肉をおいしく“育てる”のが精肉店の仕事 「サカエヤ」で命を吹き込まれる熟成肉/滋賀県草津市

肉は霜降りに限る、A5ランクこそ至上。そんな時代は終わりを迎えようとしているのかもしれない。子供を産んだ経産牛や、格付けの低い牛、役目を終えた乳牛を仕入れては極上の味に仕上げ、世に送り出す。滋賀県草津市の精肉店「サカエヤ」には、今日も全国の食通や料理人たちが絶えず訪れる。

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肉を「手当て」して生まれ変わらせる精肉店

日本最古のブランド牛といわれる近江牛。その生産地である滋賀県に、全国の料理人や肉好きが注目する精肉店がある。生産者から骨付きの枝肉を仕入れ、「手当て」して販売するサカエヤだ。自分たちは卸問屋ではなく精肉店。だから生産者から仕入れた枝肉を吊るし、熟成させ、個体によって保存方法を変えながら、その肉が持つポテンシャルを最大限まで引き出して売ることを信条としている。店主の目利きによって仕入れられた肉は、職人たちの手当てを経ることで一段も二段もおいしくなって消費者の元へと巣立っていく。 

50種類の肉が並ぶショーケース

店舗のドアを開けると、視界いっぱいに広がるショーケースに50種類以上の肉が並ぶ。サカエヤでは、ひとりの客に対して20~30分の接客は当たり前。スタッフは必ずショーケースの前に出て、横に並んで対応する。お客様の好みを聞き、一般家庭でもおいしく食べられるよう焼き方や調理についてのアドバイスも丁寧に行うので、スタッフ一人ひとりに幅広い知識が必要だ。

中には東京から月に一度来て、1ヶ月分の肉を注文して帰る常連客もいるという。10日着、20日着といったように、その肉を食べたいタイミングに一番おいしい状態で届くように準備して発送されるので、特に肉好きはここに来て買うことにこだわる人も多い。

料理人の個性に合わせたオーダーメイド

ディスプレイも兼ねた店頭の熟成庫には迫力のある塊肉が並び、東京をはじめ全国各地にある有名レストランの名前が書かれた札が添えられている。飲食店に販売する肉は、すべてその店に合わせたオーダーメイド。骨の付いた枝肉を仕入れた時点で、これはあの店、こっちはこの店と瞬時に卸先を決め、店や料理人の個性に合わせて仕上げていく。

「僕は必ず肉を骨付きで仕入れ、骨付きで出荷します。例えばリンゴは丸いままだと鮮度を保てますが、カットした途端に茶色く酸化し始めますよね。肉も同じ。骨を抜くとそこから酸化が始まります。だから僕は、レストランには絶対に骨付きでしか出荷しません。最適な肉を提供するには、卸先がどんな思いで店をやっているのか、どんな環境で肉を焼いているのかを知ることも重要です。だからお互いをよく知るために、卸先のシェフには必ずここまで足を運んでもらって、僕も卸先のお店まで行く。牧場にも連れて行って、牛がどんな風に育っているかも見てもらいます。そういうやり取りを何度か繰り返して、お付き合いが始まる。まずは人として信頼し合えるかどうか、取引はその後からです。」と、代表の新保(にいほ)吉伸さんは語る。

生産者との間にあった高い壁

新保さんが肉の世界に入ったのは19歳の時。27歳で独立し、滋賀県草津市に「近江牛専門店さかえや」をオープンした。本来飽き性な性格だが、肉に魅せられて夢中になるうちに、気づけばずっとこの業界に居続けていたという。

そんな中、2001年に起きたBSE(牛海綿状脳症)の流行で人生が一変する。牛肉が売れず窮地に立たされたことをきっかけに、どの牧場がどんな血統の牛をどう育てているか知りたいと思い、滋賀県内にある牧場を1件ずつ訪ね歩いた。当時は生産者と精肉店が直接交わることはまず無く、肉が入荷しても誰が育てたものかわからないのが当たり前。生産者が自分の育てた肉を食べたことがないというのもよくあることで、生産者、精肉店、レストランや一般客、すべての間にとても高い壁があった。そんな現状を少しでも変えたいと思い、行く先々の牧場で動画を撮影しては、自社のホームページに上げていった。クローズアップされることで生産者にも喜ばれ、今では北海道から沖縄まですべてその土地に行き、場合によっては泊まり込んで、信頼できると思った生産者からのみ仕入れた肉を扱っている。

料理人と生産者をつなぐ存在に

「料理人にとって、精肉店は“業者”と見られることが多い。私たちが卸す肉を『使っていただいている』という関係性が嫌で、それをひっくり返したかった」と新保さんは言う。生産者、精肉店、レストラン、その三者が対等な立場で仕事しないと、業界全体としても未来がない。僕たちは生産者と料理人をつなぐ立場。肉に手当てをして新たな価値を加えることで、生産者からより多くの牛を購入し、おいしい肉をレストランに届けることができる。そんな正しい循環を作り出せる精肉店の存在は、今後ますます重要になっていくと新保さんは語る。

熟成で、肉に新たな命を吹き込む

サカエヤには、湿度や温度といった条件の違う冷蔵庫が4つある。信頼できる生産者から骨付きで仕入れた肉は、この冷蔵庫の中で吊るされ、熟成によって各店の味に仕上げられて全国各地のレストランに運ばれていく。

熟成を成功させる鍵は熟成に向いた菌を作ることから。サカエヤの冷蔵庫には「種」と呼ばれる15年もので化石のように変化した肉が保存されている。この「種」から発生した菌が庫内に広がって肉の熟成を促している。今いるのは熟成に適した菌なので肉が腐ることはないが、ここに来るまでは大変な苦労があったという。肉によって2週間で仕上がるものもあれば、40日経っても仕上がらないものもある。過去には40日を過ぎても変化が起こらず、期間不足なのだと50日、60日と様子を見たら熟成ではなく腐敗が始まったという苦い経験も。ただ水分を抜いて湿度や温度の管理をすれば熟成するということではなく、菌の働きがあってこそ熟成はすすむ。生産者から預かった肉に命を吹きこみ、使う料理人に合わせて手当てをすることこそ熟成。それに欠かせないサカエヤの「種」は大学教授や研究者にも相談しながら絶えず試行錯誤を繰り返し、たくさんの失敗を経験しながら今の状態に仕上げたもの。15年かけて本当においしい熟成肉を作り出すことができる最良の菌にたどり着いたのだ。

硬い経産牛を柔らかく

新保さんが熟成肉を始めたきっかけは、経産牛だった。一般的に、畜産業界では肉質が硬い経産牛は見向きもされず、未経産の若い雌牛ほど柔らかくておいしいとされている。役目を終えた経産牛は、人間でいうと50~70歳。多くが痩せ細り、骨はもろくなり肉量もとれない。それを半年間かけて再肥育し、熟成によって繊維を緩め、味に深みを出しておいしく食べられる肉に仕上げるのが新保さんの仕事だ。

「かっこいい言い方をすると、『それをしなければこの子たちはどこに行くの?』と考えたんです。おそらくペットフードか、加工品にしかならないでしょう。一般流通するような商品にはまずなりません。でも、流通する商品になる方が生産者さんもありがたいし、僕が少しでも高く買い取ることで、生産者さんはまた新しい子牛を買うことができる。それが正しい循環だと思っています」。

ただ寝かせるだけが熟成ではない

近ごろはいろんな飲食店で“熟成肉”の文字を見かけるが、「熟成肉を食べてお腹をこわした」「食べたことがあるけどおいしくなかった」といった声を聞くと、悔しい面もある。

新保さんが行う熟成は「ドライエイジング」といって、肉の表面を乾燥させることで旨味と香りを内側に凝縮させる方法だが、もちろんただ冷蔵庫に置いておくだけで水分が抜けるわけではない。大事なのは温度と湿度、風、そして目利き。毎日よく観察して、これは違うなと思ったら、環境を変えるために別の冷蔵庫に移す。

「肉も生き物なので、大切に守り(もり)をするのが大事です。そして今だというタイミングが来たら、すぐ料理人に連絡して使う算段をしてもらう。だから絶えず料理人と連携を取っておくことも非常に重要です。さらには一連の結果を生産者にフィードバックして、今後の育て方の参考にしてもらう」。こういった連携の繰り返しで、本当に価値のある熟成肉を作り上げる環境は培われてきた。

追求するのはあくまで「おいしい肉」

A2ランクの牛を買って、A5に匹敵する味にするのが好きだという新保さん。格付けの等級とは違う、全く新しい価値を創造したいと語る。「はじめからA3を目指して育てている生産者はまずいません。でも牛は複数頭で一緒に育つから、中には上手く餌にありつけず、大きくなれない個体も出てくる。どの生産者も、なんとかしてA5に育てないと売れないというプレッシャーを抱えています。だからA3になった牛を僕が高く買うことで、生産者は安心して牛を育てられる。微力ですが、そういった輪が広がれば畜産の世界も潤うと思うんです」。

精肉店は力仕事。30キロを超える肉を持ち上げて、加工しなければならない。現役でどこまでいけるだろうという不安もあるが、それとは裏腹に、またゼロから始めてみたいという気持ちもあるという。「毎日新しい発見があって、挑戦してみたいことも次々に出てきます。追求するのはあくまで“おいしい肉”。もっともっと自分が感動できるような肉をつくりたいけど、まだそこまで行けていない」と話す新保さん。肉と向き合い、料理人や生産者とのより良い関係を模索してきたからこそ、まだ先に見える新しい世界があるのかもしれない。

サカエヤの肉を味わうレストラン「セジール」

サカエヤの店舗には、「セジール」というレストランが併設されている。精肉店の片隅に、自分が手当てした肉を焼いて試食できるラボのような場所があればと考えたのが、セジールが生まれたきっかけだ。

セジールで提供されるのは、サカエヤで創り上げた肉をメインとしたイタリア料理。パスタやスープも出るが、何より肉の味を楽しめることを第一にしている。最近は地元でも知られてきたが、ほとんどは東京などの都市部や海外からの来客だという。月に1度来店し、1ヶ月分の肉を注文して、レストランで食事をして帰るという常連客も多い。 

精肉業界の底上げを

精肉店の仕事は肉を売って終わりではない。自分が心から正しい思える肉を販売し、調理された肉がお客さんの口に入って「おいしい」と笑ってもらう、その瞬間までが自分たちの仕事だと新保さんは言う。それは生産者でも料理人でも同じこと。関わる人すべてが連帯責任で、同じ思いを持っていないと畜産業界の底上げは難しい。

「そのために、それぞれの間に未だある高い壁を取り払いたい。自分の代では難しくても、せめて次の代には開かれた環境を残したい」。そう語る新保さんの目指す未来、日本が誇る和牛のこれからに注目したい。 

ACCESS

株式会社サカエヤ
滋賀県草津市追分南5丁目11-13
TEL 077-563-7829
URL http://www.omigyu.co.jp/
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