冬の味覚の王様として全国に知られている『越前がに』は、福井県産のオスの「ズワイガニ」で県が公認するブランド名だ。その“ズワイガニ王国”の福井で、別種である「紅ズワイガニ」漁を唯一営む船が「大喜丸」。船長の山下富士夫さんは紅ズワイガニの価値向上に取り組み、『黄金ガニ』という高級ブランドを生み出した。
福井県唯一の紅ズワイガニ漁
オスのズワイガニは山陰地方で『松葉ガニ』、石川県で『加能ガニ』など、水揚げされる漁港によって違う名称でのブランド化に各地が取り組んでいる。中でも、ここ福井県の漁港に水揚げされるオスのズワイガニ『越前がに』は最高級品として知られ、全国で唯一の皇室献上ガニでもある。なお、福井県ではメスのズワイガニは『せいこがに』と呼ばれる。『越前がに』の3分の1ほどの大きさで、価格も比較的リーズナブルとあって、より手軽に食べられ親しまれている。
ズワイガニ漁船は40隻も
福井県内では、越前漁港、三国港、敦賀港、小浜港などがズワイガニの水揚げ港になっている。中でも越前町にある越前漁港は福井県随一の水揚げ量を誇る。国定公園に指定されている越前海岸のほぼ中間に位置しており、ここを拠点としてズワイガニ漁を営む船は40隻ある。そんなズワイガニ漁の本場で「大喜丸」だけが紅ズワイガニを獲っている。以前は「大喜丸」のほかにもズワイガニ漁と並行して紅ズワイガニを獲る船もあったが「『越前がに』がブランド化され、高値で取引されるようになり、うちの船以外はズワイガニ漁に移行しました。うちはズワイガニ漁の許可を持っていなかったので新規参入せず、紅ズワイガニ一本で続けてきました。」と山下さんは言う。
より深い海で獲る紅ズワイガニ
紅ズワイガニは、その名前の通り、甲羅の鮮やかな紅色が特徴だ。水深200~400mに生息しているズワイガニとは生息域も異なり、紅ズワイガニの生息域は水深500~2500mと非常に深い。
ズワイガニ漁は底引き網漁、紅ズワイガニはカニかご漁と漁の方法も異なる。カニかご漁とは、かごの中にカニのエサを入れて海底に沈め、かごの中に入ってきたカニを獲る漁法だ。カニを傷つけずに漁獲できるし、底引き網漁とは違ってかごの中に砂が入らないので、砂がカニの甲羅の中に入って品質の低下につながるのも防げる。
紅ズワイガニは獲れる期間が長い
ズワイガニの漁期は決まっており、オスの『越前がに』は11月6日~翌3月20日の約5ヵ月間。メスの『せいこがに』にいたっては、資源保護のため11月6日~12月31日と2ヵ月にも満たない短さだ。
一方、紅ズワイガニの漁期は9月1日〜翌6月1日までと10か月間もの長さがある。ズワイガニの漁船はカニが禁漁になる春から秋にかけてカレイやタイ、アジなどを獲って生計を立てるが、「大喜丸」は紅ズワイガニ漁専門でやっていけるという。ちなみに、紅ズワイガニのメスは漁そのものが禁止されているために、食されているのはオスだけだ。
福井県産紅ズワイガニの“伸びしろ”
紅ズワイガニは、ズワイガニと比べて漁期が長く漁獲量をしっかりと確保できるため価格は手頃。オスのズワイガニである『越前がに』と比べるとセリ値で4~5分の1程度であるのが現実だ。「しかしその分、紅ズワイガニには伸びしろがあるんです」と山下船長は言う。 特に、福井に揚がる紅ズワイガニの価格はまだまだ伸びると山下船長は確信している。紅ズワイガニの産地として有名なのは富山や鳥取だ。それらに比べ福井県産の紅ズワイガニはサイズが大きく、その分価格も高い。事実、「大喜丸」が獲る紅ズワイガニのセリ値は、山下さんが船長を引き継いで以来、右肩上がりだ。それは、山下船長が、紅ズワイガニの価値を高めるために、たゆまぬ努力を続けてきたからに他ならない。
船を引き継ぎ、改革に乗り出す
山下船長は、名古屋市の出身。名古屋市内の石油販売会社で会社員として働いていたが、「大喜丸」先代の長女との結婚を機に越前町に移り住んだ。2008年から紅ズワイガニ漁に従事し始め、2015年には先代から船長を引き継いで、極端に水揚げが少なく、希少価値の高い『黄金ガニ』や大サイズの紅ズワイガニといった高単価な漁獲物の割合を増やしてきた。
山下さんが船長になった当時、「大喜丸」の紅ズワイガニ漁は危機に瀕していた。紅ズワイガニの単価が低迷し、多額の経費も重くのしかかる。経営が厳しさを増す中にあって、山下さんがまず取り組んだのは、漁獲量を減らすことだった。紅ズワイガニはズワイガニに比べて1操業あたりの漁獲量が多く、それが値崩れの一因になっていた。そこで山下船長は、カニかごの数を減らし、甲羅の横幅が9㎝に満たないカニのリリースを徹底。自信を持って市場に出せる紅ズワイガニだけを選別して出荷した。その結果、水揚げ量は減少したものの、品質の高さが認められ、キロ単価が上昇していった。
資源管理への取り組み
山下船長は、未成熟な紅ズワイガニをリリースする際に標識を取り付け、再び獲れた場合のカニの状態を記録した。それを分析した結果、11月〜翌5月にリリースしたカニの生育が良く、低水温期のリリースがより有効であることが分かった。
さらに、福井県水産試験場とも連携して実施した調査では、甲羅の硬い高品質の紅ズワイガニが獲れやすい水深や漁場などの傾向が明らかになり、操業の効率化につながった。
こうした紅ズワイガニ漁の近代化によって、“量より質”のカニ漁へと転換を果たした「大喜丸」は、さらに質の高い紅ズワイガニのブランド化に取り組んだ。
【黄金ガニ】という新ブランド
「大喜丸」は1回の漁で1000〜2000匹の紅ズワイガニを獲る。その中に5〜10匹という割合で入っているのが、黄金色に輝く紅ズワイガニだ。山下船長はそれを『黄金ガニ』というブランド名で活きガニとして出荷している。『黄金ガニ』は、オスのズワイガニとメスの紅ズワイガニの間にできたカニで、ズワイガニのような身の入りの厚さと、紅ズワイガニの特徴である甘みというそれぞれの長所を併せ持つ。ひと目見ただけでは見分けのつかない両者だが、黄金ガニは紅ズワイガニよりも甲羅のふちがとげとげして全体的に硬く、色味はやや薄く腹が白いのが特徴。希少性の高さから、紅ズワイガニの2〜3倍の値で取引されている。
選別し、活けで出荷
山下船長は、2019年ごろから活けの紅ズワイガニの取り扱いも始めた。深い海に生息する紅ズワイガニは温度変化に弱く、水揚げされたら塩茹でにして出荷される ことが多い。ズワイガニに比べて水分の多い紅ズワイガニは塩茹でにしないとすぐに鮮度が落ちてしまうし、冷凍しても解凍する際に水分が流出して食味を損ねてしまいやすい。そこで「大喜丸」では、1回の漁につき大きいサイズの紅ズワイガニを100匹程度選別し、鮮度を保つために0℃前後の水槽で活きたまま出荷している。
「紅ズワイガニを味わうには、しゃぶしゃぶが一番美味しい。そのためには活きた状態で出荷することが必要で、地元の旅館も徐々に活けの紅ズワイガニを扱ってくれるようになった。これからもっと取引先を増やしていきたい」と山下船長は意気込む。
活きたまま出荷する『黄金ガニ』には黒いタグを、大サイズの紅ズワイガニには白いタグをと、「大喜丸」オリジナルのタグを付けてブランド力の強化を図っている。
「大喜丸」が新しい船に
山下船長の数々の取り組みによって、一時、3,000万円以下にまで落ち込んだ「大喜丸」の年間水揚げ金額は増加に転じ、近年では5,000万円までに回復している。
2022年9月、山下船長は新しい船を購入。新生「大喜丸」は性能が大幅に向上した。それまで漁場まで5時間かかっていたのが3時間に短縮され、活魚水槽などカニの鮮度を保つための船内環境も向上した。
「新しい船でより高品質な紅ズワイガニの出荷を増やし、“大喜丸の紅ズワイガニ”としてのブランド価値を高めていきたい」と語る山下船長は、紅ズワイガニの漁獲データ収集にも引き続き取り組み、資源管理にも積極的に取り組みたいと話す。山下船長が見据える「100年続く紅ズワイガニ漁」によって、「大喜丸」の紅ズワイガニは、『越前がに』に勝るとも劣らない新たなブランドに育つに違いない。