標高800メートルで育つ「安曇野放牧豚」
長野県内の名だたる精肉卸業者がこぞって取り扱いを熱望する豚がいる。長野県中部の安曇野市、標高800メートルの山中で放牧されている「安曇野放牧豚」だ。
この豚を育てているのは「藤原畜産」の三代目・藤原仁さんだ。「藤原畜産」はこの地で三代に渡って放牧による養豚に力を注いできた。
総合家畜商として様々な家畜を育てていた祖父の代に、雑草処理のために放牧していた豚を試しに食してみたところ驚くほどおいしかったことから自社ブランド豚として生産するため、何十種類もの豚を試験的に飼育。気温差の激しい安曇野の高地の自然環境に適応できる豚を探し求めた。
こうしてたどり着いたのが、当時、新潟で育てられていた三元豚。高地での放牧の大きな障害となる冬期の寒さに耐えられたことが、この品種を選んだ最大の理由だった。
品種を定めてからは、高地のメリットを最大限活かして肥育をするための試行錯誤を繰り返してきた。豚自身が里山の自然の中で自由に動き回り、自ら快適だと感じる場所を見つけながらのびのびと生活できる環境の整備もそのひとつ。
健康的に肥育するため、ストレスを与えないよう十分な放牧面積を確保することに力を注いだ。地元に余る資源を活用しようとはじめた竹チップを使った発酵床も現在では必須となっている。この発酵床は畜舎を快適にするだけでなく、豚たちが食べる事で整腸効果をもたらし健康維持にも寄与している。またベタつかない脂身を作るにことにも効果を発揮しているようだと藤原さんは話す。
試行錯誤を経て生まれた「放牧豚」
藤原畜産のこだわり
藤原畜産では、肥育期間も一般流通している豚が生後160日目頃から出荷されていくのに対して、180日~200日目で出荷。肥育期間が長い分コストもかかるが肉に弾力が生まれ旨みが増す。これも長きにわたる試行錯誤の中で生まれた藤原畜産ならではのこだわりだ。
餌にも気を遣う。地元ブルワリーでビールを絞ったあとに残るホップやモルトのカスをはじめ、安曇野産のりんごや米、大豆など、地域の恵みをふんだんに採用。もちろん配合飼料が餌のベースとはなるが、地元産の旬の食材をその季節に食べさせることで、自然のサイクルに沿って健やかに育ち、肉質も良くなる。
また近年、畜産農家でも多く取り入れられている病気予防対策のための抗生物質やホルモン剤の投与は一切行っていない。自然に近い環境と餌によって、豚自身が自己免疫力を高めているからこそ、それらの投薬も必要ないのだ。
豚熱の危機からノウハウを活かし味をアップデート
こうして順調に進んでいた放牧養豚だったが、仁さんが代表に就任した2019年、事態が急変する。
長野県を豚熱の被害が襲ったのだ。塩尻市にある県の畜産試験場で感染した豚が確認されるとその3km程離れた山林で豚熱に感染した野生のイノシシが発見され、関連施設に飼育されている約300頭を超える豚、全頭が殺処分となった。
豚熱の県内拡大を理由に30年来付き合っていた新潟の種豚販売業者から突然取引停止を告げられた。これまで積み上げてきたものがゼロになってしまうほどの大事件に打ち拉がれたが、その危機を救ったのは蓼科(たてしな)にある一軒の養豚農家だった。その養豚農家からデュロック種を掛けたハイブリッドポークを譲り受け、なんとか放牧養豚を再開。当初は寒さや、畜舎に棲む、以前育てていた豚の常在菌が作用し、かなりの数の豚たちを失ったが、専門家の意見も取り入れ、2020年頃には飼育法も定着し安定供給が可能になった。新生・安曇野放牧豚に対しては、以前のものよりもおいしくなったといった声も多く、三代に渡って培ってきた経験やノウハウをしっかりと活かしながら味のアップデートにも成功してみせた。
藤原畜産こだわりの安曇野放牧豚の特徴とは
このように長い年月をかけて、なるべく自然に近い環境を整備しながら餌や肥育方法にこだわり、健康で食味の良い上質な豚を生産してきた。
安曇野放牧豚は独特の臭みや雑味がなく、きめ細かくしっかりとした食感の肉。またストレスなく育った健康的な肉は脂身が薄く、解体した精肉を整形せずにそのまま流通できるほど。その上、野生で育ったジビエのように甘く歯ごたえがあり、後味もあっさりとしているため、脂身が苦手だという人たちからも高い評価を受けている。放牧による運動効果や日光浴により、融点が低い脂になるので、食べても胃もたれがしにくく、煮炊きした際に灰汁がほとんど出ないことも大きな特長だ。
これほどポテンシャルの高い豚肉に、プロアマ問わずファンが多いのも頷けるが、さらにその信頼度を高めるのが、生産管理体制。万全を期した生産履歴の管理はもちろん、CSF(豚熱)感染防止対策のための設備を新たに設けるなど、畜舎・放牧場の衛生管理を徹底している。
放牧養豚を全国へ
こうして、安曇野の山中で出来うるかぎりの手間を掛けて飼育される安曇野放牧豚は、精肉業者だけでなく、県内外の名だたる料理人たちからも高い評価を受け、有名なオーガニック系のスーパーマーケットチェーンでの取り扱いもはじまった。
少しずつではあるが、着実に放牧による養豚の魅力が全国へと広がっていると実感している藤原さん。広く開けた土地ではないが、山中というメリットを最大限活かした肥育方法を実践し、高地での放牧が持つ可能性を追求しつづけている。