生産者や酒米の品種ごとにタンクを分け、仕込みを行う鳥取県若桜町の太田酒造場。時間をかけ、しっかりと発酵させて造られる「辨天娘(べんてんむすめ)」は、米の持ち味を感じられる、お燗にもぴったりの日本酒だ。太田酒造場の5代目、太田章太郎さんが手がける酒造りのルーツに迫る。
蛍が住まう、水のきれいな城下町
鳥取県の東南端に位置する若桜町(わかさちょう)は、兵庫県や岡山県に隣接する人口約3,000人の町。町の95%は森林で、氷ノ山(ひょうのせん)・東山・扇ノ山と三つの山々に囲まれている。町の中心に流れる八東川(はっとうがわ)からの豊かな水源には蛍が飛び交い、星空がよく見える。鎌倉時代には「若桜鬼ヶ城」がそびえ、播磨・但馬両国(現・兵庫県)に通じる街道の宿場町でもあった。
昔は数軒あった酒蔵も今は1軒のみ。休蔵の期間を挟みながらも、地元の米を使った旨い酒を造りたいと励んでいるのが、太田酒造場5代目の太田章太郎さんだ。
廃業に追い込まれながらも続けた酒造り
太田酒造場の歴史は1909年にまでさかのぼる。杜氏だった太田さんの高祖父(ひいひいおじいさん)が勤める酒蔵から、のれん分けする形で独立した。毎年、酒造りを行う冬に島根から出雲杜氏を呼び、仕込みをするスタイルで代々経営を続けたが、杜氏が高齢で来られなくなったことを機に、1992年から自社での酒造りがストップしてしまう。
「自分たちで飲む酒をつくりたい。そのためには自社で杜氏を育てないとだめだ」。4代目である太田さんの父は、桶買い(他の蔵で作られた酒を桶ごと買い、貯蔵や瓶詰めのみを自分たちで行うこと)に頼りながら、酒造技術の指導者を探し、酒造りの勉強を一からやり直した。そうして約10年間の休蔵期間を経て、太田酒造場は2002年から酒造りを再開した。
東京の大学へ進学し、卒業後には地元の銀行に勤めていた章太郎さん。岡山や大阪など県外の店舗で約7年勤務した後、酒造りを再開し生き生きとする父親や従業員の姿を見て、蔵を継ぐことを決意する。
地元の酒米の旨みを感じられる「辨天娘」
太田酒造場の酒は「辨天娘(べんてんむすめ)」のブランドのみ。古くから「べんてんさん」と親しまれてきた若桜弁財天が名前の由来だ。弁財天が商売・美・水の神様であることにあやかり、「べんてんさんのような美しい酒になるように」と命名した。
酒米はすべて若桜町産で、契約栽培と自社栽培のもののみを使用。大きな特徴は、農家ごと・酒米ごとに別々のタンクで仕込み、ブレンドを一切せずに出荷していること。「生産者が違うと当然味も違ってくる。それぞれの米の持ち味を表現したい」という想いから、ブレンドしない方針にした。ラベルには、米の品種だけでなく生産者の名前まで記載される。さらに、仕込みタンクごとに「1番娘、2番娘…」と名付けられ、仕込み時期・農家・酒米によって生まれる味の違いを楽しめるよう工夫している。
鳥取の固有米のよさを引き出す
使用している酒米は5種類。鳥取の復活米である『強力(ごうりき)』、鳥取で交配してできた新品種『鳥姫(とりひめ)』、『玉栄(たまさかえ)』『山田錦』『五百万石』だ。
なかでも鳥姫は、稲の丈が短いため倒れにくく、米の粒が大きく育つため収量も確保しやすい。味わいはあっさりとしていて、ほのかに杏のような香りが感じられる。しかし、精米時に割れやすい性質を持ち、扱いが難しいため、使用する酒蔵が数ヶ所にまで減ってしまったのだ。
だが、太田さんは腰を据えて鳥姫の栽培に向き合おうと、自社でも栽培を行い、契約栽培の農家さんとも話し合いを重ねてきた。刈り取りや肥料をやるタイミング、穂の長さなど、毎年観察を続け、自分たちが求める酒米を作るにはどうすればいいのか、データをもとに意見を出し合っている。
また一般的に、酒米を精米する際は、米の外側の部分を多く削った方が風味が良くなるといわれている。米の外側にはたんぱく質が多く含まれており、その成分が多いほど雑味も増えるためだ。しかし、1粒あたりのたんぱく質が低くなるような米を作れば、たくさん磨かなくても済むのではないか。自らも米を作っているからこそ、「なるべく磨かずに入れることで米の特徴が最大限発揮された日本酒ができるはず」と太田さんは考えた。
そうして工夫を重ねて造られた鳥姫の辨天娘からは、より濃厚な杏の皮のような香りが楽しめるという。米を削りすぎなかったからこそ確立できた味わいだ。
「燗ならなお良し」を実現するため、米をしっかり溶かしきる
太田酒造場が再開するとき、鳥取県の酒造技術者として実績のある上原浩氏に指導を依頼した。上原氏の酒造りのこだわりである「酒は純米、燗ならなお良し。お燗で飲んでこそ美味しくなる酒造り」を太田さん達は継承している。
炊き立てのあたたかいご飯が美味しいように、酒もあたためると米本来の旨みが感じられ、美味しくなる。また、日本酒をより多くの人に飲んでもらうには、常温で保管してもヘタレにくく、毎日少しずつでも飲み続けられる、そんな酒を目指したい。
そのために、若桜町だからこそできる柔らかい米のみを使用。夏に高温が続くと、米は自分の身を守ろうとして固くなるが、山からの冷たい水で育てられる若桜町では米が固くなりにくく、柔らかく育つ。柔らかい米は溶けやすく、ゆっくりと甘みや旨みが出るという。
また、「アルコール度数が何度になったらしぼる」と推奨されているタイミングには頼らず、米が溶け切っているかどうかでしぼりのタイミングを判断している。「いい米がなければ、いい酒はできん」という教えに従い、できる限り米の旨みが酒に反映されるよう、しっかりと溶かしきることを大切にしているのだ。
米を発酵させすぎると渋みや苦みが出やすいといわれるが、寝かせることで味に厚みが生まれ、熟成によるまろやかさも生まれる。そのため、出荷までは約2年、長いものでは10年も熟成させているものもあるという。
お燗の飲み方を知ってもらえたら
そうして丁寧に造られた辨天娘は、燗酒にしてこそ旨みを発揮する。日本酒は体温と同程度の温度で飲むと胃に吸収されやすく、華やかな香りが楽しめ、食事にも合う。辨天娘には、しっかりと発酵させているからこその酸味もあり、飲み進めることで食欲を促進してくれるという。
「近年、日本酒は冷やして飲むことも多い。でも、”お燗”という飲み方もあるんだと知ってもらえたら。日常の中で飲みやすく、美味しい味わい方があることを伝えていきたい」と太田さんは語る。
食の文化とともに残したい
お燗に合わせたくなるのが酒のあて。食の文化、保存の文化があるからこそ、日本酒も残っていける。そこで太田さんは古くから若桜町で食べられてきた「鯖の熟鮓(なれずし)」や「なら漬」を商品化してきた。
若桜町は山間部で、冬は雪に囲まれる。昔は移動が難しく、海の魚が入ってこない時期があったため、長期保存を可能にする熟鮓が発展した。麴から生まれる乳酸菌が旨みを引き出し、腐敗も遅らせるため2ヶ月ほど保存できる。また、なら漬は2年以上の時間をかけ、ゆっくりと酒粕に漬ける。7回の漬け替えを経て、まろやかな味わいが生まれるのだという。
今でこそ各家庭では作らなくなってしまったが、麴漬け・粕漬けならではの味わいや、食と一緒に継承されていくような酒を残していきたいと教えてくれた。
日本人の日常に寄り添う酒を
寝かせるほどに、農家さんごとの酒米の味わいの違いを感じられる辨天娘は、大衆向けではないかもしれない。だが、その個性豊かな味わいが刺さる人には刺さる。そして、一度刺さったらとりこになってしまう、そんな魅力を持ち合わせている。
日本酒の消費量が減っている中、太田さんが目指すのは日本人の日常に寄り添う酒。
新鮮さが特徴のしぼりたての酒も美味しいが、時間をかけて毎日少しずつ飲み続けられる酒や、燗して食事とともにゆっくり味わう酒も美味しい。100年先も飲んでもらえる、そして食の文化と一緒に紡がれていく日本酒を造りたい。太田さんの目指す酒造りはこれからも続いていく。