きな成長を遂げている。

なぜ栃木県は、全国一のいちごの名産地になれたのか

そもそも、なぜ栃木県でこれほどまでにいちごの栽培が盛んになったのだろうか。いちごの収穫量ランキングの2位以下を順に見ていくと、「あまおう」が有名な福岡県、「ゆうべに」や「恋みのり」を有する熊本県、「とちおとめ」や「章姫」などの他県で開発された品種も多い愛知県、「ゆめのか」が栽培の大半を占める長崎県へと続く。比較的温暖な気候の地域が多く、関東圏でも寒さ厳しい栃木県とは、気候条件が異なるように見える。

いちごは、江戸時代末期にオランダから長崎へ伝わったのがはじまりと言われている。しかしすぐに普及することはなく、本格的な栽培がはじまったのは明治時代。ところが当時のいちごは高級品で、庶民の手が届くようになったのは昭和になってから。そのころは屋外の畑で栽培する「露地栽培」が中心で、収穫時期は5月から6月の初夏に限られていた。

栃木県がいちごの生産を拡大したのは戦後のこと。農家の収益を上げるため、稲の裏作になる作物として、いちごに注目した人物がいた。それが御厨(みくりや)町(現在の足利市)の町議会議員だった仁井田(にいだ)一郎だ。当時のいちご栽培は神奈川県が北限で、栃木県での栽培は難しいと思われていた。そんな中、いちご栽培の先進地であった静岡県や神奈川県に何度も視察に出向き、失敗を繰り返しながらも栃木県の環境に適した栽培方法を探求し続けた。その背景にあったのは「農家の人の収入を増やし、暮らしを楽にさせたい」という情熱。10年近くの時間をかけ、昭和30年代には栽培を広げることに成功。東京や北海道、新潟などにも出荷を拡大していった。

まだハウス栽培が普及してない当時、春から初夏にかけてが旬だったいちご。仁井田氏は収穫時期を早めることにも挑んだ。いちごは、日が短く気温が下がる秋になると、花のもととなる「花芽」を付け、もっと寒くなると休眠状態になる。そして5℃以下の低温状態を一定期間経過すると休眠から目覚め、春の気温上昇とともに花を咲かせ実を付ける特性を持っている。いちご栽培には、寒い季節も重要だったのだ。しかし当時は、機械的に温度調節ができるハウス栽培が普及する前。そんな中、仁井田氏と仲間たちが試行したのは、苗を夏から秋かけて日光戦場ヶ原など標高が高く寒い地域に持っていく「高冷地育苗(こうれいちいくびょう)」だった。苗を今までより早く低温状態に置くことで、花芽を付ける時期を早め、収穫時期を早めようとした。他の地域より収穫時期が早くなれば、それもまた農家の収益を押し上げることにもつながるからだ。その挑戦は実を結び、その後従来5月から6月に収穫されていたいちごは、年内にまで出荷を早めることに成功。さらに昭和40年代半ばには、ビニールハウスでの栽培が可能になったことも、生産拡大の追い風になったという。

本来は初夏の果物だったいちご。その後も栽培技術の研究や品種改良の積み重ねにより、出荷時期はさらに早まり、現在ではすっかり冬の果物のイメージになった。出荷時期が早まっていった背景には、最もケーキの需要が高まるクリスマスシーズンの影響も大きいと見られている。農家の収益に貢献するために、市場のニーズに応え続けた先人たち。彼らの挑戦の結果が、クリスマスケーキの上で艷やかに輝く、真っ赤ないちごなのだろう。

いちごの生育に適した気候と作り手たち

仁井田氏らの尽力により、栽培の基礎が築かれた栃木のいちご。その上で栃木県の自然環境は、いちごの生育に適していたのだと研究所は言う。

いちごにとって栃木県は冬の日照時間が長く、たっぷりと降り注ぐ光はいちご栽培には欠かせない。さらには、日光連山をはじめとした山々から流れる上質な地下水によって育まれた肥沃な土地も、農作物の栽培に適している。さらには夏と冬、朝と夜の大きな寒暖差もいちごの甘さを強めることにつながるというのだ。

さらに研究所ではそれらの気象条件に加え、県の農家の「実直で真面目」な気質もいちご栽培を成長させた要素であったと見ている。いちごの収穫は1粒1粒の完熟度や形を見極め、傷をつけないよう手作業で行う。店頭に並ぶ美しいいちごは、作り手の地道な作業の賜物でもある。数多くのいちごを栽培、出荷をし続けるためには、作り手の根気強さや丁寧さは必須条件だと言えよう。

新しい栃木のいちごを開発するための、長い道のり

研究所の大きな役割である「いちごの品種改良」。敷地内のハウスでは、さまざまな特長を持つ品種を交配させ、新たな品種を生み出すための研究を重ねている。品種改良において重視する項目は「甘くておいしい」という観点や、「たくさん収穫ができるか」「病気になりにくいか」ということ。その上で「甘くておいしい」という味の観点や「実が固く、店頭に並ぶまでの流通の過程で傷がつきにくいこと」「店頭で日持ちがすること」なども重要だ。そういった条件をクリアし、2018年に完成したのが新品種「とちあいか」。農家にとっての栽培のしやすさと、酸味が少なく甘さが際立つ味の良さも相まって、現在の県内作付面積においては新品種の「とちあいか」が全体の約6割を超え、長年首位にいた「とちおとめ」を抜いてしまった。

「とちあいか」も厳しい選抜を勝ち抜いた精鋭

いわゆる「良い品種」が開発できれば、栃木県のいちごの発展に大きく貢献できる。しかしながら、新たな品種を世の中に出すためには、最短でも7年を要するという。まずは交配によっていちごを栽培していくわけだが、例えば甘さの強い品種に対しても、病気に強い品種をかけ合わせたり、収穫量の多い品種をかけ合わせたり、交配のパターンはさまざま。育てたいちごは、職員によって何度も選抜を繰り返し、それらをクリアした品種だけが世に出ることを許される。例えば、栽培して1〜2年目に行う「食味選抜」では、担当職員が実際に1種1種を見て食べて、選抜していく。1〜2年目の選抜を勝ち抜いたいちごは、3年目以降に糖度検査などの数値的な検査によって再び選抜される。しかもいちごは育てた季節によって味が変わるので、季節ごとの味の変化も加味した総合的な評価もクリアすることが必要。いちごの品種開発もまた、農家によるいちご栽培と同様に地道な作業の連続である。

土耕栽培と高設栽培。いちご栽培におけるテクノロジーの必要性

研究所では、いちご栽培のテクノロジーの開発も行っている。ハウスにおけるいちご栽培の多くは、地面の土で育てる「土耕栽培」と、1mほどの高さのベンチの上で栽培する「高設栽培」に分けられる。「高設栽培」は、腰を曲げながら収穫をする身体的な負担から解放されるメリットもあるが、栃木県では、導入コストを懸念して多くの農家が「土耕栽培」を選んでいるのが現状。また「土耕栽培」のほうが、土壌成分の吸収や地温が安定するとの考えから、味に良い影響を与えるという見方も根強い。しかしながら研究所としては、高設栽培でもしっかりとした環境制御を行うことにより、土耕栽培と同様の品質のいちごが育てられ、属人的になりがちな栽培方法をマニュアル化しやすいメリットもあると考えている。

高設栽培のハウス内では、光合成を促進するCO2の発生装置、気温や湿度、地温をモニタリングして自動換気できるシステムなどを導入。品種ごとに最適な各装置の使い方なども含めて研究を重ね、設備を導入する農家へのアドバイスにも役立てている。「これからのいちご栽培には最新のテクノロジーも必要」と考える研究所が、その土台づくりを担っているのだ。

いちご王国・栃木のこれから

「研究所の職員はみんな『毎年、今までのいちごを超える良い品種を出したい』という気持ちで取り組んでいます」と話す特別研究員の三井さん。それでも、「とちあいか」を超える品種を作るのは非常に難しいことだという。消費者のためには甘さと酸味のバランスが良い品種を、その上でたくさんの量が作れることも生産者の収益性を上げるためには絶対に必要。そこに病気にも強く、傷がつきにくいなどの要素も兼ね備え、現状の「とちあいか」を超えるレベルを実現するのは、より困難な道のりとなる。それでも決して諦めることなく、毎年コツコツと研究を続ける職員たち。今もこれからも、彼らが目指しているのは「もっと魅力的ないちごが作れるようになり、農家の収益性が上がり、若い人がいちご栽培に参加してくれる」ことだという。今後は海外への輸出へも力を入れていきたいという目標もある。

自分たちの在職中に新品種が出せるとは限らない。それでも技術と想いをつなぎながら、何十年にも渡って研究を続けていく。高齢化や人口減少による生産者の減少、気候変動、消費者動向の変化など、今後も乗り越えるべき課題は出てくることだろう。それでもここには、かつて仁井田一郎が苦労を重ねて築いたいちご栽培の基礎を受け継ぎ、発展させた人たちが数多くいる。農家を想い、消費者が喜ぶいちごを作る。そんな彼らがいる限り「いちご王国・栃木」の未来は明るい。

ACCESS

栃木県農業総合研究センターいちご研究所
栃木県栃木市大塚町2920
TEL 0282-27-2715
URL https://www.pref.tochigi.lg.jp/g61/
  • URLをコピーしました!
目次