山陰の雪の色をイメージして作る温かみのある白磁。人間国宝・前田昭博さん/鳥取県鳥取市

白色と形だけで表現をする磁器、白磁(はくじ)。この白磁の重要無形文化財保持者、人間国宝に認定されているのが、鳥取市河原町に窯を持つ前田昭博(まえたあきひろ)さんだ。真っ白な磁器である白磁を選び、ひとり制作を続けたその歴史と、前田さん独自の作品づくりに迫る。

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中国から伝わった「白磁」

白磁は中国で生まれた磁器のひとつで、絵付けや色付けをしないことが特徴。形によって陰影が変わり、さまざまな表情を見せる。真っ白な器は食材や花を映えさせ、どんな場面でも使いやすい。日本では佐賀の有田焼や、長崎の波佐見焼などが名産地として知られているが、前田さんは故郷の鳥取で師匠をとらず、ひとりで向き合う道を選んだ。

土のような柔らかさ、雪のような白さ

前田さんは白磁のことを「白瓷(はくじ)」と表現している。瓷(じ)は「かめ」や「かたく緻密に焼いた焼き物」という意味があり、本場中国では磁器のことを指す。単なる壺ではなくアートとしての作品を作りたい、土のような柔らかい白磁を目指したいという想いを込めた。

たしかに前田さんの作品を見ていると、磁器とは思えないほどの柔らかさやあたたかみを感じる。光の当たり具合や、曲面から生まれる影によって、灰色や青い色合いもあわせ持つ。「手本にしているのは、山陰の雪の白。冷たいけれど、どこか温もりも持っている。そして、雪に穴を開けると、少し青みがかったように感じる。そんな雪のような、しっとりした感じの白を目指しています」。

陶芸、そして白磁との出会い

幼い頃、趣味で木版画を刷っていた父親の背中を見て育った前田さんは、自然と美術への興味を深めていった。絵を描くのが好きで、高校では美術部に、大学は工芸学科へと進学。そこで何気なく受講した陶芸の授業を通し、ろくろに魅了される。「日に日に上達する様子が自分でもわかる。昨日より大きいものを作ろう、と夢中になりました」。

また、白磁と出会ったのも大学生の頃。その美しさに感動した。

「鳥取では冬に雪が1、2度降る。朝、窓を開けると辺り一面真っ白。あのときの感動と、絵も色もない白磁を見たときの感動が重なり、他のものに感じない魅力を感じたんです」。

卒業しても陶芸をしたいという想いを膨らませていた前田さんは、「好きなことをして飢え死にした人はいない」と恩師に背中を押され、卒業後に実家へ戻り、窯を開いた。窯の名前は「やなせ窯」。目の前に悠然とそびえる梁瀬山(やなせやま)が由来だ。

鳥取で白磁を作る

鳥取県は民芸が盛んで、土の風合いを生かした味のある焼き物が多い。だが前田さんは他の窯へ弟子入りをせず、白磁への憧れとろくろを極めたいという想いから、ひとりで白磁に向き合う道を選んだ。しかし、ひとりでの作陶はそう甘くはなかった。通常は基本の技術や工程を習得してから、独自の作品を作る。しかし自分には基礎がない。とにかく自分が美しいと思う形を目指しながら、ろくろの稽古を続けた。

鳥取に帰ってきてから数年が経った頃、好きなだけでは無理かもしれないと思い悩んだこともある。毎日白磁と向き合う中で、嫌になり、絵や装飾をつける他の焼き物に取り組んだこともあった。しかし、どうしても白磁への憧れは消せない

「やはり飢え死にするのではないか」と思うほど厳しい日々だったが、両親との暮らしや地域の人の励ましに支えられ、創作を続けられた。また、結婚して子どもが生まれたときには、創作活動の傍ら、祖父母が営む果樹園の手伝いをしたことも。どんなに大変なときでも、年に一度ギャラリーを借りて個展を開くことと、陶芸のコンクールに出品して自分の技量を問うことだけは辞めなかった。そうして少しずつ入選を繰り返し、応援してくれる人も増えていった。

37歳で訪れた転機

そうして14年間、白磁を作り続けた前田さんに転機が訪れる。陶芸界で1番大きなコンクールといわれる「日本陶芸展」で、大賞に次ぐ優秀作品賞を受賞したのだ。

「同世代の人は自分よりも素晴らしい仕事をしているだろうと引け目を感じてきた。でも、賞をいただいて、自分も一生陶芸ができるかもしれないと思えました」。

その後も前田さんは、さまざまなコンクールで受賞していった。国内のみならず、海外でも個展やワークショップを開催し、多くのファンを獲得。

2013年には、前田さん独自の技法「面取り技法」によって生み出された、平面と曲面のあるなめらかな白磁が評価され、白磁の重要無形文化財保持者として人間国宝に認定された。「教わったものではなく独自に作り出したものなので、その点も含めて評価してもらえたのではないか」と振り返る。

失敗から生まれた「面取り技法」

独特な柔らかさや丸みを帯びた形は、前田さんが失敗しながら編み出した「面取り技法」によるものだ。白磁を作る際は、ろくろで形作ったものをそのまま焼成することが一般的。それに対し、面取り技法ではろくろで形成し土が乾くタイミングを見計らいながら、直接指で押して変形させる。磁器の土は押さえたり変形させたりすると、のちに傷が出るのだが、その基本を知らなかったからこそ生まれた方法だった。

「最初は形を変形するために板で叩いていたけど、乾燥のときにヒビが入ってしまったんですよ。そこで、少しずつ指で押さえてみたら収まりがよかったんです。そこからこの技法が自分の表現になっていきました」。

点描画のように複数回、細かく指で押した後は、さらに乾燥させ、カンナで削る。これによって、くっきりとした面が浮かび上がるのだ。

若い頃、面取をしたり等分割するときに、定規を使って均等にしるしをつけていたという。しかしどうにも面白くない。年数が経つに連れて、フリーハンドで線を引くようになり、左右どちらかに偏っている部分や、波打っている部分に魅力を感じられるようになってきた。

「こちらの方が自分らしい線や面になっていくんだなと。そのわずかなことを、何年もかけて許せるようになるといいますか。定規以上に魅力的な線を引くことができるのが人間じゃないかなと感じます」。

歳月と鳥取の風土がもたらした世界観

長い間作品づくりに携わっていると、アイデアも尽きてくるのではないかと思える。実際に、年に1度の個展が終わると、「もう作れない」という気持ちになるという。しかし、新たに創作を始めると、作ってみたい作品のイメージが浮かんでくるのだ。また、創作途中で偶然にできた形や、いいなと思う「何か」が生まれ、それを形にしていくこともある。前田さん自身の感性と偶然。その両方で作品が生まれ、作る幅も広がってきた。

「自分の考えていることや思っていることを形にしたり、行動にしたりするしかない。その結果がいい作品にならなくても、責任を持って、自分のやりたい姿勢で最後まで行くしかないんです。だからこそ、素敵なものを作りたいという想いだけは、24時間頭の片隅にはありますね」。

また、鳥取の風土も作品づくりに大きく影響した。「鳥取はわりと曇り空で湿度が高い。しっとりとした釉薬にごだわり、作品に柔らかな陰影が生まれたのは、風土的なもの」と振り返る。当初はひとりで技術を習得するのに苦労した場所だが、白磁の産地ではない分、自分から取りにいかない限り情報は入ってこない。だからこそ、前田さんにとっては心地よく、「白磁を最後まで作り続けたい」という想いを持ち続けられたのだという。

さまざまな失敗や経験、環境から、前田さんにしかできない独特な表現や造形が生まれたのだろう。

「”無い”ことの魅力」を感じてもらえる作品を求めて

白瓷とは何か。その問いに、前田さんは「 ”無い”ことの魅力を持つもの」だと教えてくれた。中国の唐の時代に繁栄し、日本にも伝わり、現在まで続いている。華美な装飾や色の変化は無い。それでも今なお続いているのは、「何も無い状態」でもフォルムや釉薬に豊かな魅力があるからではないか。多くの情報や色、考え方が溢れている現代だからこそできる白瓷を作りたいと前田さんは言う。

「九谷焼や有田焼などの日本的な絵付けも美しいなと思う。同時に、そういうものが”無い”世界もあっていい。僕は作品の省略をしていきながら、あるものと同じぐらいか、それを超えるようなものを作りたい。”無い”ことの魅力というものを伝えていけたら、この白瓷を継承して、次の人に渡すことができるのかなと。だから、ただ白い焼き物じゃなくて『白瓷』という定義がある。そう思ってますね」。

そう言いながら、前田さんは今日もろくろに向かう。

ACCESS

やなせ窯 前田昭博
鳥取県鳥取市河原町本鹿282
TEL 0858-85-0438
URL http://yanasegama.com/
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