福井県福井市の中心市街地、JR福井駅近くにある蔵元・常山(とこやま)酒造の代表銘柄はキレのあるクリアな辛口で知られる「常山(じょうざん)」で、9代目の常山晋平さんが杜氏となってからは円熟味が増したとファンに評判だ。道半ばで急逝した父である先々代の志を継いだ母と息子は、その味わいをさらに現代に合う辛口へと深化させている。
9代目として目指す酒造りとは
常山酒造の創業は江戸時代後期の1804年。福井市内では最も古い歴史を持つ蔵だ。福井藩の御用達商人から始まり、大正時代には福井市では随一の規模の酒屋となるものの、大戦中の空襲や福井大震災で酒蔵を二度も消失。そのたびに愛飲家の支援を受けながら復活し、家族経営を生かした丁寧な酒造りを続けてきた。
2022年、常山晋平さんは8代目である母からバトンを受け継いで9代目代表に就任。蔵の代表的銘柄である「常山」のラインナップを一新した。福井県の自然や水の良さを表す言葉である「越山若水」をコンセプトに、酒米は、福井市東部の山間部にある美山地区の契約農家が育てた「美山錦」や「山田錦」、福井県が開発した「五百万石」、「さかほまれ」、を使い、酵母は福井県独自のものと自家酵母を使って醸している。
白いラベルをまとったそのシリーズは、パッケージデザインを「JAL SKY MUSEUN」やロッテ「ZERO」を手がけたグラフィックデザイナー・木住野彰悟氏が担当。米をイメージさせる白は食とのかけはしを、ロゴは越前の山と海を思わせるデザインにした。
味わいは純米辛口“超”、純米吟醸辛口“飛”、純米大吟醸芳醇辛口“極”の3つが柱。繊細な旨みを持つ魚介類だけではなく現代の脂質多めの食事とも調和するような、スッと喉を通り抜けるドライなキレ味が特長だ。越前の山のような重厚感ある旨みと、若狭の海のような瑞々しいミネラル感ある辛さを両立させ、淡麗だけでは終わらない味わいとなっている。
雑味を取り除くために細部にこだわる
クリアな透明感とともに膨らむ旨み、インパクトのある抜群のキレ。そんな酒はどのように造られているのだろうか。
常山酒造を訪れると、事務所も作業場もすべてが整然と片付けられていることに気がつく。「酒づくりはまず環境から」をモットーに、毎朝作業前にスタッフ全員で徹底して掃除しているという。また一般的に酒蔵で米を運ぶために使われるエアシューターは使わず、手で運んでいる。わずかに残った米が雑味につながるのを怖れてのことだ。「クリアで透明感のある味わいを追究していくと、雑味が出る原因になると思われる部分が気になって」と晋平さん。工程を一つ一つ細かく見直したことで、醸される味は理想により近づいたと話す。
発酵中に酵母に負担をかけない
酒を醸すためのタンクにもこだわった。常山酒造の仕込みが始まる9月頃だと、外気はまだまだ30度を超える日もある。仕込みの最後、味わいに甘みを加えるためタンクを冷やす工程があるが、酵母にストレスがかからないよう、外気との温度差の影響が小さい特殊なタンクを使用している。晋平さんは「味わいを深く追求するために、タンクそのものを選ぶことも重要だったんです」という。
さらに搾った後の氷温管理や、瓶詰めの際の急加熱や急冷蔵など、蔵内での温度管理も厳しくしつつ、酒販店も温度管理が可能なところを厳選している。
先々代である父が開発した、福井名物にも合う味わい
銘酒「常山」の辛口にこだわり、それをさらに現代に合わせたものへアップデートし続ける晋平さん。その根底には、道半ばで亡くなった先々代、父への想いがある。
かつての常山酒造では、長らく「羽二重正宗」という普通酒をメインとしていた。しかし、父である7代目の英明さんが、日本酒の新しい時代の到来を見越し、1997年に新しい純米酒として「常山」を発表した。福井の海で獲れる新鮮な魚介にふさわしい酒をと開発したもので、上品に立ち上る吟醸香となめらかで瑞々しい口当たりにスッとキレる後味が特長だ。福井の名物の一つ「おろし蕎麦」との相性もよく、繊細なそばの香りの邪魔をせず、大根おろしの瑞々しさとも合うと評判だった。
しかしその数年後、英明さんは「常山」の普及を目指す道半ばの48歳で急逝。当時、晋平さんはまだ19歳で大学生だったため、母・由起子さんが跡を継いだ。
8代目である母が常山ブランドを確立
まず由起子さんは、酒の品質を保つために「常山」を特定銘柄として酒販店を厳選。また極上のキレを求めて酒米や精米歩合を研究し、辛口がコンセプトの「常山」のラインナップの充実を図った。通常は日本酒度「+6」で大辛口とされるが、「+8」前後の純米大吟醸酒「超辛」、「+21」前後の超辛口の生原酒「とびっきり辛」などを生み、辛口へ振り切っていった。
辛口の酒を造るために重要なのは、発酵の期間、酵母の力を弱らせず、かつ雑味が出ないようにするバランス。それを叶えてくれたのは、英明さんを支えた南部杜氏の腕だった。
由紀子さんは、自分たちの酒を第三者の目で評価してもらうため「ワイングラスでおいしい日本酒アワード」をはじめとする数々の品評会に積極的に出品。受賞することでメディアに取り上げられる機会も増えた。それらがブランディングや現代の食事に合う味を造ることにもつながり、若者ら日本酒初心者にも知名度を広げるなど「常山」のベースが整っていった。
日本酒の新時代を迎え、若き9代目が蔵を継ぐ
大学卒業後に大手酒造会社で営業をしていた晋平さんは2011年に帰郷し常山酒造に入社。当時は海外での和食ブームに乗り、「獺祭」や「醸し人九平次」が世界市場で認知され始めた頃。日本酒新時代の幕開けを追い風として、自らの酒を醸し始める。
酒造り4年目で全国新酒鑑評会の金賞に
蔵元の家に生まれたとはいえ、晋平さんは実際の酒の造り手としてはまったくの素人で、大学も農業関連の専攻ではなかった。父や母とともに酒を造ってきたベテラン杜氏に一から教えてもらいながらの挑戦だった。「とにかく、なんとか酒にしなくてはというプレッシャーしかなかったですね」。
奇をてらわず、基本に忠実に一つ一つの作業を丁寧に自分のものにしていき、時には他の酒蔵へ出向いて教えを乞うこともあったという。そうして酒造りに携わって4年目に出品した酒が全国新酒鑑評会で金賞を受賞した。
「自分のベースが出来た」と自信を持ち始めた3年後の2018年、これまで蔵を支えてくれたベテラン杜氏が退職し、晋平さんが醸造責任者となる。その年、フランスで開かれる食のプロフェッショナルによる権威ある日本酒コンクール「Kura Master」の純米大吟醸の部で最高賞のプラチナ賞に輝いた。同コンクールでは2020年、2021年も金賞を受賞し、一躍国内外から注目されるようになった。
酒蔵を「もてなしの場」にリニューアル
晋平さんは、海外のワイナリーを訪れるうち、それらの醸造所のほとんどで、製造過程が見学でき、また詳しい説明を聞きながらワインの試飲ができる環境が整っていることを知って驚いた。日本では、蔵見学さえ対応していないところがまだ多い。
常山酒造はJR福井駅から最も近い立地のため、見学の申し込みや酒販店が他県から訪れる機会も少なくない。「そうした方々をもてなす場をつくる。直接商品をプレゼンできて、付加価値をつけられれば、通常よりも高価格で勝負できると思ったんです」。
2018年、晋平さんは母である8代目とともに、自社の蔵のリニューアルに取りかかった。歴史ある蔵の10mをこえるケヤキの梁を生かし、2階部分には漆喰の壁に杉板の床を張って、商談や見学に使える多目的スペースとした。仕込みの時期には1階の樽から蒸し上がった酒米の香りが立ち上り、より酒の魅力を感じられる設計だ。
ひと目で味のイメージが掴めるラベルデザイン
また、同時期にラベルやパッケージのブラッシュアップにも力を入れた。2018年から2020年にかけては東京・上野のホテル「NOHGA HOTEL UENO」の紋デザインで知られる「京源(きょうげん)」の紋章上繪師(もんしょううわえし)波戸場承龍(はとばしょうりゅう)・耀次さん親子にブランディングを依頼。
微炭酸の搾りたて「荒磯」には、師走の日本海を思わせるネイビーグレーに縁起のよい鯛が飛び跳ねるデザイン、兵庫県特A地区の山田錦を使用した特別な純米大吟醸には、深みのあるブラックに不老長寿と良い兆しを象徴する「吉祥黒松」を配するなど、見るだけで味のイメージが掴めるクールなデザインで、発表するたびに話題をさらった。
地元に愛されることこそ、勝機につながる。
まだ杉板の香りが残るような新しい蔵に立ち、自分の手がけた新たな常山のラインアップを眺めながら、晋平さんは「地元に愛されてこその地酒」と語った7代目の父のことを思い出す。7代目と酒米を作っている美山地区の契約農家ら地元の人たちとの縁は、20年が経った今も親密に続いていて、常山酒造の蔵開きの日には乗り合いバスに乗って深山地区の多くの人々が駆けつけてくれる。
昨今、海外では日本酒ブームが盛り上がっており、どんどん日本で売れているものが求められて海を渡っていく。「でも日本で売れる酒、長く愛されている酒って地元を大切にしてきた地酒だと思っているんです」と晋平さんは話す。地酒を最初に飲み、その良さを知り、伝えていくのは地元の人々だ。その人たちにまず喜んでもらえる酒を造る。そこにこそ、これからの日本酒の勝機があるのではないかと考えている。
新しい常山のシリーズは福井の魚料理や寿司の美味しさを膨らませるような味の設計だ。「これぞ常山、とひと口飲めば分かるような、飲んで福井の風景が思い浮かぶような存在感ある味わいを目指していきたい」と、9代目はあふれる地元愛あふれる目で将来を見据えている。