岡山県が日本一の生産量を誇る黄ニラ。青ニラよりクセがなく、やわらかさの中にシャキッとした歯ごたえがあり、高級和食やフレンチにも登場する。岡山県岡山市の株式会社アーチファームは先代を引き継いで黄ニラを生産。代表取締役の植田輝義さんは、岡山の黄ニラの最大の魅力は甘みだという。
日本一の生産量を誇る岡山の黄ニラ
アーチファームの畑は、岡山県南部に位置する岡山市中心部から約8kmの距離にある。近くを一級河川の旭川が流れ、山に囲まれた場所だ。日本一の生産量を誇る岡山県の黄ニラは、そのほとんどが岡山市北区牟佐(むさ)地区と周辺の約10ヘクタールの農地で、20軒の黄ニラ農家で栽培される。降水量が少なく、日照時間の長い「晴れの国 おかやま」の典型的な気候と、このエリアの砂壌土が黄ニラにとって適地適作であるという。
そもそも黄ニラとは
黄ニラは特別な品種ではなく、青ニラに黒いビニールシートを被せ、太陽光を当てずに成長させたもの。グリーンアスパラガスの苗からホワイトアスパラガスを作るようなもので、青ニラを軟化栽培(品質を高めるため、遮光下で野菜を生育させる栽培方法)させた野菜だ。光合成をしないため、アミノ酸を含む旨み成分が残り、甘みが強い。旬は寒くなる11、12月から。寒さに負けないよう、葉を伸ばそうとする時期に、旨みを蓄える。青ニラは多年草で、ひとつの株から年に6回程度、通常2〜5年にわたって収穫できる。これに対し、黄ニラは年に1回、2年間のみの収穫で株の生涯を終える。青ニラと比較して圧倒的に収穫量が少ないため流通価格も高く、市場での黄ニラの価格は青ニラの2.5〜3倍、場合によっては4倍ほどになる。
岡山での栽培の歴史
「岡山でなぜ黄ニラなのか?」という疑問への明確な答えはない。それでも明治5年(1872年)にはすでに栽培していた記録があるという。昔は、畑に1メートルほどの穴を掘ってニラの株を入れ、竹をめぐらせて土を被せて栽培し、収穫した黄ニラは川を下る船に乗せて岡山市内に運んでいた。昭和40年代にビニールシートなどの資材が栽培に使われるようになり、生産量が少し増え、東京・築地の市場関係者の目に止まった。東京への出荷が始まると、中華料理店が好んで求めるようになり、岡山で黄ニラをつくる農家が増えていった。
植田さんと黄ニラの出会い
兵庫県出身の植田さんが黄ニラを初めて食べたのは、妻と付き合い始めた20数年前。岡山で農家を営む妻の実家に遊びに行った際、「ごはんを食べて行きなさい」と言われ、ごちそうになったみそ汁に黄ニラが入っていた。そのおいしさに感動し、農業をやってみよう、という気持ちが芽生えた。「当時21歳でしたが、黄ニラのみそ汁で人生が変わりました」と振り返る。
植田さんが栽培する黄ニラ
アーチファームでは現在、約3.5ヘクタールの畑で黄ニラを栽培している。植田さんは春に種まきをして1年半から2年の間は、青ニラとして丈夫な株に育て、育った株から葉を刈り取ったら、そこから黄ニラを育てる段階に入る。収穫まで約2週間から1ヵ月弱。刈り取りは太陽光が当たらないよう、日がのぼる前から行ない、収穫後は逆に天日干しをして、緑色になる色素の働きを防ぎ、鮮やかな黄色にする。これらは1束約50グラムの10束単位で箱詰めにし、「大使の黄ニラ」という名前で出荷されている。全国のさまざまなジャンルの飲食店のほか、オンラインで注文する個人消費者も多い。
全身黄色を身に付け、県内外にPR
植田さんは、近所の農家の人から作業用の黄色のつなぎをプレゼントされたことを機に、眼鏡や靴など、身につけるものすべてを黄色にして、 2008年から「黄ニラ大使」を名乗ることにした。岡山が黄ニラの生産量日本一であることを県内外に周知し、農業の価値を高めたい気持ちもあった。飲食店とのコラボや、地域の学校等での活動、メディア登場を通してPRにつとめた結果、岡山県内の学校給食に採用され、首都圏や京阪神の飲食店での扱いが増加。黄ニラは岡山を代表する野菜として認知されていった。
黄ニラと並ぶ、もうひとつの柱
「黄ニラ大使」の植田さんが、もうひとつの柱とするのがパクチーだ。きっかけは2000年、東京・築地の東京青果からパクチー栽培を勧められ、種をもらったこと。当時、タイ料理などのエスニック料理がブームを迎え、パクチーの需要は高まりつつあった。しかし日本で生産する農家はほとんどなかった。そこでニラの連作障害を避ける目的も兼ねて、ニラとパクチーを交互に栽培したところ、どちらにも良い効果が見られた。
苦手だったパクチーを栽培
ただし植田さんはパクチーが苦手だったため、10種類のパクチーを育て、そのうち唯一食べることのできた、香りが優しく、クセの少ない一品種に絞って栽培することにした。最初の2年間は市場で見向きもされなかったが、鮮度を保つために根を太くするなど改良し、徐々に品質が評価されるようになった。香りはやさしく、甘みの中にセリやニンジン葉のような軽い刺激がある。葉はサラダや卵料理、肉料理、パスタなどに、根っこはオリーブオイルで炒めると、甘みを最大限に味わえる。苦手だったからこそ生まれた味わいのパクチーだ。最近、パクチー専用のビニールハウスを11棟建設し、自家採種で守ってきたアーチファームのパクチーの味をさらに多くの人に知ってもらおうと生産を拡大している。
頑張る農家のひとりになりたい
植田さんは2018年に農場を法人化し、会社名を「アーチファーム」とした。岡山にやって来た当初、畑の近くを流れる旭川にかかる、アーチ型の大原橋の姿に感銘を覚えたこと、そして人や土地をつなぐ架け橋のような農業をしたいという思いが込められている。法人化の直後、西日本豪雨災害で畑が水没したが、驚くほど早く元に戻った。「ニラは強いです。これまで、この黄色に支えてもらってきたから、年齢を重ねても、継続してやっていきたい。自分の娘、息子とも農業で関われたらうれしいし、全国で頑張る農家のひとりになりたい」と語る。