「日本六古窯」の1つにも数えられる常滑焼の産地、愛知県常滑市。
陶芸家・大澤哲哉さんはこの地に拠点を構え、普段使いの食器や道具を作っています。
ヤスリによる磨きの技術と常滑独自の釉薬で表現するかすれた風合いと上品な輝きは、
まるで上質なアンティーク品のよう。陶芸の道を一筋に歩み続けて辿り着いた、
大澤さんならではのオリジナリティーです。
愛知県常滑市は焼き物の一大産地だ。常滑の陶土は「お茶の味をまろやかにする」と言われ、この地で作られる急須は今でも広く愛されている。陶芸家・大澤哲哉さんは、常滑独自の釉薬「チャラ」を使い、かすれたような風合いが特徴の食器などを作っている。彼のものづくりは、常滑だからこそ実現したものだった。
焼き物の町・愛知県常滑に息づく道具作りのスピリット
愛知県知多半島の西海岸に位置する常滑市は「日本六古窯」のひとつとされる焼き物の産地で、その歴史は平安時代末期までさかのぼる。皿や食器から、貯蔵用の大きな甕(かめ)や壺まで、人々の日常に寄り添った焼き物が生産されてきた。常滑で活動している陶芸家・大澤哲哉さんのアトリエを訪ねると、その裏庭には焼き損なわれた大きな甕が無数に横たわり、重なり合っていた。大澤さんが常滑に腰を据えるずっと前からこの地に置かれてきたものだ。積み上げられた甕を眺めながら、「大きさが半端じゃないんですよ」と話す大澤さん。「作った人の痕跡が町のそこら中にある。常滑が持っているパワーをありありと感じるんですよね」。
多治見から常滑へ、大澤さんの旅路
大澤さんは、美濃焼の主産地として知られる岐阜県多治見市の出身だ。「多治見の小学校には絶対に窯があって、授業の時間に粘土を触るんです。これがおもしろくて」と話すように、子どものころから陶芸を身近に感じていた大澤さん。中学卒業時は迷わず陶芸家への道を選んだ。「なにか楽しいことをやって生きていきたかった。音楽か美術か。なかでも、具体性のある焼き物にしようと思ったのがきっかけです」。その後は高校、大学で陶芸をみっちり学び、後に師匠となる吉川正道氏に導かれて常滑にやってきた。
なぜ、同じ焼き物の産地である地元・多治見に帰らなかったのか? 大澤さんは「多治見のすごさやおもしろさは、今になったらわかるんですけどね。当時は『焼き物しかなくてつまらない』って思っちゃって。多治見から出たかったんです」と話す。
常滑の土が急須に最適な理由
焼き物の産地として長い歴史を持つ常滑。中でも、常滑焼の代表と言われるのが急須だ。作られるようになったのは江戸時代後期になってからで、ここ200年くらいの出来事だ。鉄分を多く含み、焼き締まりがいい常滑の土「朱泥」は急須作りに最適だった。さらに、酸化鉄がお茶に含まれるタンニンに反応して味をまろやかにする効果があることから、茶人に好まれてきたという。そして、茶葉の蒸らしや温度保持に必要な蓋の密閉性を実現した職人たちの技術の高さも支持されてきた理由のひとつだ。
大澤さんの作る急須をよく見てみると、赤色の土がところどころ剥がれ、黒い土が覗いている。これは黒い素地の上に茶色の化粧土を塗り、さらにその上から赤い化粧土を塗って、3層にしてから土を粗く削り落として風合いを作っているのだという。漆の根来塗をイメージするとわかりやすいかもひしれない。「現代工芸作家さんから受けた影響と、常滑急須のクオリティーを自分の中で成立させたかった」と言う大澤さん。その手仕事をひもといていく。
オリジナリティーにたどり着くまで
素地の上に違う色の化粧土を重ねていくつかの層を作り、釉薬をかけて焼成した器をヤスリで磨くことで、下層の化粧度を露出させる。そうして作られる大澤さんの作品の最大の特徴が、かすれたような質感だ。その色合いや凹凸は唯一無二のものだ。大澤さんは自身の作品について「古いお家にあるものや、お寺にある仏像の質感を自分の中でイメージしています」と話す。一方で「どうしたらシンプルな器の形だけで作品として成立するのか、どうしたら自分の質感を作れるのか、ものすごく悩みました」と、この作風に至るまでの苦労も吐露した。
茶人が愛する、急須の「照り」をかなえる釉薬
その苦悩の中で出会ったのが、急須作りに欠かせない常滑独特の釉薬「チャラ」だった。チャラとはガラス質の釉薬とは違い、焼成されると土の質感を保ちながら漆のような光沢を放つ釉薬で、急須に高級感を与える「照り」を求めた常滑の人々が古くから親しんできたものだ。「ガラス質の釉薬だと光りすぎる。でも土のままだと粉っぽすぎる。そこでチャラを使ってみたら、信じられないくらい質感が落ちついたんです」。
大澤さんは現在、黒、白、赤を表現する3種類のチャラを使い分けて作品作りを行っている。常滑で作陶を続けたからこそ出会ったチャラ。その絶妙な光沢と漆のような質感が、大澤さんの作品のオリジナリティーとなっているのだ。
同じく陶芸家の妻・増田光さんの存在
皿やマグカップなどが整列するアトリエの中で、異質な存在感を放っていたのが、クマのオブジェ。このクマのオブジェは、大澤さんの妻で陶芸家の増田光さんからの影響を大きく受けている。増田さんはクマなどの動物やこけし、だるまなどをモチーフにした自由で柔らかい雰囲気の陶芸作品を制作し、東京・六本木ヒルズA/Dギャラリーで個展を開くほどの人気作家だ。
もともと「形を制御しながら作ってしまう」コンプレックスがあった大澤さんは、増田さんが自由な造形を作り出す様子に憧れを抱くようになった。そんななか、ろくろの回転に土を抑え込むのではなくて、もっと自由に作れるものを求めて作り出したものが、このクマのオブジェだ。よく見ると、一つひとつ微妙に形が違っている。大澤さんの求めた「自由」への理想が体現されているのかもしれない。「ゆくゆくはサイズ違いで揃えても楽しめるものにしたい」と大澤さんは声を弾ませる。
道具は、人が使うものだから
「道具の歴史っていいなって思うんです。道具は、作る人と使う人のリレーションの中でさらにいいものができてくるから」と、大澤さんは語る。例えばこのコーヒードリッパーは、大澤さんが愛知県内でコーヒーショップを営む知人のために制作したもの。大澤さんは「どんなコーヒーの道具を使いたいのか」とヒアリングを重ね、溝の数や深さを細かく調節していった。
大澤さんは「急須もそうですが、実際に使う方からご意見をいただけるのがやっぱり一番うれしいんです。意見をもとにブラッシュアップしていくのがおもしろい」と話す。このコーヒードリッパーは都内のカフェオーナーの手にもわたり、その感想を聞いては改良を加えているそうだ。作る人と使う人のリレーション。大澤さんの作る道具は、使う人との関わり合いの中で進化し続けていく。
師匠の背中を追って世界に挑む
大学在学中から陶芸家・古川正道氏の元で修行を積んだ大澤さん。ニューヨークやロンドン、パリなど国外でも精力的に活動してきた古川氏の影響を受け、今後は海外市場への進出を視野に入れているそうだ。「現地に行って、現地の方とお話をして、新しい人と出会って…。刺激を受けながら、また自分の場所に戻ってきて、新しい夢を描くのが理想」と声を弾ませる。もともと「販売や営業が得意ではない」と言う大澤さんはクラフトマーケットや陶器市に出展することでギャラリーとつながり、販路を拡大してきた。現在はInstagramを活用して、国内外のギャラリーとコンタクトをとっているという。2023年11月にはオーストラリアで増田さんと夫婦そろっての個展を開催予定だ。「国内はもちろん大事だけど、自分の作品と一緒に海外に出かけていく機会をもっと増やしたいです」と、夢を語った。
人が使う“道具”を作り続けてきた常滑だから
大澤さんの手仕事は、つねにその道具を使う人を意識している。「自分が作った作品が、新しいきっかけをくれる。今とはもっと違うものを作って、その作った作品と使う人の間にどんな出会いや刺激があるのかを想像するのが楽しいんです」。長きにわたって道具を生産してきた常滑だからこそ磨かれた感性に、常滑だからこそ出会えたチャラが加わって完成した大澤さんの作る作品には、常滑のすべてが乗せられている。
器は使い込むうちに、水分や油分を吸収しながら変化していきます。「汚れ」と取ればネガティブですが、器の経年変化の中に美しさを見出せる日本人独特の感性に支えられて成立しているのが陶器であると考えています。普段からたくさん使っていただけると嬉しいです。