しっとりとした鹿革に敷き詰められた漆 の紋様。 山梨を代表する工芸品として全国の百貨店でも多く取り扱われている「 甲州印伝 」の特徴は、約200年にわたって受け継がれるその技術にある。近年斬新な試みで注目を集めているのが「印傳の山本」の3代目を務める山本裕輔(やまもとゆうすけ)さん。彼が体現する “新しい印伝のかたち” とは。
「甲州印伝」のルーツ
「甲州印伝」とは、加工した鹿革に漆で文様がつけられる山梨県の伝統工芸品。「印伝」の語源は、1600年代に外国から幕府へ献上された印度(インド)装飾革を模倣して作られた「いんであ革」に由来するといわれている。
歴史を遡ると、日本で鹿革の加工が始まったと言われているのは西暦400年代。古くから日本の山林では鹿が多く生息しており、牛や馬に比べて加工がしやすかったのが所以と言われている。鹿革は手に馴染む柔軟性に加え、軽さと高い強度を備えていることから、応仁の乱(1467〜1477)以降、武士たちの甲冑などへ用いられるように。後に甲斐国守護大名となる武田信玄公もこれを好んだといわれ、甲冑や「信玄袋」と呼ばれる鹿革の甲冑袋を愛用するようになった。これが甲州印伝の基盤となったと伝えられている。
1700年頃の江戸時代になると、甲州の革職人が現在に伝わる漆付けの技術を発明したのをきっかけに、山梨県内において品質の良い革製品が作られるようになっていった。以降、明治になると信玄袋や巾着袋等が「内国勧業博覧会」において褒章を受け、一躍その名が全国に知れ渡り、大正、昭和と甲州印伝は山梨の工芸品として確固たる地位を築いていくことになる。これまで国内に漆を使った革製品の産地はいくつかあったものの、現在まで製法が現存するのは、この甲州印伝のみとなっている。
「印傳の山本」のはじまり
昭和後期、山梨県内には複数の甲州印伝事業者がいたが、現在はわずか2社。そのひとつが甲府市中心部からほど近い朝気町に工房を構える「有限会社 印傳の山本」だ。
3代目としてその技術を継承しているのは、甲州印伝 伝統工芸士(総合部門)の山本裕輔さん。ワークショップや講演に加え、ゲーム会社やアニメ、漫画、大手ブランドとのコラボレーションを手がけるなど、斬新な活動で注目を浴びている。「印傳の山本」の歴史は第2次世界大戦終戦後、焼け野原となった甲府の町から始まったと裕輔さんは語る。
甲州印伝の火を取り戻す
創業者は、裕輔さんの祖父である山本金之助さん。持ち前の手先の器用さを生かして上原商店(現:印傳屋上原勇七)の技術者として貢献するも、第2次世界大戦時下の物資不足による鹿革規制で、甲州印伝は停滞。ついには当人も戦地へ赴くことになる。帰還した彼が目にしたのは焦土と変わり果てた甲府の町だった。
「焼け野原となった甲府の地を見て、全てがゼロからのスタートになると考えたのでしょう。『再び甲州印伝の火を取り戻す』祖父はそう決意したといいます。都内鞄製作企業の下請け会社山本商店を設立し、ランドセルを作って資金を貯めながら、再び甲州印伝を製作し始めました」
海外で目の当たりにした豊かな色彩を製品に落とし込み、従来の印伝にない色で染められた商品を作り始める金之助さん。戦後の1952年以降は鹿革規制も解除され、次第に商品需要とともに印伝事業者たちも増加。1975年頃には甲府印傳商工業協同組合が立ち上がり、1987年、晴れて甲州印伝は日本の伝統的工芸品に認定された。
山本商店では、金之助さんの長男・誠さんが事業を引き継ぎ、現在の「有限会社 印傳の山本」に社名を変更。1996年には甲州印伝の伝統工芸士の認定試験合格を果たし、県内で唯一、加工から装飾までを一手に引き受ける総合部門の伝統工芸士として、多様な商品製作に乗り出していく。
誠さんは従来の問屋経由による卸販売に代わり、顧客の声を直に聞き商品開発する、製造直売へと舵を切った。これによって新たなニーズを拡大し、先代から受け継いだ技術と豊富な色彩を掛け合わせながら、常識にとらわれない新たな製品を次々と生み出していった。
担い手として、伝え手として
「お客様の声をかたちにするスタイルは、“印傳の山本ならではの強み”として今も大切に受け継いでいる」と、色とりどりの鹿革が積まれた棚を眺める裕輔さん。現在も顧客の要望に応えながら、オーダーメイドによる多様なカラーバリエーションの商品を展開している。
裕輔さんが甲州印伝の世界に飛び込もうと考えたのは、中学卒業のタイミング。父である誠さんが伝統的工芸品産業振興協会から「伝統工芸士」に認定されたことがきっかけだった。「それまで興味がなかったが、甲州印伝の可能性に強い好奇心を抱くようになった」と、卒業したら父の元で働くことを考えるも、周囲から説得され地元の高校へ進学。
高校生活を終える頃には、いずれは家業を継ぐことを見据え、県外の大学で商業を学ぶことを選んだ。大学卒業後、家業に入り、本格的に職人の道を歩み始めた。
受け継がれる技術
鹿革の表面を漆のノリが良くなるよう、吟面を加工し色付けをしていく染色。作る製品に適したサイズに大まかなトリミングをする裁断。甲州印伝の真髄とも言える柄付け。革を本裁断し、製品の形にしていく縫製。裕輔さんはこれら4つの工程を全てひとりで行っている。
漆付けは時間にしてわずか5、6秒の作業だが、この数秒に最も神経を注ぐのだという。「力加減によって全く仕上がりも変わってしまう。ここで全てが決まってしまうといっても過言ではない」と、作業台に向かい深く息をつく。切り子のように手彫りされた型紙を鹿革の上に重ね、木べらで漆を刷り込んでいく「漆付け技法」が施される。
鹿革、型紙、漆などといった材料の多くは、一般消費者ではなく職人への卸し販売に依存している場合が多い。「甲州印伝の生産・消費を維持できなければ、これらに関わる人たちの産業が立ち行かなくなってしまう」と裕輔さんは懸念する。まさに原材料の生産者と職人は持ちつ持たれつの関係。細密に手彫りされた型紙を手に、担い手としての責任感を表情に滲ませる。
これからの話をしよう
かつて山梨県には多く群生していた漆の木も、需要や生活様式の変化などで、その数はきわめて少なくなっているそう。「柄付けに使う漆は中国からの輸入に頼っているが、ゆくゆくは日本のものだけの製品も作りたい」と、有志とともに、北杜市で漆の植樹を試みている。
また鹿革は外国からの仕入れが近年難しくなっている一方、山梨県における野生のシカは増加傾向。約7万頭のニホンジカが生息するといわれており、近年耕作地では獣害が深刻な問題になっている。そこで2014年には、山梨県の獣害対策プロジェクトと競合した「URUSHINASHIKA(ウルシナシカ)」をスタートさせ、害獣として捕獲されたニホンジカを甲州印伝に有効活用する活動にも取り組んでいる。
「山梨県産の鹿革で印伝が作れるようになれば、より県の伝統工芸品として厚みも増す」と、材料確保の突破口としても期待を寄せている。担い手として、伝え手として、甲州印伝の存続と普及に力を注ぐ裕輔さんの想いは、波紋のように広がりを見せている。
新しい印伝のかたち
現在、印傳の山本では、主に百貨店での販売がメインだった父・誠さんの方針をブラッシュアップし、強みである工房での直接受注・販売や、企業コラボ商品開発、インターネット上での販路拡大に力を入れている。一品からでも依頼できるオーダーメイドから、大手コーヒーチェーン店とコラボしたカップスリーブ開発、店舗の壁面パネル、行政職員向けのカードホルダー製作など、その商品需要は多岐に及ぶ。
「山梨といえば甲州印伝、といった認知はかなり定着してきている実感はありますね。最近では国内はもちろん、海外にもその魅力を知ってもらえるよう新たな商品開発にも取り組んでいます」
「海外では倫理観や製造工程における環境汚染の観点から、鹿革などの動物素材を好まない人も多い」と裕輔さん。そこで2023年初旬には鹿革でなく植物性の素材で作られる革「ウルトラスエード」を使用した新ブランド「obudo(オブド)®︎」をリリース。アニマルフリーかつ、これまでの甲州印伝にない洗練されたデザインの製品を次々と発表している。
「幅広い層に甲州印伝の魅力を知ってもらうきっかけとなれば」と、伝統を守りつつ、時代のニーズに合わせた自由で新しい印伝のかたちを提示している。同社が見据えるさらなるステップ、それは未来へ向けた技術の継承。
甲州印伝の需要は増えている一方、産地としてのパワー不足は否めない。「技術をつかむには地道な努力が必要だが、印伝は型紙と鹿革があれば誰でもチャレンジできる工芸品」と捉える同社では、作業の電子マニュアル化や型紙のデジタルデータ化を推し進め、多くの人が携われるような基盤作りにも力を注いでいる。
「あくまでも本質は技術。もっと自由な発想で印伝の間口を広げ、お客様や時代に求められる商品を作っていきたい」と、語気に力を込める裕輔さん。
バックボーンやアイデンティティを伝える強い信念。型や固定概念に縛られない軽やかな姿勢。手に取る人の要望やライフスタイルに寄り添い馴染む、柔らかな発想力。“新しい印伝のかたち”を体現し続ける裕輔さんの作品と技術が、伝統工芸の未来を塗りかえていくのかもしれない。