愛知県岡崎市発祥の「八丁味噌」とは、大豆と塩だけで作られる豆味噌の一つ。味噌煮込みうどんをはじめとする、名古屋メシには欠かせない調味料だ。うまみが強く、熱を加えても風味が飛ばない特徴を持っている。八丁味噌の製造元のひとつである「まるや八丁味噌」は、江戸時代から伝わる製造工程を守りながら、海外への普及も精力的に行うなど、八丁味噌を後世に残すために尽力している。
高温多湿の愛知県だからこそ生まれた八丁味噌
愛知県のほぼ中央に位置する岡崎市。市内には南北に矢作川、東西に乙川が流れ、豊かな水源があるため水田が広がっている。高温多湿な気候でもあるため、水田では古くから米とともに大豆も栽培されてきた。
八丁味噌は、大豆が良く育つ地域だからこそ生まれた味噌だ。「大豆と塩のみで長期間熟成させます。その製造方法は、昔から変わっていません」と教えてくれたのは、まるや八丁味噌の代表取締役社長 浅井信太郎さん。創業1337年(延元二年)のまるや八丁味噌の味を後世に残そうと尽力している一人である。
ドイツ留学の経験を活かし、有機に着手
20代の頃にドイツへ留学していた浅井さんは、オーガニックに関心を持つ。現地で日本食を普及させようとする人々やマクロビオティックを研究していた人々と出会い、彼らが討論する姿に感銘を受け、その内容に共感したからだ。当時の日本では、有機栽培の認知度がほとんどなく、誰も興味を持っていなかったという。
34歳のとき、まるや八丁味噌に入社。ドイツでの知見を活かし、社内から反対されながらも有機栽培の大豆を使った八丁味噌づくりに心血を注いだ。すでにオーガニックへの関心が高まっていた海外へのみ輸出し、1987年にはアメリカ有機食品認定機関OCIAの認証を取得。ヨーロッパ有機認証機関(ECOCERT)、厳しい食品規律を持つユダヤ教のコーシャ(Kosher)の認証も受け、日本で有機JASの制度ができた頃にはすでに大きな実績を持っていたという。
マクロビと共にヨーロッパで普及
まるや八丁味噌がアメリカへ八丁味噌の輸出を始めたのが1968年のこと。その翌年にはイギリスなどヨーロッパへ、1971年にはオーストラリア・ニュージーランドへ輸出を開始した。マクロビの普及と共に、健康に気遣う人、日本の伝統食として認める人など、現地の人々に受け入れられ、今では世界20カ国以上に輸出、主に自然食品店で販売されている。また、浅井さん自らが海外のレストランを回り、八丁味噌を提案することも。八丁味噌を素材としてどう生かしてくれるか、期待しているという。
岡崎市内の2社だけが守り続けてきた味
「八丁味噌」の名前の由来は、徳川家康公が生まれた岡崎城から西へ八丁(約870メートル)に位置する八丁村(現在は八丁町)から。旧東海道を挟んで向かい合う、まるや八丁味噌とカクキューの二社のみが伝統製法を守りながら製造してきた。よきライバルとして、強調し、切磋琢磨しながら八丁味噌の品質を高め合ってきたそうだ。
1337年から続くまるや八丁味噌
初代当主・大田弥治右ェ門が醸造業を始めたことからまるや八丁味噌が誕生した。八丁味噌と呼ばれるようになったのは江戸時代からといわれているが、その製造方法は600年以上もの間、ほとんど変わっていないそうだ。「1700年代の仕込み帳が今も残っていますが、そこに記されている仕込み方を代々受け継いできています。もっと合理的な方法があるとは思いますが、継続していくことが優先」と浅井さんは話す。
大豆と食塩のみで作られる、うまみの強さが特徴
八丁味噌を初めて使う人は、その固さに驚くかもしれない。それは味噌の中の水分量が極めて少ないことを意味しており、つまり大豆の旨みがギュッと濃縮しているということ。大豆は愛知県西三河産の「ふくゆたか」を使用し、天日塩と豆こうじを使って仕込む。その熟成期間は「二夏二冬」、つまり2年以上だ。
ちなみに、日本で一番多く普及している信州味噌などに代表される「米味噌」は大豆に米こうじを、九州・四国・中国地方を中心に作られる「麦味噌」は大豆に麦こうじを加えて作られる。これらのこうじで仕込む味噌の熟成期間は半年が目安、加温をしない天然醸造仕込みの味噌でも1年程度といわれていることを考えれば、八丁味噌の熟成期間の長さに驚く。基本的に熟成は米や麦など素材の中にある糖を分解して旨味や甘みに変えていく期間だが、八丁味噌に使用される豆こうじは、米こうじに比べると糖質が少ないため、微生物が糖を分解するのに時間がかかる。それでもなお、豆こうじを使いつづける理由は高い保存性と味の濃厚さ。時間をかけてじっくり仕込むことで保存性は高まり、大豆由来の旨み成分も強くなるそうだ。
長期間熟成、品質保持を可能とする石積み
長期間熟成を可能とするのが、石積み職人が行う「石積み」と大きめサイズの「味噌玉」だ。
石積みは熟練の職人が、石の大きさや形などを鑑みながら一つずつ積んでいく。一度熟成に入ったら動かすことは一切ないため、味噌全体に均一の荷重がかかっていなければ味噌桶のなかで熟成の偏りが出てしまう。石積みの際には一つひとつの石が点と点で支え合い、バランスをとっているか、石が崩れてこないかなど、さまざまなことに配慮する必要があり、1人前になるには10年かかるといわれているそうだ。
味噌玉とは蒸した大豆を丸めてボール状にしたもの。八丁味噌づくりでは、この味噌玉の表面に直接麹菌を生やし、仕込む。玉が大きければ大きいほど大豆あたりの麹菌の量が少なるため、熟成が遅くなるという算段だ。長い熟成期間の間に、蔵に住み着くいろいろな酵母や乳酸菌が味噌玉の中に入り込み、「蔵癖」と呼ばれる独特の風味が生まれる。
熱を加えても風味が消えない味噌の活かし方
八丁味噌は、熱を加えても風味が消えないという特徴が挙げられる。味噌煮込みうどんやどて煮など、愛知県の名物グルメに煮込み料理が多いのはそのためだ。「普通は味噌を加えたら、沸騰させたらダメといわれますが、八丁味噌の場合は味噌汁も沸騰させます」と浅井さん。熱を加えることで濃厚なコクとかすかな酸味、渋味、苦味のある独特の風味が生きてくる。
ブームにしないことが残すことにつながる
伝統製法を守り続けている浅井さんに今後の目標を伺うと「味噌蔵を残していくことと」。完成まで2年以上の月日が必要な八丁味噌は、一過性のブームで製造量を増やしたり減らしたりすることができない。昔ながらの製法を守るため、2010年には78年ぶりに木桶を新調した。味噌が約6,000㎏入る「六尺桶」だ。日本で唯一の木桶職人に頼み込み、前倒しで木桶を作ってもらっているという。「八丁味噌は木桶で作ると先祖から言われているので。八丁味噌の伝統製法を守るためには、木桶職人や大豆を作る農家さんなど、支えてくれる人々が必要です。そういった人々を大切にして、伝統を守っていきたいですね」と、浅井さんは力強く語る。